「あるヨギの自叙伝」
前回の記事では、僕の個人的な見解では、優れた作品ほどリアリティがあり、SFとファンタジーとリアルの境界を感じさせない作品である。そして、そのような作品ほど、自分という世界に大きく影響し、自分自身を書き換える、という話をしました。
そしてその作品の例として、映画「マトリックス」を上げました。
そして、今回はその条件を満たし、かつ超える素晴らしい作品を紹介したいと思います。
その作品は「あるヨギの自叙伝」という本です。
この本は、出版社の紹介では、
「ヨガを行ずる者をヨギという.本書は,ヨガの聖者,パラマハンサ・ヨガナンダ師が,波瀾に富んだ自己の生涯,インドの偉大なヨガの聖者たち,ヨガの数々の奇跡を近代科学の言葉で記述した興味つきぬ自伝.読者諸氏は,師の魅力的な人物,生涯,そしてヨガが有する霊的世界に,必ずや引きこまれるであろう.」
とあります。
また「S・ジョブズがiPadに保管した唯一の書」としても有名です。初版から70年間印刷されており、50以上の言語に翻訳されています 。「20世紀の100の最も重要な精神的な本」の1つとしても取り上げられ、
様々な著名人に大きな影響を与え、映画にもなりました。
瞑想や霊的な探求、スピリチュアルに関心がある人は知らない人はいないかもしれないという本で、内容は堅く、まじめな印象を受けるかもしれません。
個人的には自伝的な要素で読めるので、小説を読むかのようにすらすらと読めました。分厚い本と、表紙の堅苦しさに威圧されて嫌煙してしまうかもしれませんが、内容はとても入りやすいです。
霊的指導者や探求者に読み継がれるのでさぞかし難解な内容かと思いきや、SFやファンタジー作家も裸足で逃げ出すぐらいぶっ飛んだ内容になっています。
例として、
・トラを自在に操る聖者
・食事をしない聖者
などは序の口です。
・空中浮遊
・数千年も若いままで活動している、不老不死のババジという聖者
・テレポート
・黄金の宮殿の物質化
・ヨガナンダの師、スリ・ユクテスワは死後、幽界のヒラニャローカという星から復活
・・・などなど奇想天外、奇妙奇天烈、摩訶不思議、という世界のオンパレードです。
私は、日常生活に疲れ、夢も希望も失ったときにこの本の世界に没頭したものでした。
世界が窮屈だ、見ている世界だけが全てではないのでは、人生の意味や目的が感じられない・・・という思いがあるときに、だまされたと思ってこの本を読んでみると良いかと思います。
人間は以下に狭い常識や慣習、固定観念の檻の中で生きてきたのか、ということが思い知らされ、無限の可能性が広がっていることに気がつくかもしれません。
宇宙は細菌から植物、昆虫、魚、両生類、爬虫類、鳥、哺乳類、人間など無限に自由自在に生み出しました。
この地球上にこれだけの生命があふれているということは、生命現象は、無限の可能性を表現し、体現していることの証拠です。
人間だけが、自ら作った思考の檻の中で生きており、その檻を超越することで、新たな可能性と希望が見えます。この過程を霊的探究と呼び、本書ではその過程でのヨガナンダという人物が中心の自伝になっています。
この本は著者ヨガナンダが、率直、かつ素直に本書を記していることが伝わります。そのため、上記のようなヨガの大師たちの奇跡の数々が、著者の妄想や作話であるとは思えませんでした。
また、ヨガナンダは人間らしい感情を素直に表現し、弟子や敬愛する師の死に際し、多くの人間が経験する深い悲しみと、執着を経験します。
このような描写も貴重であると感じました。
本書の中での「主従追求思考」の懸念
「主従感覚追求思考」とは私が創った造語ですが、この思考が強く発揮されると、本質的な目的を遂行することよりも、目上の立場の者に従うこと、ルールを守ることや、守らせ従わせることが優先されてしまいます。
下の者は必要以上にへりくだり、上に立つ者は優越感を感じ、その関係性を維持しようとします。
あまりこの感覚が強すぎる場合、その思考のモチベーションは不安と恐怖がベースになっているので先輩後輩、親子関係、上司と部下、夫婦、師弟関係の中で扱られると、
容認される虐待、パワハラ、セクハラ、いじめ、DV、依存や共依存などを発生させ、カルト組織が誕生します。
スピリチュアルの探究においても、スピリチュアルエゴが大きな問題になっています。
スピリチュアルエゴは前世のアイデンティティや自身の霊格、また自分の背後についているマスター、守護霊、守護神といった概念で、マウントを取ったり安心を得ようとしてしまうことに繋がります。
学歴、職歴、人間関係、財産でアイデンティティを保つことと同じか、見えないし証明不能の為、それ以上にタチが悪いです。
こうしたものは「百害あって一利なし」であり、物質欲を追求するよりも質の悪いものです。
本書は優れた書物であることは間違いありませんが、もう80年近くも前の本であり、いくら霊的な本質は時代を超えて変化しないとはいえ、その文化的背景や時代の変化を考慮しなければ、「主従感覚追求思考」という甘い蜜の檻の中に閉じ込められてしまう危険性があるのでは、とも懸念しています。
このことは見方を変えると朗報であり、この本が古いという感覚が正しければ、人類の意識の進化が進んでいるという証とも見れます。
逆に80年前と待ったく変わらなければ、私達人類の意識は、この本の出版時期の終戦後から全く進歩していないという悲劇の証になってしまいます。
そのようなことは、著者ヨガナンダも望んでいないでしょう。
新しい時代は、「グル」という師の関係性は探求と成長のきっかけになれど、仏陀の言う「自灯明」が大切になるかと思います。
自灯明とは、「自分自身を頼り(拠り所)として生きて行きなさい」という意味です。
自分自身を目の前を照らす灯火として、先の見えない暗闇のような人生を歩いて行きなさいということです。
そしてこれは、自分が何を信じればよいのかわからなくなった時に、自分自身の光を信じなさいという意味が込められています。
大師への敬愛は忘れずに、一人一人が自由に表現することがより大切な時代です。
本書で出てくるババジをはじめとする偉大な大師たちは、並みならぬ超人ばかりで、私も良くコンタクトを取ろうと試みたことが何度もありますが、本書のようなはっきりした形でのコンタクトや現象は経験したことがありません。
彼らの存在に魅了され、依存心をくすぶられてしまう自分ですが、
私もいつか、本書のような奇跡体験をしてみたいと常々思ってしまいます。
このような執着が、現象を遅らせているのかなとも思っていますが(笑)
依存心は程度の差はあれ、だれにでもあるもので、自分の傾向を自覚し、開いた可能性で本書と向き合えば、人によっては人生の転機になる程の影響力が、ある本です。
とはいえ、読み物として、娯楽として気楽に読んでも頂きたい本で、多くの人に手に取って頂きたいと思っています。
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