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わたしの父(自死)

わたしの父が亡くなったのは、わたしが4歳の頃。
父がどういう人だったか、幼かったわたしを振り返りながら、あまり多くは無い父の思い出を、少しづつ書いていこうと思う。

父は建築関係の職人で、地下足袋に作業ズボンと白のポロシャツで愛車の青のポーターキャブを乗り回す、お酒が大好きな人だった。

父との記憶の中で、1番印象的なのは
「冷蔵庫の中、ある物玉子焼き」だ。

仕事が終わり帰宅した後の何よりの楽しみは、やはり晩酌。夕飯までの少しの間も待てなかった父は、よく冷蔵庫にあるものを適当に入れた自作のオリジナル玉子焼きを作っては、それをアテにしつつ〈アサヒスーパードライ〉の瓶ビールで晩酌を楽しんでいた。
わたしはその[あるもの玉子焼き]が大好きで、いつも父の胡座の上に座っては玉子焼きをねだっていたのを覚えている。
大きな声で笑いながら、ご機嫌でビールを飲んでは真っ赤な顔で1日の話をしている父は、今思えばそんなにアルコールが強い方では無かったのかもしれない。

父との思い出で、その次に印象深いのは
「美味しんぼ」だろうな。と思う。
小さかったわたしは、毎週父の胡座の上に乗りながら一緒に見たのを覚えている。
お陰さまで、今も大好きなアニメ作品の1つだ。

わたしと父を繋げる唯一の作品。

余談だけど高校の頃、何日にも分けてレンタルビデオ屋さんで借りては見ていた。 

女子高生が見るビデオではないよねww
きっと、誰にも理解されないだろうなーって思いながら、1作1作を思い出と擦り合わせる様にして見ていた気がする。

その辺りが(楽しかった)父との思い出。

その他はあまり鮮明には覚えていないけど、父のもう一つの顔が色濃くでていたと思う。

ある一つの記憶のカケラでは、父が大きな声を出していて幼いわたしが両目からボロボロと涙を流して泣いている。
そして、わたしを庇う様に母が父の前に立って必死にやめてと叫んでいる姿。
横には頬を抑えて蹲っている兄の姿もある。

今思うと、酒乱だったんだろうと思う。
父は色々なストレスを飲酒と言うお手軽な方法で誤魔化しながら、酔っては大きな気持ちになり妻なり息子なり娘なりにぶつける!と言う方法で発散をしていたのかな?
と大人になったわたしは分析している。

今で言ったら親ガチャ大失敗だよなぁ〜
とか言われそうな家庭環境であります。

つづく。

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