LPレコードから、音楽と向き合う感覚を思い出させられた
ビクターのレコードプレーヤで音楽が聴きたい。
その欲求がどんどんと高まってきている。
そこで、レコードを手に入れてみることにした。
まず、第一弾は大好きなアルバムのLP盤。
今や、メジャーデビューして世界中でも有名な人になってしまった山中千尋。
大阪のインディーズジャズレーベル・澤野工房から出たファーストアルバム。CDが発売されて丁度まもなく、たまたまタワーレコードで見つけて購入したので、CDで持っている。かれこれ20年近くなるだろうか?
いきなり、知らないレコードを買ってしまうのもちょっと冒険過ぎると思って、昔買ったCDがLPになって発売されているというのを知り購入した。
https://www.jazz-sawano.com/collections/lp/products/asdulp001
このアルバムは、本当に今でも大好きで、だからこそLPで聴いてみたくなった。
LPで聴くと、ものすごく音楽と向き合う状態になる。音楽を消費する感覚では全くない。ほんとうに、「向き合う」。
そうすると、これまでこのアルバムを聴いていて感じなかったことが、色々と湧き出てくる。
ベースやドラムとの呼吸感。ピアノの鍵盤をたたいているのかなぜているのか。感情的な所までの表現が気になってくる。
曲順に込められた想い。どうしてこの曲順にしたのだろう?という事なども気になる。CDとLPでは曲順が違う。おそらく、CDで発売した曲順だと、A面・B面と時間の制限的に入らなかったからだろう。おそらくこれに関しては、CDの方がオリジナルとしての意味合いというのがあるはず。
だがしかし、こんな事を普段は全く考えながら曲を聴くという事をここのところ最近は全くしていなかった。
ああ、こういう感覚は本当に忘れていた。
レコードというのは、簡単に曲を飛ばすことができない。
特にアルバム。
A面ならA面、B面ならB面。レコードの針をおいた瞬間から片面が終わるまでが、1曲1曲単体としての作品の意味合いだけではなく、そのトータルの時間としての作品としての意味合いがある。その感覚が、身体に染み入ってくる。そして、針がレコードから離れた瞬間の静けさがやってきても、大きな余韻がずっと残っている。
CDに変わった頃、好きなアーティストのアルバムを聴くときというのは、まさに「覚悟」して聴いていたような気がする。
ウォークマンやカーステレオで聴くのに、ダビングして自分のオリジナルなものを作るときも、曲の順序を考えるなどして、構造的な楽しみ方をしていたのかもしれない。そこには、まだアナログさが残っていた。
ところが、便利な世の中になったもので、CDをパソコンに取り込んでiPodなどで聴くようになった頃から、自分の場合は音楽の楽しみ方が変わってしまった。
とにかく、好きな曲をどんどんデータとして放り込んで、ランダムで曲を流す。シャッフルされた状態で音楽を聴く。また、「今日の気分に合わないなぁ」と感じたら、すぐさまその曲をスキップしたりする。だから、その曲がアルバムの中でどんな位置づけであったとか、そういった楽しみ方を全くしなくなっていた。こういうのを「音楽を消費する感覚」と言うのだろうと、改めて思う。ものすごく安直な曲との接し方。そういうときもたまにあっても良いけれど、なんだかもったいないような気がしてきた。
LPやアルバムを聴くという事は、コンサートで曲を聴くのと同じくらいの芸術性がそこにあるような気がする。それを受け止めて曲を聴くというのも、とても身近に出来る贅沢な行為じゃないか。