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散步香港148 < 尖沙咀 / St. Mary's Canossian College 嘉諾撒聖瑪利書院 >

St. Mary's Canossian College 嘉諾撒聖瑪利書院は1900年創立のカソリック系女子校。5年に一度の Open Campus Day 開放日が今日(1月19日)の午後3時までだそうだよと電影朝聖 Gary から連絡があったのが11時半過ぎ。パジャマのまま仕事している最中だったので大急ぎで仕事終わらせて歯ぁ磨いて顔洗って着替えて12時半に家を出た。30分で到着。突然出かけなくちゃいけなくなって残り時間3時間と言われても余裕で出ていけるのは香港(市區)在住の強み。だって5年に一度よ?龍哥の母校よ?行くしかないよね?

嘉諾撒聖瑪利書院

過海巴士で行ったのでまずは漆咸道南側へ到着。流石、香港一級歷史建築。この外観だけでも十分美しい。今回は、こちら側の建物には入れなかった。

漆咸道南から柯士甸道へ回り込んだら正面入り口がある。

主樓に入る。ガラス使いのドアや窓が実に良い。

色使いやデザインが悠久の歴史を感じさせる。

この無駄にうねった階段が昔の時の流れのゆったりさを感じさせる。今ならこんな下手に時間のかかる階段は作らないよね。

見学者が多すぎて人の映り込まない絵を撮ることは不可能なので諦めた。

階段を上らず右手の大課室へ。木製の長い机。私の通った大学にもあったなぁと懐かしくなる。

窗花もステキ

そしてその向こうのチャペルへ。

桃色の講壇。写真で見るとそうでもないのだけれど、実際に見るとここだけちょっと浮いた感じがしていた。ネットで調べると、もともとは九龍に住んでいたポルトガル籍の学生の為の学校だったとある。なるほど、確かにマカオにあるポルトガル系の建物の桃色に似ている。

1月も後半だというのに驚くほど暖かくて天気の良い日だったので、ステンドグラスが陽の光を浴びて本当に美しかった。

生徒たちはこの一連の彫刻のストーリーをここで聴くのだろう。

チャペルを抜けて主樓の外へ。そこは中庭になっている。ステンドグラスの裏側はこうなっているのか、ふむふむ。

見て、この凄い人出。流石、5年に一度の機会。卒業生の方も沢山来られていて「そうそう、ここでこんなことがあった」等思い出話をしていた。

グラウンドではバスケットボールの試合中。もちろん全員女子。

もういちいち美しい。万国旗が雰囲気を盛り上げていてよろし。この主樓からグラウンドを抜けて向こう側の新樓に万国旗の紐を張るのに、きゃっきゃしながらやったんだろうなーと勝手に想像し微笑ましく思う。

学校の歴史紹介が貼り出されていた。1900年の創立から始まる。

創立当初は男女合わせて30名の生徒
ここで女子校として確立したのね
日本軍が占領支配していた期間の文書。いつか時間を見つけてじっくり解読してみたい。
カリグラフィが美しい。こんな卒業証書に憧れるわぁ。

ここで気付く人は気付く。(やりたくないけど進次郎構文)

そう、ここは女子校なのだけれど龍哥の母校でもある。え?なぜに?となるよね、普通。ここは名門女子校として名高いので、香港の龍迷でも知らない人が多いこの史実。日本の龍迷ならもっと知らないかも。

その他の「女子校の男子生徒」
 聖瑪利書院に在籍した男子生徒は前述の二名だけではない。1940年代に聖瑪利學校(1960年までの名称)で教鞭を取っていた羅方麗霞先生によると、幼稚園から小学4年生までのクラスで男子生徒を受け入れていた。人数としてはそれほど多くはなかった。先生が記憶しているのは、聖瑪利女校の職員の子息・周叔慈、アメリカで有名になっている医師・陳滿堂、アメリカ留学から香港へ戻って天文台(日本でいう気象庁)に入職した李忠琛(Peter Lee、李小龍の兄)、そしてアメリカで成功し香港へ戻ってきて事業を成した李賢鑑である。え?李賢鑑なんて人は知らない?実は世界に名の知れた武術巨星・李小龍のことである。女子校の男子生徒は実に「少数派」ではあるが、彼らの残した業績は女子生徒に見劣りすることはなかった。

ここでの登録名が「李賢鑑」であることはこれまた興味深い。龍哥はあちこちでの登録名(の表記)がいろいろ違うのよ。

聖瑪利學校は一度は女子校になったものの、第二次世界大戦後の混乱の時期には男子生徒も受け入れた。その男子生徒の一人が龍哥だったというわけ。なので我々はここを龍哥の母校の一つとして認定している。5年に一度しか開放されない龍哥の縁の地なのだから、今日が最終日であと3時間しかないと聞けば大急ぎで来るわけよ。こんなチャンスはそうそう無い。いやホンマ Gary ありがとう。

これも時間を取って読み込みたいところ

そしてこれ、「1947年8月、男子生徒全員が德信學校へ編入」。これで龍哥が德信學校へ通うことになったというわけね。単に自宅裏の学校だから德信學校に通ったのだと思っていたけれど、こういう史実があることで、龍哥の個人史の背景が深まっていく。

そしてこういう写真に偶然龍哥が写り込んでたりしないかなぁなどとバカなことを考えてクローズ・アップの写真を撮ってみるわけですよ。

そしてまた主樓へ戻る。

先ほどのうねった階段を下から見上げる。

うねった階段を上がって 2/F へ。

こういう何のためかわからない小さな物の細工も手を抜かない

各クラスの課室。ちょうど西陽が入り込んできて美しい。

映画のシーンみたいでしょ。『牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day』を思い起こした。

非常階段的な廊下の端にある階段へ出てみる。なんと美しいことよ。なぜこの二面だけオレンジ色に着色しているのだろう。

まさか、こんなことして遊ぶためか?んなわけないとは思うが、綺麗に構図を取るのが楽しくて遊んでみた。

それぞれの枠の位置が少しずつ違うので、それぞれにピッタリ合う構図を取るのが楽しい。しかもバスが入り込むとか、構図を合わせて、その上に車の位置のタイミングを取るのも楽しい。

オレンジ色に塗っていないと殺風景にさえ思ってしまう。

この薄い緑色もマカオで結構見かける色な気がする。

そして屋頂。見た瞬間に「うわわ!」と叫んでしまった。古い写真や映像でよく見る屋頂で学ぶ子供たちの絵が浮かんで来たから。『七人樂隊 Septet: The Story of Hong Kong』の《練功》もこんな感じの場所だったよね。

西陽って暑いとかキツイとか嫌う人も多いけれど、私はシャープな影が出るから好きだな。

そして中庭へ。

こちらが聖米高樓。香港一級歷史建築。

建物本体の中には入れなかったのだけれど、階段部分は開放。皆が皆、木の階段だー!と喜んで写真撮りまくっていた。実に美しい。そして状態がとても良い。これ、建てた当時からそのままなのだろうか。板の表面も綺麗だけれど、たわんでいない。私が通った小学校は木造校舎で、その当時創立70年ぐらいだったけれど、階段は中央部分が擦り減って少し薄くなったりたわんだりしていた。この見事なまでの無傷状態はなんなのか。

隣にいた女性二人に「介唔介意幫我哋影張相?」と言われた。香港人は結構この「介唔介意」を使う。「可唔可以」でも全然失礼に当たらないのだけれど「介唔介意」とこられたら余計に断れないよね。写真撮ってあげたら「あなたのも撮ってあげる!」と申し出てくれたのでお言葉に甘えて。後ろのおっちゃんの「さっさとどけや」な目が怖い。

龍哥が通った頃にはこの聖米高樓と主樓は存在していたので、とにかく縁の地として写真を撮りまくって残しておく。

この大きさなら龍哥が通っていた頃からここにいたのではないかと思うので写真に収めておく。

ばっちり2時間滞在したのだけれど、人が多くてなかなか写真が撮れなかったこともあるけれど、それぞれの建物が美しいのであれこれ見所が多すぎて時間がまったく足りず。5年後の開放日にまた訪れたいな。

龍迷の皆さんも香港に来られた際には、この学校も外から見ておくといいかも。但し、絶対に勝手にズカズカ入らないように。ここは女子校なので特に男性は留意されたし。2024年10月に同校の男性教師が盗撮で逮捕されている。当該教師は当然即刻クビだけれど、校内への進入も禁止、同校の生徒や職員との直接および間接的な接触も禁止。校内の教師や生徒への専門医やソーシャル・ワーカーによるサポートも実施、メディアには二次被害を起こさないようにとの通達も出している。社会全体でこれぐらいして当然なのだけれど、日本は性加害を軽くみる社会なので。

【おまけ】隣にある Rosary Church 玫瑰堂。1901年建築なのに常にメインテナンスされているのかして新築かと思うほどの美しさ。こちらは香港二級歷史建築だそう。

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