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〜夢を諦めた私の夢に向かって一直線だった時の話 前編〜

自己紹介の記事を多くの方に“いいね“して頂き、コメントをくださった方もいてとても嬉しく思います。

今日は小さいころからずっと追いかけてきた夢が叶わないだろうと悟り、それを受け止めて生きていくことに決めた時のことを書きたいと思います。



私は、小学校3年生くらいに人を笑わせて笑顔にできる芸人さんってやば、!マジすごくない?と思い、それからずっと芸人になることを疑わずして生きていきました。

中学生、高校生とそれぞれのクラス会や学園祭でコンビを組みコントを披露していました。
それがウケた時の快感はほんと心地いいもので、、、
今思えば、学祭のノリだから…ウケたんだ…と分かりますが、その時はこのまま頑張ればいつかTVに…なんて考えていました。(甘いね自分〜)


高校を卒業してからは保育の短大に進み、(子どもも大好きで保育士にもなりたいと思っていました)

保育士、幼稚園教諭の免許を取得した後、名古屋のお笑いの養成所に通いました。


そこでまず、衝撃の事実が、、、


私の養成所の同期は7、8人のみ。自分以外は全員男。

あれ、もっといるのかと思っていた。。。と衝撃を受けました。


今思えば、今思えば芸人なりたかったら、大阪か東京でしょ!女と組みたかったら尚更!!と思うんですがね、(笑) 

同期の中で自分とコンビを組んでくれそうな人とコンビを組み、(選ぶ余裕なんてなかった、お互い)

とりあえず、芸人になる夢を叶えるために一歩踏み出したんだ!!と嬉しかった事を覚えています。



それから週に1回あるネタみせの授業に間に合うようにネタを作り始めますが、学祭レベルでしかネタを作ったことがなかった私は、ネタ作りの難しさに驚きました。

ボケを書いてツッコミを書く?ボケってなに?ツッコミってなに?分かっていたけどわかっていなかった、
毎週ネタをみせて、ボケじゃない、非日常すぎる、設定が悪い、漫才は立ち話のように、、

当たり前ですが、同期とはいえどライバル、相手のネタみせで笑うわけがありません。

シーーーンとした空気の中でネタをみせ、ダメ出しばかりをもらうネタみせはものすごくしんどかったです。




ほほう、芸人ってすごい、、


簡単そうに見えてとても難しいことをしていたんだ、と芸人さんの事を心から尊敬しました。


1ヶ月ほど通った時に、他の同期に「自分と組まないか?」と言われ、あっさりと乗り換えました。

コンビなので1ミリも恋愛感情は持っていなかったのですが、相方からの恋愛対象で見られている感じに気持ち悪さを感じ、「自分と組まないか?」と声をかけてくれた方に二つ返事であっさり承諾。
同期は7、8人しかいなかったので解散することは鬼気まずかったですが、、

しゃーーないよねえとすぐ割り切れる自分にびっくりもしつつ新しいコンビを組みました。

その頃には、7、8人いた同期が5人くらいに減っていました(笑)
まだ始まって2ヶ月なのに。
40万も払っているのでもったいないやん!とか思いましたが、急に来なくなるものです。


新しいコンビを組んですぐにキングオブコントの予選が始まりました。

キングオブコントに向けてコントを作り始めました。

2人で案を出しながら形にしていく作業はとても楽しかったです。

コントが出来上がり、ウケるかはわからなかったですが、ちゃんと形になったのでなんとでもなれ!と思い予選に向かいました。



予選1回戦では、なんと、想像以上にウケ、2回戦突破しました!!!

予選1回戦なんて受からないと話にならないんですがね、でも嬉しかった!

会場が大きく、学祭と違って、面白くないと全く笑ってももらえないような空気の中で笑ってもらえたのはものすごく快感でした。


このまま頑張るぞ!という空気でしたが、ここで、2回戦にやるネタのことで相方と揉めました。
1回戦のネタで2回戦もやりたい私と、新しいネタで挑戦したい相方と、意見が食い違いました。

結局、相方の意見を聞き入れて新しいネタで挑むのですが、


この頃から、相方という存在の難しさに悩みました。

生きてきた環境も考え方も全く違う相手とやっていく、相手の意見を受け入れつつ自分の意見もちゃんと伝える、相方という存在は恋人のようでビジネスパートナーで、

お互いが成熟していないと簡単に亀裂が走ると、、

そう感じました。



微妙な空気感のまま、いざ2回戦に向かいました。

2回戦は、

まっっっったくウケなかったです(笑)


自分たちの声だけが会場中に響いて、シーーーーーンとしていました。

ウケなさすぎて、びっくりして、セリフ飛ばしそうになりました。

2回戦のネタは、新しいネタで挑戦しましたが、最後はそれなりに私も納得して挑んだので、全くウケない状況に衝撃を受け、

面白いってナニ?

とわからなくなりました。


相方はというと、ものすごく落ち込んで、声も発せないレベルでした(笑)


その後すぐにM−1の予選があり、それも全くウケず、“方向性の違い“であっけなく解散しました。

恋人同士の「別れよう」と同じように「解散しよう」と言われました。

俺たちやっぱ合わなかったと思う。
俺から誘っといてなんだけど…

ときて、文だけ読むとめちゃめちゃ付き合っていたみたいだなあと、。


その後はピン芸人になり(組む相手がもういなかった、何せ5人しか同期いないから!)活動しました。

ピン芸人は元々なる気もなかったし、ネタを書くのもとても難しい!男と2回も解散したし、次は女の方と!!!と思い始めました。

名古屋の女芸人は3人ほどしかおらず、皆さんコンビを組まれているので、
女の方と組みたいのなら、東京か大阪や!と思い、相方募集の掲示板やTwitterを漁りまくりました。

東京で、相方と最近解散をして、新しい相方を探しているというツイートを見つけ、DMを送りました。


「コンビ組んでください!」


「どこに住んでいるのですか?」


「岐阜です!あなたと組むために上京しますので!!!!!!←言えばなんとかなるだろう精神」


と言って一回東京で会うことになりました。


「あなたと組むなら数ヶ月後には上京します!!!」と言って勢いで押し切って、

コンビを組む承諾をもらい、養成所の卒業と共に上京しました。
(今思えばすごい行動力!すごいじゃんその時の自分!)


その時は、東京に行けば、変わる、

環境が変われば変わるだろう、

今の状況(ピン芸人辛い)から解放される、

楽しいことたくさんあるだろう、人生うまくいくだろう、と期待が大きかったです。

その時は、上京して3ヶ月で解散するとは全く思っていませんでした(笑)

人生最大で落ち込み葛藤し悩むなんて、想像することもなく、

新しい環境に胸を馳せ、上京しました。



上京するまで



行動すれば、頑張れば夢は叶う、

人生うまくいかない事ばかりだなんてホント?

そんな風に思っていたのです。


上京して、もがき苦しむ、小さい頃からの夢を諦める選択肢をとり、そんな自分を受け止める、とても辛い時期でしたが、それがあって少し成長できた、

この続きはまたにしたいと思います。


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