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そろそろもとどおり

かつて一流サッカー選手だった著名な方が、農場で鶏を飼い野菜を育てて悠々と暮らしていてステキだと話題になっているらしい。きっと、わたしたち凡人が想像できるすべてを所有して、行き着いた先が自給自足できるシンプルな生活だったのだろう。ケガをした、からだが不調で寝込んだ、といった立場になってはじめて、ふつうに歩く、たまに無茶食いできていたのはありがたいことだったと気づく。最近、縄文時代の暮らしがクローズアップされているが、そろそろ、無駄に便利、たくさん所有したものがエライという〝ゆきすぎ〟は地球全体で卒業してみたらどうなのか。
12年くらい前、お伊勢さんの式年遷宮ご奉仕をした際に、新しい内宮の敷地に足を踏み入れて、シンプルの極致、日本の美意識とはこのこと、と絶句した記憶がある。足ることを知るなんていうが、実際にほんとうに必要なものなどそれほどないし、そのひとつひとつの素材にいのちが吹き込まれた状態こそが輝きであって、豪華絢爛などというのはまやかし(単なる欲)だとわかる。敷きつめられた白石のひとつひとつがわたしたちで、小さいけれど、それなくしては全体の美は構成されない。その背景にある見えないものが神様の全体性。わたしたちは、根源の意識エネルギーと1:1でそれぞれが対峙してひとりに1世界を生きているが、あまたの白石とも相関している。持てるものがエライ、だったらそうなりたい、自分だけ勝てばいい、先のことなど考えない、という西洋人式、大脳前頭葉優位の世界覇権がこの100年はびこってきて、とうとうガシャーンと地球を破壊しなくちゃ収拾がつかないってとこまできた。バカなの?と思うが、俺だけは助かりたいを通り越して、お前たちが邪魔だというから、気狂い沙汰だ。

昔の日本民族的な人々は、自然の摂理こそ正しいと無意識にも自覚していて、度を越すのは良くない、恵みに感謝して、仲良く分け合って生きることが永続への道だとわかっていた。わたしは個人的には、西洋式の教育を導入してしまった明治維新以降がおおまちがいのはじまりで、いっそ、もう一度鎖国すればいいのにと思うが、まぁ、そこまでいかなくてもいいから、考え直していただきたい。
もとどおり、というのは元の道理と書くのだから、天(宇宙)の法則 〉自然の摂理 〉人間の都合ってことだろう。ハウスで野菜を育てるくらいは許容範囲だろうが、遺伝子まで組み換える必要はないし、国の法律を越権するようなわけのわからない条約で縛るなんておかしい。意味不明がまかり通る世の中がマトモなわけがないから、それに従うやつもおかしい。そんなヘンな世の中からはフェードアウトしたいものだ。
そこで、冷静に考えてみて欲しい。ひとりひとり別々の世界に生きているのが事実だから、とりあえず、まず、自分の世界が変われば良い。隣のひとも変わればなおいいから、こうやって意見を述べつつ、ひとのことは批判しないで自然に任せておく。そうして、自分の世界を変えた人が1%を越えたらすべてが一気呵成に転換する可能性はある。ミクロでもマクロでも同じ理屈、この世のすべてを統べる法則だから、まず、自分でやってみる。

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