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誰が「物流」を殺すのか - ⑲企業ごとに見る宅配便の歴史

さあ、月曜日だ。
月曜日はボクの得意分野の物流について書く日だ。
先週は「宅配便は優れたインフラ構築によって成り立っている」というテーマの記事を書いた。

今日は「企業ごとに見る宅配便の歴史」について書いていこうと思う。


宅配便サービスを始めたのはヤマト運輸

宅配便はいまやボクらの生活に欠かせないサービスとなっているが、宅配便がスタートしたのは1976年、まだその歴史は50年にも及ばない。

日本で初めて小口配送を行ったのはヤマト運輸である。
ヤマト運輸は1919年創業(創業時の社名は「大和自動車運輸」)の運送会社で、当時は東京~横浜間の定期便を中心に運送事業を行っていた会社だ。

ヤマトの宅配サービスは、二代目社長の小倉昌男氏がアメリカに視察に行った際、UPS社が行っていた多品種小量配送に刺激を受け、日本でも同じビジネスが受け入れられるだろうと考えて「宅急便」と銘打って開始したものだ。宅急便スタート当初は関東圏内のみのサービスであったが、その後「スキー宅急便」「ゴルフ宅急便」「コレクト(代引き)サービス」「タイムサービス」「クロネコメール便」などの付加サービスを追加し、1990年代には現在の形に近いものになっていたようである。

1990年には、いわゆる「物流二法」が施行され、貨物運送事業法の規制が緩和された。またそれによって「特別積み合わせ貨物運送」の積み合わせ区域が免許制から許可制になったことなども、宅配便の成長に大きく影響したと思われる。

佐川急便

一方、佐川急便は1957年に佐川清氏が創業した運送会社で、創業当初は京都~大阪間の定期便が中心だった企業だ。その後、地域ごとの特別積み合わせ事業会社の独立採算制となっていたものをひとつの会社にまとめていき、1998年に本格的に宅配事業に参入した。

佐川急便も、ヤマト運輸と競いながら様々な付加サービスを展開しているが、「飛脚ジャストタイム便」「飛脚ラージサイズ宅配便」「飛脚ハンガー便」「飛脚精密機器宅配便」など、企業向けのサービス色が強めである。

ゆうパック

もう一つ、ボクたちが気軽に荷物を送れるサービスが「ゆうパック」だろう。ゆうパックの前身は「郵便小包」だ。1871年の郵便事業の開始以降、郵便小包は個人間における荷物の輸送の中心だったが、ヤマト運輸の宅配便の台頭により、もっと手軽に利用できるサービスに変えていく必要に迫られた。そして1983年に正式に「ゆうパック」の販売が開始され、それに伴って、日本各地に存在していた「小包郵便物取次所」は「ゆうパック取次所」に名称を替えている。

ちなみに、1981年から2010年まで「ペリカン便」という名称の宅配サービスが存在していたことをご存じだろうか。これは、日本通運が行っていた事業で、1997年には国内の宅配便の20%のシェアを占めるものであった。しかし(経営戦略の変化などにより)日本通運は宅配便事業から撤退を決め、日本郵便に事業を譲渡し、現在はゆうパックに統合されている。

なお、郵便局は日本全国に2万3000軒存在する。
それに対し、ヤマト運輸の営業所は3550軒、佐川急便は1462軒だ。やはり、民営化したとはいえ、日本郵便は地域に根差したサービスを展開している。特に過疎地域や離島などの住民にとっては重要なインフラになっているのだろうと思う。

その他の小口配送サービス

このような経緯を得て、現在一般的に宅配便事業を行っている企業として認知されているのは、ヤマト運輸(クロネコヤマト)、佐川急便(飛脚宅配便)、日本郵便(ゆうパック)の3つだろう。それは一般向けにコマーシャルを打っていたり、一般向けの荷物の取扱所が街中や駅ナカにあったりするからだ。

しかし、西濃運輸名鉄運輸日本通運王子物流トナミ運輸三八五流通第一貨物など、企業向けを中心に小口配送を行っている企業も多い。彼らは郊外のトラックターミナルなどに営業所を設けていることが多いため、一般の人の目に触れる機会が少ない。しかし、小口と呼ぶには少し大きい貨物、および小ロットの貨物を中心に、企業からのニーズに応えている。

このあたりは、運送事業者ごとの戦略によるものだろう。

(続きはまた来週)



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