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ジジババ精神批判
「子どもはいいから孫を可愛がりたい。余裕ある心と時間とお金で。」
(「お前疲れてんのか」と指摘が飛んできそうではあるが)時たま私の中に現れるこの考え方を''ジジババ精神''と呼ぶことにする。
つまりは、責任を負わず、自分の思い通りにしたいという心の現れである。至極自分勝手であり、疲弊した時にこのような思考になりやすい。達観してるように見えるがそうではない。これを実現させるには皺、白髪、渋い声が欲しいところ。
例えば、これといった苦労をせずに、富士山の頂点にいきたいとする。
究極に楽をしたとしてもヘリコプターに乗るという行為が必要であって、その資金確保や手配、人脈作り、といった努力は不可欠である。つまるところ、ジジババ精神の根底には少なからず、辛酸を嘗めた経験や積み重ねた努力がある。(そうでなくとも、工夫や試行錯誤がある。)
自分と異なる価値観や生活観は正直受け入れがたいし、批判の対象になる可能性もある。
例えば、「車に乗る前は靴の泥を落とす」というルールの家庭で育った友人ないしは交際相手が、自分にそのルールを強要をしてきた時どうするだろうか。
①拒否②同意③理由次第で検討、大まかにはこの三つであろう。
ここで言いたいのは、「三つとも肯定/否定して何ら差し支えはない」ということである。
「理解はするが共感はしない」との考えが正当かのように蔓延っているが、違う。 理解せず共感せず、理解せず共感する、理解し共感する、どれでも良い。
「お前の言うことがなんでも通ると思うなよ」と各々が自分に対しても言えるか。
成長と人間の熟れ具合はここに現れるのではないか。
#ルールは勝手 #自分も貴方も#サンデル#傲慢#歩み寄れる足を持っている方が近づく