見出し画像

不安定を乗りこなす②

水路に白鳥がいた。最初は、頭を水面下にぐるんと潜っていて、何なの?と凝視した。ときおり正しい位置に戻るものの、また、ぐるん、ボートが転覆している状態になるから写メチャンスがこない。しかたなく、先の方に歩いていたらスイスイーと追いかけてきたので振り向いてパシャリ…他には仲間の姿がないが独りぼっちなのだろうか、心配になった。わたしなど、1人で何処へでも行くし、この歳になると相方がいなくてほんとうによかったと安堵したりするが、ふつうは、白鳥は2、3羽でいるもの、と固定概念、先入観、わたしのイメージなんかを持っているから、勝手に心配する。元がおせっかいなタチというのもある。スイスイーと進んでいるように見えるが、水面下では必死に水かきをフル稼働している時もあるだろう。また、勝手に想像する。ガンバレ!

ここでは白鳥は波を乗りこなしてはいないが、仮に、まちがって大海に出たとすると、ややや、となるだろう。少しばかり飛んでみたところで、なーんにもない海が広がっていたらビビるし、必死に水をかいてみたところでここからは抜け出せそうにないと判断したら、しかたなく波に乗ったままがベターと悟るだろう。そう、悟るとは、差を除るでもあってフラットなこと。抗っても無駄、あるいはもっと状況が悪化するようなマネはしない方がいいとわかること。何気なく書いたが、わかるとは、無自覚に思惟しないで去来するというニュアンスで、大脳で考えて必死に何かするのを手放した状態を指す。世間では、それを潜在意識のはたらきというが、△くらいかな、ほんとうはもっと奥の深いところの、よって当然ながら時空など存在も影響もしない次元の、岡潔先生が「情」こそがわたしたちの本体と説明なさるところからの。
感情は、五感の刺激に左右され、過去の経験を記憶からアウトプットして、不安や恐怖や怒りを増幅させる。主に大脳前頭葉のはたらきだから、そこから離れて、潜在意識のもっと深いところから不意に現れてくる指令に従うことができれば感情のサーフィンには左右されない。もう、常時そうなっていたらお釈迦さまもうビックリだろうけど、そうはいかない。

心配ごとの90%は起きないといわれる。10%を除くほとんどは事実とは相違していて、とりこし苦労=無駄だったという、なかなかに辛辣で笑えない結果になる。まぁ、でも、白鳥だって、いきなり海に放り出されたら心配するし、わー、グワァって焦るハズ。わたしたちは感情を伴って生きてきるのだから、仕方がないとあきらめて、次に、わー、グワァになった時、そうそうそう、波乗りサーフィンはしないように、と思い出して行動を変えるしかない。1回上手くいったら、次もその次もと続けていけば90→70→50と無駄な心配は減ってくれる。
かの老子センセイは『無為自然』で在れと教えてくれたが、自然とは目の前の自分(自我意識)以外であり、潜在意識の奥深くの自他の区別のない情のこと。そこからもたらされる指令に従えとも解釈できる。つまり、季節になれば自動的に芽吹く草花は100%ソレに従っていて、素直で賢いともいえる。だから、心配などしてはいけない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?