天より降りし遺産
「で、いつになったら英雄サマを紹介してくれんだ?」
鳩羽色の髪をしたミコッテの女は笑みを浮かべつつ、同席する白鱗アウラの女に詰め寄った。その話になるだろうと予想していたアウラの女——青葉イズミはため息混じりに言葉を返す。
「あの娘はバカンス中だよ」
「チッ、なんだよそれ」
ミコッテの女は苛立たしげにテーブル上のタンブラーを持ったが、飲むでもなく置き直してソファにもたれた。モザイクコーヒー上空を通り過ぎたエアビークルが一瞬だけ二人の間に影を落とした。
「約束したのはそっちだろ。誰がトライヨラを護ってやったか、忘れてねぇか?」
ミコッテの女はぎろりとイズミを睨んだ。四白眼の赤い瞳は《悪鬼憑き》の証。その恐るべき戦闘能力は先の第二次トライヨラ防衛戦でも遺憾なく発揮された。津波の如く押し寄せるアレキサンドリア連王国の機械兵軍団の前に大斧一本で立ち向い、その大半を完膚無きまでのスクラップにしてしまったのだ。「もし彼女に翼があれば星竜の出番は無かったのではないか」と、参戦した勇連隊の兵士達が口々に噂するほどの凄まじさである。このミコッテの女——イ・メルダ・リコは親友であるイズミの頼みに応え、英雄不在のトライヨラを護ったのだ。
とはいえ、彼女の心を滾らせるものは血湧き肉躍る命懸けの戦闘。ひと山いくらの機械兵を幾ら潰しても飢えが満たされることはない。それにも関わらずあれだけの戦功を立てたのは、イズミがこう誘ったからだ。——トライヨラを護りきったら《光の戦士》に会わせてやる、と。その時リンクパール越しに伝わってきた殺気を、イズミは今でもはっきりと思い出せる。
しかし侵攻を退けても武王ウクラマトとその仲間達の外征は続いた。その冒険は未知の鏡像世界にまで及び、やがてあらゆる世界を滅ぼしかねない恐るべき事態が明らかになったが、最終的には武王が決着をつけた。《光の戦士》とイズミはその全てを見届けた。その後の戦後処理で《光の戦士》も雑事に追われ、リコもまた暇だからとトラルの秘境に潜っては獣を狩ったりしていた。そういうわけで今の今まですれ違いが続いていたのであり、リコの要求は実に正当なものであった。
「相手してくれねぇから、ここの闘技場で遊んでるけどよ。そろそろ全員ブチのめしちまうぜ」
リコはテーブルの上に置いてあったタブレット状デバイスをイズミに投げ渡した。ソリューション・ナイン特有の絵物語「漫画」が映されている。枠で区切られたマスの中にリコの絵がみっちりと描かれていた。過日、リコがライトヘビー級闘士「ブラックキャット」を一方的に打ちのめした衝撃の試合はすぐさま漫画化され、閲覧数は歴代首位を記録しているという。イズミは画面を指で送り、ブラックキャットがズタズタにされていく場面を流し読んだ。イズミ自身もかつて成り行きからリコと殴り合ったことがあるが、なぜ生きて帰れたのか未だに良くわからない。「凄み」とか「デュナミス」のおかげだろうという事にして、あまり深く考えないようにしている。イズミはタブレットを置くと、傍らの鞄に手を入れた。
「放ったらかしにして悪かったよ。忘れてたわけじゃないんだ」
「本当かよ?……なんだそれ」
イズミはいくつかの機械をテーブルに並べた。白一色に塗られた丸っこい長方形の箱がリコの目を引く。輪を作った二本の帯は採掘師のヘッドランプにも似ていた。しかしこれを被ればたちまち視界が塞がれてしまうだろう。他の機械は賢者が扱う短杖のように見える。訝しむリコだったが、やがて機械にオレンジ色の歯車が描かれている事に気がついた。己の斧にも刻まれてある信頼と実績の証、ガーロンドアイアンワークス社の社章。リコはイズミを見た。鱗肌の友はニヤリと笑った。
「お望みの強者だよ」
「へぇ……詳しく聞かせろよ」
リコもまたニヤリと笑い、タンブラーを手に取った。そのまま一口飲むような動きを見せたが、一瞬眉間に皺を寄せただけで、やはり口をつけず置いた。店の上空をやかましい広告ドローンが通り過ぎていく。
「……まだ冷めてなかったんだろ」
「うるせぇッ」
◆◆◆
どこまでも無限に広がる暁の地平に轟音が響き渡る。イ・メルダ・リコの戦斧《インビンサイド》が大地を叩き割った音だ。あらゆる敵を木っ端微塵に粉砕する必殺の一撃。だがしかし宙を舞うのは岩石ばかりで、相手の肉片はカケラも無い。手応えの無さにリコは一瞬歯噛みし、相手が避けたであろう方向を見る。刃。リコは全力で回避。素早く蹴りで反撃するが、中途半端な体勢で放った蹴り足はあっさりと相手に掴み取られた。
魔導甲冑に身を包んだ巨躯の男はそのまま片手でリコを吊し上げる。リコは激しく抵抗するが、その拘束を打ち破るよりも早く、男はリコの脚を掴んだまま激しく振り回した。あまりの速さにリコの身体は半透明の軌跡にしか見えず、遠目には男が魔導甲冑の上にドレスを纏っているかのようであった。
凄まじい遠心力がリコの頭部に血液を集中させ、彼女の正常な思考を奪う。真っ赤に染まった視界の端で何かの数値が急激に減算されていく。衝撃。リコの肉体が頭から地面に叩きつけられたのだ。数値がゼロとなり、リコの視界が暗転していく。見下ろす男の長い金髪と第三の目がやけに目立って見えた。完全な闇。そして男の声が響いた。
《これが神をも超える力だ》
FAILED…
——リコは勢いよく魔導ゴーグルを外した。彼女の視界に映ったのはエレクトロープ建材剥き出しのジム・トライテール。トレーニングマットの上の彼女は全くの無傷だった。
「へえ……。あんな技まであんのかよ…」
リコは不敵に笑いながらぶつぶつと戦いを振り返る。自分が殺されるまでの一挙手一投足を全て見直し、二度と同じ醜態を晒さぬ道筋を組み立てていく。
「掴まれたら腕を斬り落とす?いや、そのつもりだったのに間に合わなかったんだ。ならアイツの回避を見越して……予知だけに頼らず……よし、だいたいわかった。オイ、ヤーナ!もう一回だ!」
リコはゴーグルを被り直し、コントローラを握った。少し離れた位置にいるジムマスターのヤーナは手を振って応え、エレクトロープ端末を操作する。大小様々なモニタには「仮想現実」「異説」「皇太子」「零式」などの文字が踊る。
「条件は同じでいいね?」
「いや、人数を三人に増やせ」
「はぁ?!!アンタいまボコボコにされたとこじゃない!!!」
「もうだいたいわかったんだよ。だからもっとスリルが要る」
「どうなっても知らないよ。……はい、ダイブ開始!」
ヤーナの声と共に、端末からリコのゴーグルへ伸びるケーブルがほのかに光る。リコはトレーニングマットの上で坐禅を組んだまま動かない。一方、部屋の隅の大型モニタには暁の地平が映し出され、斧を構えたリコと魔導甲冑の男——ゼノス・イェー・ガルヴァスが相対していた。しかも、三人。両者のコンディションを表すゲージが満たされ、ラウンドがコールされると、リコとゼノスA・B・Cはお互いに口上を述べた。
《今度こそテメーを殺す。比喩じゃねぇ》
《吼えるだけの獣ではあるまいな?》
《戦を楽しまずにどうする!》
《刃を交わす気概はあるか》
そして獣たちは激しくぶつかり合い始めた。ヤーナは映し出される闘いを食い入るように見ている。ゼノスAは先程の恐るべき投げ技を再び仕掛けるが、リコは見事に回避した。ゼノスBとCの同時攻撃もあわせて捌く対応力にヤーナは思わず歓声を上げる。離れた席でモニタを見ていたイズミも同様だった。
「もう対応してるよ」
《さすがですね》
イズミの角にリンクパールから柔らかな声が響いた。
《とはいえ、まだまだフェーズはたくさんありますからね。100人組手モードとかも実装してますし、お楽しみはこれからですよ》
「よく作ったねこんなの……」
イズミがリコに進呈した魔導ゴーグルはガーロンド社が新たに開発した仮想現実模擬戦装置である。原理的にはウェルリト戦役時に使用されたものと同様だが、いまや技術は進み、カバンに入れて持ち運べるサイズにまで縮小されていた。更にはエレクトロープ技術にまで対応するなど、まさにガーロンド脅威のメカニズムといえよう。そして今回の模擬戦相手として登録されているのが、かつてその暴威で世界を震撼させたガレマール帝国皇太子、ゼノスである。
リコはこれに歓喜した。皇太子が恐ろしく強いという噂は彼女も耳にしていたが、結局彼女と皇太子の縁は交差せず、戦場で殺し合う事は終ぞ無かった。それが仮初とはいえ叶ったのだ。モニタの中のリコは笑いながら斧を振るい、ゼノスAを吹き飛ばす。イメージトレーニングではこれで終わりだった。しかし仮初の皇太子は倒れない。ゼノスBとCがAを受け止めると、三者は揃ってリボルバー式の鞘を回転させ、妖刀アメノハバキリを抜き放った。刃がひらめき、禍々しい光弾が暴風雨のごとく飛来する。リコもまた獣じみた速度で疾走し、光弾を回避してゼノス達に肉薄。再び近接攻撃の間合いに持ち込み、全力を込めて大斧を振り下ろした。
「でもソフィア、よかったの?今まであいつの事、ほとんど話さなかったじゃない」
イズミは通話の向こうにいる親友——当代《光の戦士》ソフィア・フリクセルに問うた。成すべき事を成し、トラル大陸のどこかで羽を休めている英雄は、しばし無言だったが、やがてふっと笑い返答する。
《……そうですね。あの人の事は、これからも秘密です》
「私でも?」
《ごめんなさい》
「いいよ別に。こっちこそごめん」
余計な事を言った。イズミは己を恥じた。
《でも、何ひとつ遺さないのも、ちょっと良くないかなって思いまして。シドさんに相談して、ご覧の通りです》
「……そっか」
《こんなに恐ろしい人がいたんだぞっていう、警告ですね》
イズミは曖昧な相槌を打ち、再びモニタを見た。リコは派手に出血している。コンディションを表すゲージもずいぶん削れていた。それでも彼女は凄惨な笑みを絶やさずゼノス達に殴りかかり、組みついていく。ゼノスCはゲージが尽き、ノイズとともに消滅した。
《それで……せっかくですし、わたしに挑みたい人の試験官になってもらう事にしました》
「たまに怖くなるよソフィアの事」
《わたし、皆さんが思うほど善人じゃありませんよ》
「そうだね」
イズミはエナジードリンクを煽る。ケミカルで背徳的な味が妙に沁みた。モニタ内のリコはゼノスBの放ったタイダルウェイブに流され、溺れている。
「……というかソフィアは、アレ攻略したの?」
《もちろんです。監修の上、全モード踏破しました》
「怖……」
《なんですか。ほめてくださいよ!》
「あぁごめん……。現実の方も含めて、ホント凄いと思ってるよ」
《えへへ》
イズミの脳裏に胸を張る少女の姿が浮かんだ。そしてモニタ内のリコはゼノスA・Bの放った怒涛の蛮神技を前についに打ち倒されてしまった。意識が肉体に戻ってきたリコは大の字に倒れ、ばたばたと悶えている。ヤーナが心配そうに横に駆け寄ったが、その到着を待たずリコは飛び起きた。彼女は楽しそうに笑った後、ゴーグルを外してイズミを指差して叫んだ。
「うははは!おいイズミ!今度はお前がやれ!」
「はぁ?!」
「あの野郎の動きを外から確認してぇんだよ。ぜってぇブッ殺してやる!」
「えぇ……私は生贄かよ……」
《出番のようですね。ご武運を》
「ありがと。じゃ、また連絡する」
イズミはリンクパールの接続を切り、ベンチから立ち上がる。リコの元まで歩み寄り、魔導ゴーグルを受け取った。リコはニヤニヤと笑い、明らかに機嫌がいい。
「英雄サマもいい性格してんなァおい」
「そうでしょ」
「こいつブッ殺したら、今度こそ呼んでこいよ」
「ブッ殺せたらね」
「やるっつってだろ!だから手伝え!」
「はいはい」
イズミはゴーグルを被り、仮想空間へダイブした。
◆◆◆
どこまでも無限に広がる暁の地平に青葉イズミは降り立った。はるか前方には魔導甲冑で全身を鎧うゼノスが立っている。人数は一人に戻してもらった。それでも皇太子の威圧感は尚も蛮神の如く強大であった。
ゼノスはリボルバー式の鞘を回し、名刀風断を抜く。ふとイズミは思い出す。ゼノスのこの装いはアラミゴ解放戦争のものだ。リコ同様イズミも皇太子とは相対していないが、後年放浪者となった彼は戦鎌を使っていたと聞いている。ソフィアと天の果てで立ち合った時も。だが、親友はその姿を再現しなかった。
「妬けちゃうね」
イズミはぽつりと呟き、抜刀した。彼方からもう一人の親友の声が飛んでくる。
《おい、アレだ。お前パリィが得意だろ。アイツの攻撃がどこまで弾けるか、全部試せ》
横暴なリコの物言いに思わずイズミは反論する。
「初見だぞ私は!好きにやらせろよ!」
《うっせーなオレの映像で予習出来ただろ!》
「観るのとやるのじゃ雲泥の差だよ!黙ってろ!」
イズミは通信を切り、改めて皇太子に向き直る。両者のコンディションを表すゲージが満たされ、ラウンドがコールされると、両者はお互いに口上を述べた。
「どーも、青葉のイズミです」
《俺の心を躍らせてくれ》
「……あの娘は、躍らせてくれたってわけね」
イズミは思わず聞き返してしまった。皇太子の言葉は登録された単なるデータなのだが、それでもイズミは続けた。
「お互い、とんでもない娘に捕まっちゃったねぇ」
イズミの軽口に男はかすかに微笑み、程なく斬り結びが始まった。
【了】
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登場人物・事物紹介
あとがき
ロケ地 ジム・トライテール
関連作品
途中で登場する「ブラックキャット戦の漫画」はこちら
ソフィアvsゼノスの最終決戦はこちら
イズミvsリコはこちら
コミカライズ
筆が早すぎる!ありがとうございます。
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