向いていることを掘っていくこと
昔、2歳と0歳の息子の育児中のときに(3歳1歳のときもだったか)赤ちゃん返りもあって、上の子をとにかく大事に、、と思っていたことがあります。
ムリもしていないし、手抜きもしている、
ワンオペだったのもあったけれど、食事は簡単に、片付けも放置。
(ワンオペでなくても、同じような感じだけれども。笑)
日中は、ほかの方やお友だちとも遊んでもらったりして、たくさん発散したはずなのに、夕方以降はなんだか落ち着かない。もっともっと「みてー」ってなったり、弟に手が出たり。
睡眠、イライラしないことの方が大事だと思っているんだけれども、少しはやっぱり家のことはしたいし、そんなに何にもしていないのにどっと疲れる。
どうしたらいいのかなぁと思っていました。
そんなときに
人には場面ごとに向いている性格があって
そのとおりに生きると、そんなにチカラを入れていないのにまわりに喜ばれたり、サポート(運)に恵まれるから、物事がラクに進みやすい。
それは、仕事、子育て、色々あるんですけど。
がんばらない方がうまくいくし、自分のリズムだったり本心で生きることの大切さを知ったんですね。
なので、がんばっている感じがしたり、うーん…っていうのが続くのなら、なんか変なのかも?というのがあります。
向いていることを見つけるために、失敗したり、うまくいかないことはあるかもだけれど、やること自体は苦しいことではないはず。
イライラする、疲れるということは
自分がやらなくていいことをしているのかも、と。
ちょっと意外なのが、向いていることって、やりたいことでない場合があるんですよね。
得意だと思っていない場合もあるし、これでいいの?っていうようなことでもあったり。慣れていなくて違和感があるときもあったりします。
それでも、ほかの人よりチカラを入れずにできるものなので、それを掘っていくといいのですが、
「がんばって成果を出す」「できないことをできるようにする」「自分よりまわりの人」に慣れてきた私たちは、無意識に大変なほうを選びがちなのかもしれません。
とくに子育ては、子どものためだったらちょっとの犠牲とか、自分よりも子どもが楽しんでくれれば。と思いがちだし、あこがれもあったりで(自分にないものをやりたくなったり)自分だけラクして申し訳ないという気持ちがあったりすると、キャパを超えたことをしたくなりがち。
私もそういうのはあって、本心でムリなく動いているつもりなんだけれど、イライラしたり疲れたり、子どもの反応がおかしくて、はじめて「あっ、これはやらなくていいことだったんだ!」と気づかされたりします。
人との関係は、尽くすでも上からでもなく、対等であって成り立つもの
大変 = 大きく変化する機会がめぐってきているということ。
感情がゆれるときは、もっとラクな方法がある、やらなくていいことがある、あたらしい価値観に変更するサインなのかなと思ったりするんですね。
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sora no niwa