#手の1枚 あこはる企画9
毎度参加させていただいております
あこはるかさんの企画
今回は『手』ですか…
あの手この手でここまで参加してまいりましたが
今回はどの手を使いましょうか…
手と言ってまず浮かぶのは
やはり刀ミュのあの歌…
「てのひら」なんだよな
私は今でもまだ娘たちと手を繋いで歩く
まぁ、歳を取れば私が繋いでもらう番なのだが
最近の若い親たちは幼い子の手を繋いで歩かない姿をよく見かけるのだ。
その小さな手は、その瞬間にしか握れないというのに、その親たちの手に握られているのは
そう。
「スマートフォン」
視線すら幼い子へ向けずに道路を右左する幼い子を猫なで声で"危ないよ〜"と言うのはまだ良い方
で、怒鳴り散らしたり、スマホで話し込んでいたりとまぁ…色々いたりする。
手を繋いで歩く姿を見かけても、子供が車道側を歩く姿をちらほら見かける事がある
そしてその反対の手にはやはり
「スマートフォン」
手を握る
手を繋ぐ
それは
幼い子にとって安心感であり
何よりもの命綱だと私は思うのだが
今どきの親たちにはその感覚はないのだろう
まぁ説教臭い話はこの辺にして
私にとって手を握るその記憶は
「愛おし人を思い出す」
大切な感覚だったりします
あの、名残惜しい手の残像を今でも覚えているし
あの時の「もう、大丈夫」と告げられた力強さも
とても大切な記憶
あの時からこの手に残るその強さは
ずっと私を捉えて離さないまま
もう何年も昔の話になってしまったけれど
それだけ大切な感覚なのだ
ナーンも面白くない話しか浮かばない
それほどに『手』というものは
ごく自然に体に存在してる部分なのだ
あの人の手は見る度に強くなる
私の手は日を追う事に老いていく
この手で沢山の事を紡いできた
そう
記憶の手がかりになっている
あの小さかった手が
そろそろ私の大きさと並んでしまう
身長もそう遠くない未来に追い越すことだろう
何度ランドセルを持たされたか
何度手を繋いで学校へ登校しただろうか
きっともうそんな日は来ないんだよな…
と
明日、
ランドセル登校最終日の末娘に思う
撮った!
いや。撮ってないんだけどさ
え?どういうこと?
撮ったのは12年前の末娘が生まれた時のもの
既に腹の中で指しゃぶりして指にアザができてた
という懐かしい写真を思い出してね…
追記 人ってこんなにも変わるんだなと
あの手この手引っ張り出しながら
今回も企画に参加させて頂きました!
次の一手も考えたかったが
なかなかそうもいかぬもので
さ、この記事の中に何回「手」が出てきたのだろうか?
文章の手腕はそこまで高くは無いので
評価は手前味噌で
(キリがないのでstop✋)
(≧▽≦)
あこはるかさん
今回もありがとうございました!