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私はゴリラ・ゴリラ・ゴリラ


 トレーニングジムの受付員は、週に四回は私の顔を見るはずだ。

 四回というのは、四つのパターンに分けて、一日一日、それぞれ別の部位を鍛えていることを示している。
 胸・背中・腕・脚。
 一ヶ月ほど通い続けて身体の変化も現れてきた。

 思わずうっとりさせてくるときがある、私の身体が。
 美容院で鏡の向かい側に座ったときや、電車に乗って窓にもたれたとき。銭湯で、一糸まとわぬ姿になったとき。
 自己愛的、と言われても仕方あるまいが、大切に育ててきた筋肉を、他のひとの目に映る場所でおおっぴらにするというのは、多少なりとも密かな興奮を伴うものである。
 小学校の時、図工の時間に完成させた自信作を、同級生や先生に見てもらいたいと思ったひとも多いのではないか?
 あれと同じだ。
 もっとも、こちらは肉体であり、工作物よりもいささか生々しさが添加されてしまうのだけれど。

 私は、胸・背中・腕・脚それぞれに、こうなりたいイメージ、というのがある。

 胸ならゴリラだ。
 冗談ではない。本気でそう思っている。ゴリラの胸板はすっごく厚くて、精錬した鉄板に分厚い黒革を巻いたような重厚感があるのだ。
 私の両胸の真ん中には富士山型のくぼみがある。そこは胸骨があらわになっていて筋肉がなかなかつきにくい。だからそれ以外の部分を鍛えることで、富士山を筋肉で覆い尽くすつもりである。これは近年富士山の登山客にアメリカ人観光客が増えてきたメタファーでもある。これぞ「体現」。我ながらなにを言っているんだ。
 しかし、現時点でまだまだゴリラは程遠い。

 背中は羽である。
 想像しやすいのは、大天使、とか言われるときの、あの長くて大きな羽、あれが目標だ。
 ちゃんと鍛えられたひとの背中は、動くと羽が羽ばたくみたいに見える。圧巻である。横川尚隆を調べてもらえば分かりやすい。たぶん。
 胸をゴリラのように分厚くするとともに、背中から筋肉で身体を鎧うのだ。

 腕はれんこん。
 れんこんを馬鹿にするなよ。スーパーで売っているれんこんは切り取られた一部だけど、ほんとうのれんこんは、あれがいくつもついた形をしている。節から節へ、もこもこと膨らんだれんこんは、ひとの肩、上腕二頭筋と三頭筋に似ていると前々から感じていた。いま、あなたの腕がれんこんぐらいもっこりしてるなら、それは筋肉質な腕だと言えよう。羨ましい限りである。

 脚は馬。
 馬の後ろ脚は、付け根から膝までが一番太くて爪にかけてが細い。見た目だけ引き合わせて言うなら、股関節から膝までが太く、ふくらはぎが細く引き締まっている感じだ。あの馬の脚の形、あれは美しいと思う。ラグビー選手とか陸上選手の脚も、そんな太さがある。瞬発力に長けた太い脚。

 ここまで書いてみると、私の身体の理想は、「羽が生えたゴリラ。腕がれんこん。脚は馬」ということになる。
 なんと、私は人間をやめようとしていたらしい。危なかった。しかし、もし実現できたとして、私は人間をやめたらおそらく動物園に行くのだろうが(ここはアフリカンジャングルではなくてコンクリートジャングル・ジャポンだからだ)、羽が生えたゴリラを大切に育ててくれる飼育員なんているのだろうか。
 ゴリラの檻に入れられたら、腕がれんこんでは喧嘩に負けるだろう。羽をむしられるかもしれない。恐ろしい想像ばかり浮かんでくる。

 そんなことを妄想しながら、今日は胸の日。
 立派なゴリラを夢見て奮闘中だ。


 ※なぜタイトルをゴリラ、ではなく学名のゴリラ・ゴリラ・ゴリラにしたかというと、そっちのほうが文字面が面白いからだ。他意はない。ゴリゴリ。




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