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時の過ぎゆくままに

朝からこまねずみの様にはたらいた。28年活動したNPOをそろそろ解散しようと思い立って、出版した絵本やCDの在庫を何処か(幼稚園や保育園)に差し上げようか、抱えたままにしていた古米の未開封玄米を何か子どもたちのプチ学習に役立てられないか…ひと月前にようやく手続きや方法を思案しはじめて、法務局、官報の手続きに続いて、アレやこれやしていた。コロナ禍で活動休止していた間でさえ、面倒くさがって解散は延期し続けていたのに、こうなると一気呵成の流れが生まれて、次のステップにいく。きのう試験的に玄米を精米してミルサーで上新粉を挽いたので、おせんべいと五平餅の下準備をする。なんと、そのミルサーは、母の形見で、オリジナルの初販品だったハズで30年は経っている。新しい機種もあるし、出番がないまま捨てられもせず、断捨離がかまびすしく叫ばれる時代になっても押入れにしまわれたまま。今回、壊れても捨ててもかまわないと回してみたら、何のことはないちゃんとはたらいてくれて、すごいな昔のメーカー品はと納得する。よかったね、現役復帰したねー、って感慨深い。実は、その玄米は注文が重複して30Kg2つ余ったもので、記憶にあるところでも8年以上はそのままにされていた。恐る恐る開封すると、外皮はさすがに黄色く変色していたが、虫もわいていないし、精米して研いで見たらそこそこ食べられそう(おいしくはなかろうが劣化は許容範囲?)。このあたり、調理のスキルがあれば見た目手触りで判断できる。

ウチのNPOは、理事長のワタシがいちばん年下で、何しろ言い出しっぺなので、やりたいようにやわせてもらう代わりに、経費的な責任はすべて自分が解決するスタイルを暗黙のうちに踏襲してきた。正直辛いことも色々あったが、そもそもやらなくても何らかまわないし、やったところでたいして世の中に貢献もしていない自己満足の範疇を超えないのだから、イヤならサッサとやめろ!と自分に言い聞かせてきたが、そのせいで、けっこう忍耐力は培われた気がする。今でも思い出すのは、春先に珍しく積雪があり、イベントには誰も来ず、もう少し待って誰も来なかったら撤収しようと半泣きになった矢先に「あのぅ、今からでも大丈夫ですか」とセンターの職員さんに連れられて女の子が参加してくれたこと。また、ある時は、キッズ教室の講師で、省エネをテーマに献立を教えた日、卵アレルギーや苦手なお友達は無理しないでおうちに持ってお帰りなさいと念のため告げるわたしに「苦手だけどアレルギーではないので、きょうは楽しかったので食べます」といってくれた女の子がいた。そして、何を隠そうこのわたしのペンネームは、小学校4年生の環境教育で実施したカルタの標語と挿絵の作品募集に由来している。「やめようよ 海山空のかんきょうはかい」へぇー、やっぱり女の子は、大人っぽいことを考えるもんだなと感心した。ピンクの下地をバックに空き瓶とPETの絵が描かれていたのをハッキリ覚えている。

認知症に直接関係する海馬は短期記憶を司るから、別の回路にある古くて思い入れの深いものはそのまま残る。きっと忘れないだろう。

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