STINGY SOUVENIR AND SPECTACULAR SCENERY 1 - Izumi Origins EP2
黒鉄の生贄台に振り下ろされた鉈の音が、夜の黒衣森に響き渡る。幾度も鳴り響くそれに骨肉を断つ音が混ざっている事を、冒険者ネル・リナラーは暗闇の中で否応無く理解した。出来ることなら目だけでなく耳も塞ぎ、その悍ましき所業すべてを拒絶したかった。だが塞ぐための腕は血濡れた枷を嵌められている。不気味な太鼓の音と人々のざわめきの中、檻の扉がぎぃと鳴り、靴音が近づいてくる。靴音はネルの側で止まり、足枷を外す音が聞こえた。ネルの歯ががちがちと震え出す。助けが来たのではない。自分の番が来たのだ。
覆面の司祭がネルの髪を掴み、乱暴に頭を持ち上げる。思わず目を開けたネルの視界に、篝火の光と血塗れの生贄台が飛び込んできた。無論、そこに載せられた生贄の残骸も。ネルはもはや悲鳴すら上げられず、涙を溢れさせた。武具を剥ぎ取られ下着姿にされたミコッテの女には、もはや視界をぼやけさせる事でしか己を守る術はなかった。
ネルは突き飛ばされるように檻から出され、たたらを踏む。取り囲む狂信者達が松明を掲げ、歓声を上げた。共通語しか学んでいないネルには意味のわからない言葉だったが、恐らく碌な意味では無いだろう。立ち尽くすネルの両脇を別の司祭達が掴み、ネルを生贄台へ引きずっていく。最後の悪あがきで捩らせた身体に容赦無く拳が叩き込まれた。
生贄台に繋がれ猿轡まで咬まされたネルの元に、ひときわ背の高い男が近付いてきた。その頭には二本の角があった。教祖じみた男は生贄台のそばで足を止めると、手にした禍々しい杖をネルの身体に数度当て、何事か唱えた。そして、共通語でネルに語りかける。
「精霊様の御許へ行くのです。光栄に思いなさい」
ネルに向けられた笑顔には一点の曇りもなかった。そして男は生贄台から離れ、取り囲む狂信者達に向かって叫んだ。
「精霊様は心臓を捧げよと仰られた!故に、今宵は森を穢す余所者共を捧げようぞ!」
男が杖を突き上げると、狂信者達は凄まじい歓声を上げ、喜びに打ち震えた。口々に呪いの言葉を唱和し、精霊を讃える聖句を叫んでいた。ネルはあらん限りの罵倒を吐いた。猿轡で何も伝わらなくても、言わずにはおれなかった。——ニセ角尊が!お前は森の声なんか聞こえてないくせに!
「精霊」と呼ばれる存在が支配する黒衣森には、その存在と繋がり調和を保つ「角尊」が存在する。ヒューラン族から稀に生まれる角を携えた永遠の若人が、この黒衣森を、ひいては森都を導いている。そんな事は砂都生まれのネルですら知っている。
だが、目の前で狂信者を煽る男の容貌はどうだ。水平に伸びた長い耳、枯れ枝のように細く長い手脚。誰がどうみてもエレゼン族だ。おまけにあの角。近くで見れば単なる飾りでしかない事が一目瞭然ではないか。ネルは悔しさを込めてその角飾りを睨んだ。角尊を騙る怪しげなカルトの噂。それを調べるためネルは仲間と共に森へ入った。そして、下手を打ったのだ。
ネルは残された力を振り絞って身を捩る。手足に繋がれた鎖はただがちゃがちゃと耳障りな音を立てるばかりだ。覆面の司祭達はもはやネルを殴ることもせず、黙ってその光景を見ていた。教祖の男が再び生贄台のそばに戻ってくる。その手には、捻れ曲がった剣が握られていた。教祖の男は曇りの無い目で虚空を見上げ、叫んだ。
「おお!おお!異界より神託をもたらす精霊よ!今より貴方様に死の供物を捧げます!」
ネルは猿轡を噛み締め、言葉にならない叫びをぶつけた。——黒衣森の精霊が異界にいるわけないだろう。街で売ってる観光ガイドでも読んで出直してこい、と。だが、そんな馬鹿げた教義を掲げたカルトにネルは殺されようとしている。あまりにも情けない最期だった。教祖が剣を振り上げる。ネルは悔し涙を流しながら祈った。
——あぁ、誰でもいい。誰か、誰か助けて。
その時である。取り囲む狂信者達の一角が土煙と共に吹き飛ばされたのは。教祖の男が振り向く。ネルもまた、どうにか身を捩ってその方向に顔を向けた。舞い上がる土煙。その上に、闇色の巨大な渦があった。渦の下、晴れていく土煙の中には、巨大な人型の怪物が仰向けに倒れ伏している。捻れた角を有するそのおぞましき顔は苦悶に歪んでいた。教祖の男は明らかに取り乱し、叫んだ。
「ぐっ……グシオン様?!!」
グシオンと呼ばれた怪物は赤黒い血を吐き、ぶるぶると身悶える。そしてネルは気付いた。怪物は、下半身を喪失していることを。その上半身、胸部の上に、ひとりの女が立っていることを。
《ガッ……ガァァァァァッ!!!》
怪物は振り絞るような叫びを上げながら、丸太のような左腕を振り上げた。その腕を以て、己を踏みにじる女を排除しようとしたのだろう。だが、女はそれよりも疾く動いた。闇の中に剣閃がひらめき、怪物の左腕は肩口から斬り飛ばされた。
《ギィヤァァァァァァァァァ!!!》
耳をつんざく断末魔に、ネルはただただ恐怖した。駆け出しの冒険者には、もはや目の前で起こっていることが何ひとつ理解出来なかった。地獄の底から聞こえて来る叫びに誰もが慄くなか、女は顔色ひとつ変えず、刀を構える。何事か呟き、怪物の頭に刺突を叩き込んだ。怪物はひときわ大きく体を震わせ、瞬く間に闇色の霧となった。それは夜風に吹かれ、呪いの言葉を撒き散らしながら闇の中へ霧散していく。
《オオオオオオ!!!呪われよ!!!呪われよォォォ!!!》
「もう呪われてんだよ。うっせぇな」
ネルは女がそう呟いたのを、確かに聞いた。彼女の正気の糸はそこで途切れ、卒倒した。
霧が晴れ、闇色の渦——ヴォイドゲートが閉じていく中、女はその場に立ち尽くしている。教祖の男は信じられないといった顔で女を見た。刀を持ったその小柄な女には山羊のような白い角があった。短く切り揃えられた髪の下に、血塗れの鱗肌が見えた。細身の体には不釣り合いなまでに太い、鰐のような尾が備わっていた。森都から遥か東方にルーツを持つアウラ・レン族の女である事を、教祖は見抜いた。だがルーツなどどうでもよかった。女が仕留めた怪物。それこそ、教祖が邂逅を夢見続けていた精霊——大妖異グシオンだった。
「きっ……貴様ァ……なんと、なんという……」
教祖の男はわなわなと女を指さした。女はようやく教祖に気が付き、辺りをキョロキョロと見渡した。祭壇、生贄台、転がる死体、教祖と狂信者。女は状況を察し、教祖を見た。
「あぁ、悪いね。あんたらの神様だけど」
女はクスクスと笑いながら続けた。その瞳は不気味に輝いていた。
「殺しちゃった。ごめんね」
教祖は、そして司祭達は武器を構えた。
◆◆◆
椅子に腰掛けたソフィアが次の記事に目を通し始めた時、こつこつとドアをノックする音が聞こえた。ソフィアは新聞から視線を外し玄関を見やる。小さなララフェル族の女がはいはいと大広間を駆け抜けて応対に出ていた。玄関先でいくつかの符牒を交わし、女は扉を開けた。入ってきたのは、大きな背嚢を背負ったアウラ・レンの女だった。
「あら、イズミさんおかえりなさい」
ソフィアは新聞をテーブルに置き、立ち上がった。
「あぁ、戻ってたんですね。ソフィアさん」
背嚢を下ろしながらイズミは会釈を返した。イズミは背嚢のポケットから紙束を取り出し、ララフェルの女に渡す。
「ベンチャーの目録です。トトリさん、あとはよろしく」
「はいよ!おつかれさん!」
トトリと呼ばれた女は自分の背丈より大きな背嚢をひょいと持ち上げ、広間の隅へ運んで行った。
「お怪我はありませんか?最近……特に物騒ですから」
「いえ……特には」
イズミは刀を壁に立てかけ、肩を軽く回した。
「そうですか……。えぇと、あっ、ちょうどおやつの時間ですので、よかったら!」
編み込み髪の少女は手っ取り早い話題を見つけ、提示した。イズミはちらりと広間の片隅を見る。トトリの検品はまだ始まったばかりだった。どのみち終わるまでここで待つしかない。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
「えぇ、ぜひ!」
ソフィアは目を輝かせると、踵を返してキッチンの方へ駆けて行った。キッチンには浅黒い肌に赤い髪の青年が棚を片付けている。
「ねぇテオドア!先生のタルト、まだあったよね?!」
テオドアと呼ばれた青年は振り返ると、指で輪を作り戸棚を開けた。イズミはそんな風景を見ながら、リビングのソファに腰をかけた。
【続く】
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