ぎっくり。


きのう、仕事中にぎっくり腰になりました。

バイトを早退し、今日もお休みをもらいました。

現在快方に向かっています。

同僚みんなが心配してくれました。

家に帰ったら、パートナーが待っていて、介護してくれました。

安心したのか痛みが強くなりびぇーんと涙。

力入れないでいいからね、と寝るのも立ち上がるのも支えてくれました。

私の周りには愛がたくさんあるのを感じています。

一方

腰の痛みから、早退を相談するまでのあいだ

私は色々考えてました。

やばいかも。
でもまだいけるかも。

こんなときこそ、体を感じようと思いました。

私はいま何を感じてる?

感じる前に、動こうとする体、衝動がありました。

まだいける。
大丈夫。

でも、腰は熱を持ってるし、足は冷たく少し震えてるようでした。

ちょうどその前の日に、マドモアゼル愛さんの動画を見ていて、その内容が思い出されました。

「0才から7才までのあいだに、私たちはロボットになる」

自分のほんとうの気持ちや感覚を感じないように。

内側の声は無視

外側の声をひろう

そんな回路が、私のなかにもプログラミングされていたこと

小さな頃から、こんなふうに自分の内なる声を蔑ろにしていたことを

感じる前に動こうとする、痛みがあっても自動的にちゃんとしようとする、本棚に対峙する私を感じながら

しみじみと感じて、なんか泣けてきました。

本当に大切なことは、命

でした。

お給料でも、効率でも、理想でも、世間体でもない。

命の声は、自分の内側の声。

私の内側で本当に感じていること。

それが聴けないと、大事にできないと

究極、死んでしまう。

自分が。

それに、他者の気持ちもわからない。

前職で子どもと関わり、それを痛感しました。

子どもは特に命の声が純粋で

たくさんの声をぶつけてもらった。

私にとって、その命の声は、目覚まし時計であり、神様の声だった、と思っています。

子どもという存在には、頭があがらない。

そんなふうに思います。

まだまだだけど。

わかってないことはたくさんあると思うけど。

ぎっくり腰

何のお知らせだろう、と昨日から考えていました。

上記のことも含め、私のなかにある

コントロール癖

傲慢さ

わがまま

怒り

そういうものがあぶり出されている気がします。

人を理解すること

自分を理解すること

人を思いやること

自分を思いやること

大切なことは目に見えないということ

お知らせに、できるだけ心の耳を傾けたいと思います。


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