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『レモン哀歌』
「庭にたくさんレモンがなっているから」と
知り合いの方にレモンを12個もいただいた。
レモンといえばある詩を思い出す。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
高村光太郎の『レモン哀歌』である。
中学校の国語便覧で初めてこの詩を読んだ時、
私はその世界に浮遊して
光太郎と一緒に智恵子の死の瀬戸際を見守っているかのような気持ちになった。
カーテンから漏れる柔らかな日差し。
白いシーツの上の爽やかな黄色いレモンと細い指。
部屋中に広がるレモンの香り。
それからレモンを手にすると
ほんの一瞬、なんとなく静謐なものを捧げもつような
不思議な感覚を覚えるようになった。
私の胸はまた、レモンの香りでいっぱいになった。
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