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noteをはじめるきっかけ

おはようございます♪12月は師走と言われるだけあって早いですね。でも今年は例年よりどの月も時間が経つのが早かったように感じます。身体元気に、この月を走っていきましょう!

今日はnoteを始めるまでの自分の状態をお話ししようと思います☺︎

皆さんは “無” になった経験はありますか? 私、2016年から少し心を閉ざしてしまいました。2018年の第三子の出産を経て、その子がこども園に入った去年ぐらいからかな、ぼちぼち外に出て人と交流するようになったのは。

その閉ざした時間も自営業の仕事にも携わっていたし、子育てもしっかりやっていたのですが、極力、外の人との交わりはありませんでした。気の知れる友達とたまにたまに会うぐらい。あとは自分と家族の中に、安全な場所にずっといたのです。

気持ちを聞いてもらっていたのは、好きな作り手さんの情報を知りたくてはじめたInstagram。そのフォロワーさんでした。私の話をよく聞いてもらいました。
(本当にありがとうございます☺︎)

自分の中にこもるきっかけを作ったのはLINEです。
2016年の熊本地震後まもなくLINEのアカウントの引き継ぎがうまくいかず、1週間ぐらいかな。LINEを止めていました。そしたら、その状況が平和でですね。気が楽だな〜もういいや、このままで。とLINEをやめました。3年ぐらいやめていたかな。

何も言わずにLINEをやめ、友達が心配するのも分かっていた。分かっていたけど、もう精神的に弁解したり、説明する気力もなかったのです。

(必要な連絡は、ショートメールを利用。子供の関係で携わる連絡にLINEを聞かれる事は多いのですが、LINEしていないと伝えるとみーんなびっくらこいておりました)

被災中、被災後、大変だったので熊本地震は関係ないとは100%は言えませんが、この時に、人ってこんなもんかー。まじかー。って人にガッカリする出来事も積み重さなってあり、人に対する諦めと虚しさ"が人と関わる無力さを引き出してしまいました。

そしてひずみが出てきたんだと思います。自分でも気が付かない、長年、長く積み重なったものが崩れ落ちるくらいに。


2015年

その兆候は2015年から出ていました。2015年、自営業の経営状況は厳しく不安な時期を夫婦でこなしていました。自分達を鼓舞して、自分達の経済状況にあった生活をし、それでも子供たちと共に家庭では幸せな毎日でした☺︎
しかし2015年の後半は、たった50枚の年賀状を購入するお金を用意するのも時間を要するぐらいで‥‥。結婚してはじめて、この年末は栃木の主人の実家に帰省をしませんでした。7年ぶりに私は熊本でお正月を迎えたのです。

● 帰省をする理由について
結婚してからずっと主人は年に2回栃木に帰省しました。夏は時期をズラして、冬は年末に。自分がどんな状況でも、私が経済的にキツくなるから帰省を止めようと提案しても、なんとかなる、と栃木の帰省を選んで来た主人。
そこには、長男で実家を離れた主人が祖父母を思ってできる孝行は、祖父母に顔を見せる事だと考えているからです。その気持ちは痛いほどわかっていました。

主人のお母さんは、世の型に全くハマらない感覚で生きていて、私たちに何かを求めた事は1度もないです。人の役に立つ場所にいなさい。いつもそう言ってくれていました。

それと真逆に祖父母は強く栃木で一緒に暮らすことを望んでいました。その思いに応えられず、離れた熊本で生活をする私たちはいつも心をキューと締め付けられていました。
私たちができる事は、少しでも多く帰省して一緒に時間を過ごす事でした。だから結婚後初めてのこの選択には、主人は特に胸が痛かったし、祖父母もとても寂しがりました。今書きながらその時の気持ちを思い出しますね。懐かしいな。

人と接するのがつらい

体調で言うと、この年に急に喘息を患ってしまい、今も治療中です。(これも外に出る上で不安を招く1つの原因になったと思います)

家庭での自分とは反して、私は外で人と関わることがとても辛くなっていました。疲れるというか、誰にも会いたくない。人がもう嫌だ。今まで接客の仕事が大好きで人とふれあう仕事を選んできていたのに。

その年は生活のために少し外へ出て働いていたのですが、選んだ仕事は接客業とは程遠い、暗い倉庫内の業務でした。モノを相手にする仕事です。めちゃくちゃ楽でした。

人と、なるだけ会いたくないからその仕事を選び、プライベートでも会わなくていいように週に5勤の労働を確保して、人から逃げるように仕事と向き合う時間を作ったのです。なんというか、買い物もカフェも、人と遊ぶのも‥好きだった事も何にもしたくない“無” !エネルギー切れという状態。

昔の自分に戻りたい。昔は元気に過ごせていたのに、どうやったら昔のような自分に戻れるのだろう。そう考えては不安でどんどん深いところへ行ってしまうようでした。

2016年

そんな毎日の中、2016年、熊本地震があり、両家の家族や親戚、東京で働いていた時の知り合いの方、主人の栃木のお友達、周りの皆さんに沢山励ましとお心配りを頂きました。本当にお世話になりました。
震災後の生活は自営業の仕事もストップしてしまい、収入がなくなりました。それでも必要としてくれる方が徐々に予約を入れてくださり、ゆっくりゆっくりお役に立てる状況になり感謝をしました。なにより、自分たちより大変な被災者の方を思えば‥と乗り切る気力もありました。

その勢いで周りの方と交流を再び始めることが出来れば良かったのですが、どんどん深みにハマっていっちゃって。人にゲンナリする出来事も重なり‥‥最後は上記に書いたようにLINEから離れて、シャッターガラガラ状態に。朝も起きれなかったり、人が普通にできる事でも何倍もエネルギーが要りました。
そんな私でも子供は必要としてくれるわけですから、頑張る気力の源である子供がいなかったら…と考えると非常に大変な事になっていたと思います。

途中に三女の妊娠出産もあり、そうやって身を守るように益々自分の中にこもったのです。それでも気の緩められる友達はいたので、その友人たちとは会っていました。

その後、三女が成長してこども園に入って自営の鍼灸院へ戻りましたが、人への接し方が難しい、少し怖いような感覚で全然ダメでした。会話も変な事を言ってしまったんじゃないか…と後で不安になったり。
変な事言わないようにしなきゃ!と思えば思うほど変な事言ってしまうパターンです(笑)自信も無くなるし疲れてしまう。

そして決定的はのは、次女のこども園の茶話会でした。
茶話会は子育ての悩みなどを、司会を務める先生を中心にお話し会をするのですが、日頃人と交流をしたり、話したりしてなかったばかりに、自分が話す番になって、緊張で喋れなかったり、涙ぐんでしまったのです。めちゃくちゃ自分ヤバい!って自覚をしたのを覚えています。他のお母さん方が堂々と上手に話をする中でですね。

そんなきっかけを頂きながら、母としてもそんな自分から卒業したい。何度も何度もそう思って、行動をする事に挑戦して日々を過ごしていました。

今、上記の時期を乗り越えて確信しているのは、すべて
確実に自分に問題があって、自分が自分を分からないままずっっっと突っ走って来てしまったのだと理解しています。自分のことってわかりますか?😊なんだかな、偽り過ぎていたからわからなくなってた。

しかし、しかし、そんな自分にナゼなるのか、長く自分の中にこもった理由など、長い4年の年月をかけ自問自答し続けて来た引きこもりの日々から、やっと今年、今年、開放されました。

2020年

今年に何があったのかというと、今年はすごかった!(まだ何日も今年は残ってるけど言い切る)

コロナ禍による生活の変化は皆さんそうですね。その他では初の円形脱毛症、初の交通事故を経験してげんなりでした。出来事が起こる度に、自分の心の奥深くにある悲しみや、怒りや、寂しさや、不安や、汚いところ…今までこんな感情全く無かったのに!って自分でも驚くほど、きっかけがあれば出てきて出てきてエグってエグって全部に向き合わさました。

そしてここで終わる!膿を出し切ったぞ。
と思った矢先‥‥、最後にとどめを刺したのが今年の7月の豪雨による実家の被災です。


令和2年7月 鹿児島、熊本 豪雨

実家も解体をする状態になったし、ご先祖様の想いとともに残された思い出の品も災害ゴミになりました。以前の記事に書いたようにアルバムも…水害がモノも想いも全部持っていってくれました。

その今年のすべての出来事の結果、自分が抱えていた負の感情とさよならする事ができました。私は中学のいじめや、高校で起きた犯人不明の死ね死ね攻撃の傷をずっと背負っていたようです。それもまだ根深くあったようです。

恐怖や人間不信。罪悪感や不安。
寂しさに自己肯定の低さ。

いじめがどうのでは無く、その経験から、生き癖がついてしまっていました。

このメンタルはわかってた。わかってたから、これに襲われる度に繰り返し向き合って、自分なりに解決して乗り越えてきたつもりでした。でも全然だったんですね。

これを源にして動く自分の心の動きなども分析した事はありませんでした。それを隠すように一生懸命で、堂々とわがままで、好かれようと頑張って、嫌われないよう頑張って、にこにこ笑顔で生きてきた事が多かったかもしれません。

自分が思っていた以上に、変な正義感とプライド高くいた事にも気が付きました。弱い犬ほどよく吠える感じですね。ワンワン。

人の目ばかりを気にして。優しくされると嬉しい反面、こんな自分が?…って人を疑ってしまったり。そんな悲しかった過去の痛みと、そこから来る自分の心の動きが紐解かれていく感じでとても楽になりました。

何か出来事が起こるたびに主人が私のメンタルには寄り添ってくれました。夫婦としての問題もたくさん見つけたり、1人ででは無く、主人と一緒に紐解いていった感じです。他にも寄り添ってくださる方がいらっしゃるのですが感謝とともに割愛です。

いじめの思い出が残る被災地

今回被災した町は、この中学のいじめの思い出が残る町です。自分に原因があって起きたいじめですが、この歳になっても、実は帰省で町へ足を踏み入れると、不思議とあの頃の自分の気持ちに戻り、同級生に会わないか…苦手な人に会わないかビクビクしてしまうような恐い気持ちになっていました。
その当時のまま、子供の自分がいるのです。何十年も経っていて私はもう大人になっているのに。子供の私が恐い不快だと泣いてるのです。

これは経験した人にしか分からない気持ちだと思います。自分が誰かを傷つけた罪悪感と、傷ついた恐怖と。

しかし今回の豪雨により、たくさんの方が足を運び、泥まみれになって町の為に活動する想いのエネルギーに感化されました。私の町に対する窮屈な想いも、その大きな想いに包まれる感じがしました。

Facebook

7月の豪雨の時、2年前の三女の出産報告以来、豪雨に関する投稿をFacebookにしました。そしてつい最近、久の々に自分の気持ちを絶好調の長文で書きました。豪雨に対して関心を持って頂いたお礼と、その流れで気が付いた素直な自分の内面の事。

今まで関わってくれた友人たちへ、負の感情を気にし過ぎるばかりに、優しさを素直に受け止めていなかった事の謝罪。引きこもって自分勝手に過ごしたこの期間も“どうしたんだろう”って少なくとも2、3人は思ってくれて心配をかけただろうし、申し訳なさを思っています。

この中高の経験から始まった精神状態。そこからの行動についてのごめんなさいは、自分の中で深すぎて、もしかしたら友人には伝わら無いかも知れません。表面と内面が違いすぎてですね。それでも伝えたいと思いました。

そして最後に

これからは
人に嫌われないための人生では無く
自分の人生を生きていくと伝えました。

このような心の開放が出来たのが11月です。そして自分の「好き」がわかって、目標に向かう為にも一度、自分の過去を整理するよう初めたのがnoteです。主人がススメてくれました。

自分は文章が長いのでnoteの方が向くようです。これからも宜しくお願いします。

長く自分の中から外へ出て行けなかったけど、自分なりのやり方でこもった時間は私にはとっても必要な時間だったと思っています。
この時間に充電していて、今年の出来事がきっかけでパワー全開で戻れました。全て繋がっているのだと思います。

引きこもり

『引きこもりは大切よ。引きこもってよかったよ!引きこもりにも色々ある。1時間は自分だけの時間だと設けるもの引きこもり、今日一日は自分だけの時間と設けるのも。あなたのように長く閉じこもるのも引きこもり。どれも同じ引きこもりなんだよ」

と教えてくれた方との出会いで、逃げるように社会に長く貢献していない自分の罪悪感が救われました。

引きこもってよかった。ってそこも肯定してあげれ、ほっとする感覚です。

これからは自分がしたい事、できる事を、前向きに挑戦していきます。読んでいただきありがとうございます。

ほどよくのM気質、あるのでなんでもかかって来いの気持ちです。
(要らぬ情報w)( ´∀`)

また書きますね☺︎
そして続き↓


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