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H20年バックパックの旅 ②得たモノ

☺︎スキを頂きありがとうございます。“いいね”には慣れていても“スキ”に慣れていないので、スキを頂いた通知を見てはその瞬間「キスのおしらせ」と心で読んでしまいホワンとなってます(^^)

↑ではこれの続きを書きますね

トイレの経験

その大泣きした寝台バスが夜中にトイレ休憩だと寄った場所があります。日本の古びたドライブインみたいな場所で私もトイレを済ませておこうと降りたのですが、他のインドの女性について向かった場所は薄暗いコンクリートに囲まれた6畳ほどの便器も何もない真四角の部屋でした。

「えっ!どこで小便するの!?」っと思って戸惑っていると1人の優しい女の子が私の真似をして〜ってジャスチャーで誘導してくれました。にゃんと!そのコンクリートの部屋でその場に腰をおろして用を足すのでした。(でしょうね)

だってだって中には裸足の方もいますよ。そしてその足で寝台バスですよ。ウッソ〜ン!!!!と思いました。そして次に水が入ったオケが回されてきてそれを左手ですくいアソコをみんな流しているのです。

私は小便まではみんなと一緒にやりましたが、さすがにオケの水はですね、どうしても使えず、女の子に断ってしましました。

そして持参していたポケットティッシュで拭き拭きしました。バスに戻り主人に最強なトイレだったってその話をすると、男子便所はドア開けたら、野っ原が広がってた〜と言っておりました。

コルカタの刑務所のようなゲストハウスでも便器のあるトイレだったし、このトイレは最高に記憶に残っています。とは言ってもその後、ラオスの長時間のバス移動なんかはトイレという建物はもはや無く野ションでした。

トイレ休憩だと言われ、バスから降りると野っ原が広がっており、白人も黒人もアジア人もみーんな、距離を意識しながら茂みの中に消えていくのです。ブッダガヤで朝方見た川で用を足す人の姿はその頃には驚きでもなんでも無くなっていました。

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タイではタオ島でダイビングを経験しダイビングの免許を取りました。(思えば取得から12年、日本でその免許を使うことはなかった)

ベトナムでは日本人が住んでいたと言われ、世界文化遺産に登録されているホイアンを訪れました。ステキな街でした。

ネパールではカトマンドゥ、ナガルコット、ポカラに行きました。そしてヒマラヤ山脈に登る…では無く、近くで見る為のトレッキングに挑戦しました。それでも過酷であったがゆえ絶景でした。

カンボジアでは水上生活やアンコールワットを見てきました。しかし観光を楽しむ場所では無く、自分が日本で平和に暮らしている時代にまたがって起きていたポル・ポト政権の残酷さを学びました。海外に出ると世界遺産の観光が1番に頭に浮かびますが、どこの国も、宗教や戦争、歴史が動いた場所なのでその時代の方を想い手をあわす場所であります。

旅の途中、どこの国でも癒されたのは家の外に干された洗濯物です。色鮮やかな布の洗濯物がキレイで幸せの象徴に見えました☺︎

大人の洗濯物の中にちょこんと赤ちゃんの洋服などが干してあるんですよ。たまらなく可愛い。こどもにカメラを向けたくなるのと同じぐらい、カメラを向けてしまいました。

ラオスで ドン! と突然の気付き

そしてラオス。ラオスではルアンババン、メコン川の中にある島に行きました。ラオスはフランスの植民地であったため、フランスの文化が残っています。パンも根付き、フランスパンは特に美味しいです。

栄ている都市や観光地に行けば建物も洋風。しかしなんと言うのか農村や山岳部には昭和の日本の生活の姿があり、とても暮らしが平和で豊かに思えました。

何もないそんな山岳部をバスで移動している時に、大草原の片隅で楽しそうに遊ぶ子供たちの姿が夕日を背景に小さく窓から見えました。

その様子を見たときにドン!と自分にある気持ちが現れました。

人生はその人だけのもの

こんなに何もない場所で幸せそうな子供たち。発展した便利な世界で苦しむ私たちは何なんだ、なんて不自由なんだ。

この子たちはここで誕生してここで豊かさを感じてこんなに幸せで。人生はその人だけのもの。その人にとっての幸せがあり、その人が経験すべき事が用意されている。自由でなくてはいけない。

夫婦も恋人もそうで、例え形ができてもその人の人生はその人だけのもの。人はいつか死んでしまうのだから、その人が今世で出会うべき人に逢って、するべきことをする人生でなくてはいけない。

長い人生の中のどこかで連れ合いになっただけの人、その人が相手の人生を縛ってはいけない。もちろん秩序は必要な上での話です。

人と自分を比べてばかりでプライドも高く、でもどこか不安でかまってちゃん。そうやって生きてきた未熟な自分は、そこに気が付けただけでとても心が楽になりました。そして人から見たら小さな幸せでも、自分では倍の幸せを感じるようになったと思います。

この感覚を得た事が私の旅での1番のお土産です。

主人に対する想い

主人との話になりますが、主人が仲間内で1番に結婚した事に地元の友達はとても驚いていました。私に取られたように悲しむ人もいました。主人は最後まで結婚しない人と思われていたのです。主人自身も結婚に興味は全くなく、1番結婚は遅い、むしろしないと考えていたようでした。

年齢も年上の私は、結婚をした時に主人にはできるだけ自由でいてもらうと決めました。まわりには自由で働き盛りの友人。そんな環境の中、結婚したからできないって事はあって欲しくないと思っていました。

でもそれは自分と結婚した主人をまわりの人に肯定して欲しかったからだと思います。自分を肯定されたいが為の気持ちだったのです。


旅を経て、その真意を深く深く体感する事で本質が変わりました。心から主人の為に自由でいてもらいたいと思うアジアの旅となったのです。

日本に戻れば、このような感覚も薄れ、THE 日本人となってしまいます。記憶も薄れていきます。このように当時を振り返る日記を書けた事が昨日今日で1番良かったです。自分から自分への励みとメッセージにもなります。それこそここに。

THIS IS YOUR LIFE. DO WHAT YOU LOVE.

特に子供がいると当たり前に過ぎていく同じような時間と毎日。この日記を書いた時間はアジア旅行に行く事がでしました。バックパックの旅の話はまずは終わりますが、しょうもないネタが︎︎︎︎☺︎まだあるので、ちょこちょこ書くかもです。また遊びに来てください♪

読んで頂きありがとうございます☺︎

また書きますね☺︎

そして続き↓


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