三姉妹との出会い
こんにちは、noteでも気が付けば心が嬉しい交流があり、楽しい時間があり、パソコンを開く時間が楽しみになりました♪
そうだ、昨日の出来事なのですが、子供達3人を皮膚科に受診させました。三女を抱っこしていた私は、三女の症状を説明するのには患部を見てもらいたいから抱っこではできないな、と先生の前にある丸椅子に腰掛けようとしました。
すると絶妙なタイミングで次女が椅子を引いてしまい、私はあるはずの椅子に座れず、三女を抱いたままズッコケてしまいました!!!
めちゃくちゃ恥ずかしかった!でもそれプラス、そのコケる様子を目にしていた看護師さんと医師の表情がスローモーションで脳裏に焼き付いてて、その顔が面白くて笑いが。大丈夫ですか?!と皆々から声をかけられ、最後に医師に「お母様は大したもんだ。笑ってらっしゃる!あははは〜!」と褒めていただきました(笑)
それにしてもこのズッコケ、懐かしい!小学校の頃、友達とこのイタズラのやり合いっこしてた!!!
次女は私が椅子に座ると思わず…自分が椅子に座ろうと絶妙なタイミングでたまたま椅子を引いちゃったみたいです。めっちゃびっくりした顔してました。長女は唖然。三女は“無”でした😅勝負前の相撲取りのような顔をしていました。今日はそんな三女と出会うまでの話をしますね🤗
待ちに待った第二子の育児
4年ぶりの小さな赤ちゃん。その次女を可愛がりながら、楽しく育児をする私を見た義母がこう言いました。「最後の赤ちゃんだと思うと可愛いくてしょうがないでしょ」優しい義母の一言です☺︎
が、この言葉にすごく違和感を感じました。私は最後の子とは全く思っていませんでした。心に、小さい頃からなんとなくイメージしていた3人は子供が欲しいという思いをまだ持っていたのです。
友人の会話にも、「3人目はどうするか」って話題も出てきます。私は迷うことなく3人欲しいと言っていました。今できても全然嬉しいと。
自分の子宮ではもう赤ちゃんは育たないかもしれない。来てくれないかもしれない。でも望むのは自由だし、思うのは勝手だよね、って無邪気に考え♪
私が不妊症で妊娠を経た経緯を知る人たちにも素直に3人赤ちゃんが欲しい!と堂々と伝えていました。
と言っても当時、私は癖の強い、まるで頑固じいさんのような性格の次女の育児に追われており、発育の悩みもあり、四苦八苦。次の赤ちゃんを意識する事もない毎日でした。イヤイヤ期全盛期でしたしね。とほほ
第三子との出会い
そしたらある時期3人目妊娠が確定。でもその時、驚きはなかったです。実は赤ちゃんからすでに夢の中で私はサインを頂いておりました。
妊娠を知る年、不思議な夢を見ていました。その夢は家族とお出かけをして帰る時の夢。帰るよ〜って子供たちを集めるんです。でもなぜか「あれ?もう一人がいない、もう一人はどこ行った?」と一生懸命3人目の子供を探す夢です。でも見つからずに終わる夢。2人しか産んでいないのに変な夢やな〜って思っていました。
この夢は忘れた頃にまーーた1回見ました。その時にもしかしたら近いうちにこの夢の子に会えるかもと思っていたのです。だから妊娠検査薬で陽性が出た時も産婦人科で陽性が確認できた時も冷静。はいはいはいはい、夢の中の子が今来ましたねって。ニヤニヤするような、そんなテンションでした。
もちろんとってもとっても嬉しかった!!
マタニティフォトを第三子で初めて撮って頂きました。
第三子は膣分娩したい
第三子の出産は帝王切開後の経膣分娩、トーラックに挑戦することを決めました。帝王切開後の次の出産は大半が帝王切開をするのですが、次女のように逆子でもなかったし、赤ちゃんの意思で本能に任せた出産を選んであげたいと思ったからです。主人に話をし賛成してもらい、家族にも自分の意思を説明し納得してもらいました。みんな応援してくれました。
もちろん、お世話になる産婦人科でも挑戦するにはリスクの説明も念入りにもあったし、条件もありました。そして条件をどんなにクリアしても、最後は、予定日を超えると子宮破裂の可能性が高まるので必然と帝王切開になるとの事でした。
出産予定日が近づいてくる緊張感
妊娠中はどうかな?大丈夫かな?って不安と、きっと大丈夫!!そんな気持ちが行ったり来たりでした。セルフイメージを高めて良い方へ行くように願っていました。周りの家族も不安になれば成るように成る!大丈夫だよ、
と言ってくれていました。
予定日は2018年7月24日。妊娠生活後半、出産予定日がどんどん近づいてくる。全然陣痛の兆候がなく正直不安と緊張が増してきてた。いつ生まれてくるか分からないから、人生最後、妊婦姿も見納めだと丸いお腹の写真も毎日撮ってました。ソワソワ。
それを察していた治療家の主人が、妊娠中初めて私に施術をしてくれました。妊婦だと簡単な気持ちで施術できないのがあり、この妊婦期間約10ヶ月どんなに体調が悪くても主人が私に施すことはありませんでした。
陣痛を促す作用のあるアロマを選び、心身をゆるめてくれたのです。そして赤ちゃんといつ出てくるかちゃんと話をするといいんじゃない?約束したら〜?と提案してくれ、そだな!って。感覚でしか伝え合えないけど、赤ちゃんと話をする事にしました☺︎
私たち家族は「2」という数字にみんな縁があり、それぞれの誕生日にこの数字が入っています。なので正直な事を言うと、帝王切開になる前の2が付く日付で出てきたらいいな〜って思っていました。その日は7月19日だったので、主人に言われた通り、お腹の赤ちゃんに「もう出てきてもいいからね。私もそろそろ抱っこしてあげたいな」って話をしたのです。
その日…
にゃんと、夕方、陣痛が!!!!おったまげ〜。
我が家は主人が夜遅くの帰宅のため、4歳、8歳のお姉ちゃん達とは日頃、そのバージョンで陣痛が来た時のシミレーションをやっていました!父が帰ってくるまで夜を2人で過ごす練習を。
その通りになりました。“痛い!痛い!”って時は止まる。そして陣痛の痛みが止まる数分に、夕ご飯の片付け、洗濯たたみ、子供をお風呂に入れ、明日の保育園の用意をしました。自分の視点からお腹を見るだけで赤ちゃんが下の方に下がってきているのが分かりました。
病院に電話して状況を説明すると、「お母さん、もう病院へいらっしゃいませんか?」その一言で病院へ行く事も決めれました。子供たちを置いて行くのにやはり後ろ髪を引かれる思いがあったんです。
そして子供たちを動揺させないように、赤ちゃんが出てくるかもしれないから、ちょっとタクシーで病院に行ってくるね、すぐ帰るから!アイスを食べて待ってて〜って家を出ました。
シミレーションの時に、ママが居ないのは寂しいと泣きそうになっていた長女が本番は凛としていました。そして「大丈夫だよ!!!」と笑っていた次女が本番当日は寂しいー。と泣きました☺︎
年相応の態度で安心。次女はアイスですぐ泣き止みましたが。笑
そうして夜の21:30分に産婦人科へ到着。主人は仕事が終わってから私の両親へ連絡をし、父が来てくれるとの事で待つ。父が到着するまでに子供たちを寝かし付け、父が到着と同時に産院へ駆けつけてくれました。23:45分でした。
その頃、母体は…
私のその頃の状況は子宮口の開きが早く、すでに生み出す状況で分娩室はバタバタしてました。第一子の時のように長丁場になると思っていた主人は行室の様子にびっくりしたそうです。
そして陣痛の痛みといきみたいのを我慢していた私が最後に壁の時計で確認した時間は23:59分。
よし!もう生まれても大丈夫!(入院のノウハウが頭に浮かんでいました。23時台の1日の終わりに産むと、数分しか滞在していなくても入院費を取られる!笑)
主人が産院に到着して約20分後かな。7月20日の0:04分。三女がトーラック(帝王切開後の経膣分娩)にてこの世に誕生しました。希望通りの「2」が付く日付の日に生まれ出てくれた三女☺︎
赤ちゃんは産道である膣を通過する時、その圧力で肺の羊水を少しずつ吐き出しながら酸素呼吸に備えるそうですが、三女に限っては産道から外に出るまでが早くて、その間うまく羊水を出せなかったようです。いつもならカンガルーケアをし写真撮影をして和やかなはずが、なんか看護士さん達の雰囲気がソワソワだった。それは↑これが原因だったようです。
三女は産まれてすぐに一過性過呼吸という、呼吸が上手にできずに機械の補助が必要と判断されNICUに入りました。ほんの一瞬した一緒に居ることができませんでした。しかし、なんだかその時不思議と心配はありませんでした。
この子は大丈夫。
そう思いました。
[ NICU時、管が取れ顔が見えた時の写真 ]
主人も私に余計な心配をかけないように三女の状況をポジティブに伝えてくれていました。NICUへも主人が先に行ったのですが、酸素マスクと管に繋がれた我が子を見ても、オーラがすごくて?この子は大丈夫だ。と感じたそう。
私の入院中は一度も三女と過ごせませんでした。面会に来てくれる友人が居ても赤ちゃんが居ないのでね、悪いな〜と思いながら☺︎
本来ならすぐに母子同室で育児が始まる中、かなり楽をさせてもらいました。
そんな私の毎日は生まれた三女に初乳を届ける為に搾乳が基本。
抱っこもしてやれないので、お乳ぐらいは…と思っていましたが、退院後は予想していた通りパンパンに張るお乳トラブルでね、すっごく痛い思いをしました。
すぐに桶谷式の先生の元へ通い、ケアをました︎︎︎︎が☺︎
3番目にしてNICUのも初めてお世話になったので、何人産んでも初めての経験は初ママさんと同じ気持ちです。
私は子供たちから自分に足りないモノをいつも受け取ります
長女= なんでこんなに優しいの〜!性格良すぎ!て思わせる
そのメッセージは優しさ
次女= 言いたいことをストレートに誰にでもズバズバ伝える
そのメッセージはシンプルさ
三女= 生まれた時から安心と貫禄を思わせる
そのメッセージは大丈夫
子供たちは私に必要な事を自分の命から教えてくれます。全部、私に必要なモノです。そこを今一度考え直すようにと(たぶん🤗)
子供たちがくれるギフトはこれだけでは無く、まだまだ今も続いています。
長女で自然分娩
次女は帝王切開
三女はトーラック
出産の仕方もそれぞれで私は命を生み出す事に関して沢山経験をさせて頂きました。
これが三姉妹と私の出会いです。
また書きますね☺︎
そして続き↓