ふりかえり13
前回書いた「なりたくない母親像」の中に、実は自分の母も含まれている。
これは大人になってから気付いた事。子どもの頃はそんなふうに感じていなかった。
例えば日常的に手を上げるとか、暴言を吐くとか、そういうタイプではなかった。だから「ツライ子ども時代」だったわけではない。
ただ、笑っているイメージがない。
子どもに対して自分の感情をどこまで見せていいのか…というような事に触れたけど、それと繋がる。険しい表情、不機嫌な表情、あからさまな溜め息。そんな事ばかりが記憶に残っている。自分が怒られたわけではなくても、その空気感は伝わるからまさに「顔色を伺う」状態。
イライラしているのは伝わってくる。その原因が何かはいつも曖昧。勉強しろとか片付けろとか、ガミガミ言うタイプではない。特に可愛がられているとも感じない。時々冷静に「お母さん感」を出してくる。そんな印象。
自分が母になる。必然的に母親像を思い浮かべる。そこで気付いてしまったように思う。「あぁはなりたくない…」だから必死に逆を目指した。
楽しい遊びをたくさんする。一緒に笑う。
理由のわからない不機嫌を子どもに感じさせない。
そして子ども自身に選ばせる、決めさせる。一番多いのは着る服を決める場面だと思ったから、小さいうちはどれを組み合わせてもいいような物を揃えておいた。ある程度大きくなってからはお店を回って、時々こちらが疲れる事もあったけど出来るだけ本人の好みを尊重するように心がけた。
サイズ、季節感、値段、必要性…大人の感覚で諦めさせた事もあったけど、一方的に決められてきた不満を味わわせたくなかった。どんな物が好きなのか、自分で選ぶ楽しさとか、それをいいねって言ってもらえるとか、どっちがいいかなって迷う事とか。大袈裟かもしれないけど任せられる、認められる経験って大事。
今では一緒に買い物してて「これどう?」って言っても「あ~ちょっと違うかな~」と返される事がほとんど(^^;)懲りずに次々トライしていると仕舞いには「全然好み合わないね」とバッサリ( ;∀;)
結構寂しいけど、自分の好みが確立されていて、妥協しない姿勢に感心する。すべてにその対応では困る場面も出てくるだろうけど、親に対しての遠慮はもっと後でいい。私が年老いた頃に、労わる意味での遠慮をしてくれぃ。
表情や雰囲気、とにかく明るくて楽しくて🎵をがむしゃらに目指した結果なのか…子どもから「もっとちゃんと怒ってよ」と言われた事がある。低い声で睨みつけて言い聞かせるようなシーン?どんな状況を求めているのか、これという答えは得られなかった。
自分が小学生の頃。夜遅く、眠くて寒くて、他の家族はもう寝ていて…母親と向き合って座り、何に対してだったのかは忘れたけど怒られたのを覚えている。言い返す事はせず沈黙が続き、なかなか終わらなかったその時間。
日常のちょっとした出来事がここまで残っている事に驚く。
自分の中の負の感情と、子どもに対して叱る怒る事との差が曖昧なところがあるのかもしれない。もし仮に表現したとして、それが子どもの心にどう影響するかが不安なのかも。
といっても特別怒るような理由がないからなんだけど、子ども側が物足りなさを感じている事は確か。
興味がないとか心配していないという事は全くない。
そこを誤解して欲しくないから愛情表現は精一杯しているつもり。言葉でも態度でも。でも私の「つもり」がそのまま伝わっているとは限らないから、これもまた子ども自身が大人になった時、本人の中に残った記憶がすべて。
時間は長くかかったけど、自分にとってのベストバランスを知る事が出来た今の私。完璧を目指さないから、ダメダメなところがいっぱいあるけど純粋に楽しく過ごせている。
子どもの頃に満たされなかった経験がある人は「自分は○○なんて許されなかった。○○なんてしてもらえなかった」と思ってしまい、子どもに対して嫉妬?のような感覚を抱き連鎖してしまうケースがある…と。深刻な心の傷じゃないからか、幸いにも私は苦しむほどのそのような感情はない。
子どもとの日々の関わりの中で時々「私は親に対して意見を言えなかった」と思い出す事はあるけど、「この子は親である私に、これだけはっきり意見を言えるのか」と良い意味に捉えられる。同時に、気持ちをぶつけられる存在である事に安心もしている。ナメられていると言えばそれまでだけど。
よくわからないけど親に遠慮してたとか、いつも雰囲気が悪かったとか、そんな記憶を子どもに残したくはない。子どもの頃、なんか楽しかったな~と思い返してくれたら嬉しい。その点では自分の中で気持ちの整理がついていると思う。
似たくない、同じようにしたくないと感じる記憶に関しては、時々「やってしまった…」と反省する場面がある。理由を言葉で伝えずにイライラしてしまったり、少しぶっきらぼうだったり。以前はその自分に対して許せなくて、今までの子どもへの気持ちや関わり、積み重ねがゼロになったのかというレベルで自己嫌悪に陥っていた。
でも時間をかけて少しずつ自分を認められるようになってきているのも実感している。つい先日も子どもに対して「あぁ、嫌な態度取ったな…」と反省する出来事があって、少し過去が蘇ったけど気持ちを切り替える事が出来た。
子どもの頃にみてきた母親像と私は違う。でも今このままにしたら、何気ない場面が残ってしまうかもしれないと感じて「さっきは嫌な感じにしてゴメン。あの時さ…」と何に対して嫌だと感じたのかを言葉にして伝えた。そしたら「うん、イライラしてると思った。でも…」と何でそうしたか子ども側の見方を話してくれた。
発した言葉や態度はもう取り消せない。後悔するような事を言ったり、したり…がないのが一番かもしれない。でも仮面を被り続けるのは無理。一番身近な家族だからこそ。その後どうするかで結果は変わると信じたい。
親だから、と気持ちを押し殺して偽っていくよりも、同じ「人」として関わっていきたい。立場が強いからと圧をかける事なく、子どもだからと下に出る事なく。一方的にまもり、まもられる関係でもなく。
こんな風に考えられるようになったのは子どもの成長を感じて頼もしい姿を目にするようになったからかもしれない。