激突!青葉イズミ対イ・メルダ・リコ
「我が槍の!サビとなるがよグワーッ!」
男の腹に女の重い蹴りが叩き込まれる。自慢の槍を振り回す暇すらなかった。男は膝から崩れ落ち、ばたりと倒れた。その身体には黒い鱗と山羊めいた角があった。
対する白い鱗と角を備えた小柄な女は、念の為もう一度男の頭を踏みつける。そしてエデンモーン装束の開いた胸元から縄を取り出して男を拘束した。慈悲をかけたわけではない。雇い主から殺しはやめろと言われているからだ。女は立ち上がり、辺りを見渡す。打ち倒されて呻く男達。広大な草原。雄大な青空。それを写す鏡のような湖畔。ここはオサード小大陸が北部の大草原アジムステップ、その辺境である。女は離れた場所に立っている人影を認め、声を掛けた。
「ラディ、そっちは?」
ラディと呼ばれた大柄なルガディン族の娘は、黒い角の男を護るよう銃を構えていたが、女の声が耳に届くと大きく手を振って応えた。
「はい!こちらも終わりましたよ!イズミお姉様!」
妹分の屈託ない声が女の——青葉イズミの角に届いた。ラディの周りにも何人かの男達が倒れている。ゴム弾でうまくやったのだろう。イズミはようやく緊張を解き、ラディの元へ戻った。彼女の隣に立つ司祭めいた男がうやうやしくお辞儀する。
「今日もまた貴女達に救われました。ありがとうございます」
「いいよいいよ、仕事だから」
「いいえ!貴女達のお陰で、我らタヒア族の聖地が血に汚されず済んでいるのです」
後ろに控えていたタヒア族達がぞろぞろと現れ、二人にかわるがわる頭を下げた。そう、冒険者であるイズミとラディの今の仕事は、この湖を聖地と崇めるタヒア族の用心棒であった。辺境のアウラ・ゼラ系小規模部族であるタヒア族は、この聖地の領有権を巡り、支配地域を隣接するソロンゴ族と長年敵対関係にある。
近年はタヒア族が優勢であるものの、ソロンゴ族の逆襲は厳しく、手練の戦士達は次々と命を落としていた。戦力の不足を補うべく、タヒア族の司祭は遥か西方の冒険者達を雇い入れる事を選んだ。件の《光の戦士》と呼ばれる英雄が草原を訪れて以降、西方の冒険者は草原のあちこちで力を振るっている。タヒア族もそれに倣い、少ないツテを頼りに募集をかけてやってきたのが、この二人だったというわけである。
「さ、皆の衆。ソロンゴの戦士達を我らの拠点へ」
司祭は掛け声と共に、タヒア族達は倒れた敵対部族を起こし、荷車に乗せていった。命を取らないどころか治療までして返すやり方に、イズミはずいぶん呑気な奴らだと辟易していた。とはいえ所詮彼女も外様の傭兵。聖域を血で汚すべからず、という彼らの文化に口を出す筋合いもない。襲って来る敵を殺さず捕まえていれば最終的にカネがもらえる。冒険者たる彼女達にはそれで充分であった。
「そろそろこの仕事も終わりですねぇ」
ラディは伸びをしながらイズミに話しかける。契約は明日で終わりだった。
「おとといの、赤いオオトカゲを仕留めたお姉様、カッコよかったですよ〜」
「あんだけ苦労したのに、本当に呑気だね…」
襲って来るのは敵対部族だけではない。恐るべき草原の魔物も脅威であった。だが二人は仕留めた。
「まぁ、あんな手配書に載るレベルの魔物なんか稀だよ。アレが今回の冒険のハイライトかな……」
イズミは腰の刀に手を掛けつつ、首を巡らせた。彼女もすっかり文明に染まった身ではあるが、アジムステップの雄大な自然に囲まれた暮らしも悪くはないと感じていた。もう少し滞在が続けば、草原を渡る風を題材に詩でも紡いでしまうかもしれない。
だが、イズミの感性は依然狩人である。ゆえに捉えた。風に乗って彼方から迫り来る、どす黒い殺意を。イズミは湖畔を背に、彼方の丘を見た。土煙を上げて丘を降ってくるチョコボが二頭。
「お姉様、あれ、チョコボですよね?」
ラディも気付いた。草原の民の騎獣は馬だ。敵対部族の増援ではない。西方の者だ。先頭のチョコボの速度が増す。ラディが大きく手を振って呼びかける。
「こんにちはーッ!旅のお方ですかーッ?!」
返答はない。先頭のチョコボは凄まじい速度で迫ってくる。乗り手は小柄な女。頭の上に見える耳からして、ミコッテ族。錯覚を疑うほど巨大な斧を背負っていた。イズミは刀を抜く。正体不明の殺意がどこから流れてきているか、はっきりと理解した。
ミコッテ女はチョコボを大きく跳躍させた。そしてそれを踏み台に、自らも高く跳ぶ。巨大な斧を抱えてくるくると回転跳躍する姿が太陽と重なった。姿が消える。イズミの背中に悪寒が走った。イズミはその感覚を信じてラディを突き飛ばし、自らも横に飛んだ。数秒遅れて、太陽から隕石のような衝撃が落着。二人の立っていた湖畔の大地が弾け飛んだ。タヒア族達は何が起こったか判らず、ただただ悲鳴を上げて狼狽した。
イズミはもうもうと舞い上がる土煙を前に刀を向け、備えた。対面のラディもスキャッターガンを構えている。土煙が風に払われ、襲撃者の姿があらわになる。黒いグラスレザー装束に包まれた小柄な女。柔らかな尾を持つしなやかな肢体。その体躯に釣り合わない巨大な戦斧を軽々と持ち上げ、細い肩に担いだ。鳩羽色の短い髪の上で獣耳が動くと、その顔がぐるりとイズミの方を向いた。吊り上がった双眸の赤い瞳がイズミを捉え、ニヤリと笑う。
「よォ、オレと遊ばねぇか」
「……誰だよ、お前」
地獄の底から聞こえてきたような問いかけに、イズミは務めて冷静に問い返した。
「あァ?オレの名は……」
「リコーーーーッ!!!何やってんだよ!!!」
女の言葉を遮るように、男の声が場に響いた。もう一頭のチョコボに乗っていた男がようやく追いついて来たのだ。槍を携えた幼さの残るエレゼンの男だった。
「俺たちの仕事は決闘じゃないでしょ?!」
「うるせぇぞローアル!どの道用心棒は先にヤッといた方が楽だろうが!」
「もぉぉぉ……さっきと言ってる事が違うじゃん!」
乱入者の二人はイズミ達を差し置いて言い合いを始めた。呆気に取られたイズミだったが、向こう側にいるラディの困惑した視線に気がつき、平静さを取り戻す。イズミはラディにハンドサインを送る。——撃て、と。ラディは頷き、スキャッターガンの照準をリコと呼ばれたミコッテの頭に向けた。今彼女の銃に装填されている弾丸はゴム製スラッグ弾だが、まともに喰らえば失神は免れない威力である。
「オレぁもう戦いたくてウズウズしてんだよ!だったらお前が——」
ラディは意を決して引き金を引いた。音の速さで弾丸がリコの頭へ撃ち出される。——大きな金属音が響いた。リコは一瞥もせず斧を頭の横へ掲げ、弾丸を防いでいた。
「わぁッ!リコ?!」
ローアルと呼ばれた男が狼狽する。ラディは信じられないという顔で固まってしまった。リコの斧からひしゃげた弾丸が落下し、地面に落ちる。リコはそれを踏み潰し、ラディを見てニヤリと笑った。
「ほら、あいつらはヤる気だぜ」
剥き出しの殺意を浴びたラディは金縛りにあったように動けない。
「仕事はお前がこなしてきな!ローアル!」
「あぁもうわかったよ!でも無茶しないで!」
ローアルがチョコボの手綱を引いた瞬間、リコはラディに向かって駆け出した。解き放たれた獣の牙を前に、ルガディンの娘は頭が真っ白になり、次弾装填も行えなかった。リコが斧を振りかぶり、首を刎ねにいく。
「まずは一匹ィ!」
「きゃあァァァァ!」
「させるかァァァァッ!」
後方から凄まじい速度で駆け込んで来たイズミがリコの背後から斬りかかる。足に込めた剣気の爆発で一気に間合いを詰める必殺剣、暁天だ。リコは舌打ちと共にラディの首を刎ねる事を諦め、身を翻してイズミの刀を斧で受け止めた。火花が散り、エーテル波動が乱れ舞う。
「ハッハァ!いいねぇ!」
「やるんなら……私にしな!」
「そのつもりだよッ!」
鍔迫り合いを弾き飛ばし、イズミとリコは距離を取って正対した。イズミはちらりとラディに向き直り、叱咤する。
「ラディ!あんたは司祭を守って!」
「は、はいッ!」
我に帰ったラディは立ち上がり、司祭達のところへ駆け出した。司祭達に接触しようとするローアルのチョコボに射撃を加え牽制する。それを見届けると、改めてイズミは数フルム先のリコを見た。
「……私は青葉のイズミ。あんたは?」
「イ・メルダ・リコだ」
「それでリコ、ね。助かるよ」
イズミはざしざしと地面を蹴り、刀をまっすぐリコに向けた。
「墓石に刻まなきゃならないからね」
「ハッ」
リコは凄惨な笑みを浮かべて斧を背負い、前傾姿勢になった。鳩羽色の髪がざわりと逆立つ。
「死ぬのはお前だ。比喩じゃねぇぞ」
リコは大地を蹴り、一気に駆け出した。内に秘めた殺気を推進力にしたかのような突撃であった。
「どおりゃあァァァァァッ!!!」
鉄塊のようなリコの戦斧が振り下ろされる。刀ごときで受け切れる衝撃ではない。イズミは軌道を見切り、紙一重で回避する。二撃目、三撃目と左右から凄まじい連打が襲いかかる。小細工など一切不要。当たればそこで完全勝利のあまりにも荒々しい戦法であった。
リコは斧を振り回しながらさらに間合いを詰めて回し蹴りを放つ。イズミはこれも回避し、その勢いを利用して横なぎの斬撃を放った。リコは斧を器用に取り回しこれを防御。お返しとばかりにリコの拳がイズミに襲いかかる。イズミはこれを刀の鞘で受けた。細腕からは想像もつかない重い一撃。イズミは呻き、数フルム分ノックバックさせられた。
「まだまだだオラァ!」
リコは跳躍し思い切り斧を振り下ろす。単純な軌道。読み切ることはイズミは容易かった。振り下ろされた斧で大地が弾け砂礫が舞い散る中、イズミは側転回避を打つ。ゴロゴロと転がりながら胸元から苦無を抜き放ち、投擲した。
死角からの完璧な投擲。だがリコはまたもや一瞥もせず斧を払い、苦無を弾き飛ばした。弾かれ明後日の方向に落ちた苦無は一拍の後、ぼんと弾け燃え上がった。火炎魔法が込められていたのだ。
「おもしれぇモン持ってんな。他にも見せてみろよ」
リコは嘲るようにクイクイと手招きした。イズミは舌打ちし、リコに斬りかかる。疑念は徐々に確信に変わりつつあった。
「噂は聞いてるぜ!イズミさんよォ!」
「何がだッ!」
イズミの怒涛の剣戟をいなしながらリコが嗤う。
「お前アレだろ?英雄様のツレなんだろ?!」
リコの右フックをイズミは刀の柄頭で受ける。イズミは問いに言葉で無く蹴りで応えた。リコは難なく防御し、更に殴りかかる。
「退屈なカルト調査任務だったけどよォ!英雄様のツレなら、相当な腕前のハズだ!」
「カルト……?!お前、何を言ってる?!」
イズミの中に別の疑念が湧き上がった。タヒア族の因習を指しているとでも言うのだろうか?イズミはここで過ごした数週間で感じた違和感を思い出そうとした。だが、リコの猛攻はイズミにそんな思考の暇を与えてはくれない。防ぎきれない拳が、蹴りがイズミを痛めつけていく。
「ぐッ……!このッ……!」
「ならよォッ!楽しませてくれよ!オレをッ!」
リコは再び斧を構え、大きく身体を捻った。イズミは覚悟を決め、刀を肩に担ぐ奇妙な構えを取った。戦斧の恐るべき一撃を大きく回避。そのまま間合いの外に出て仕切り直すかに見えた。だがイズミはそこから横なぎの斬撃を繰り出す。
間合いを見誤った破れかぶれであろうか?否。イズミはほんの一瞬だけ刀の柄から手を離した。遠心力で刀がすっぽ抜ける寸前に柄頭を握り直し、斬撃の間合いを延長したのだ。紙一重の攻防において、それは決定的な差となる。誰にも見せた事のない、イズミの秘技であった。
——それでも、それでもその剣筋は空を切った。リコは初めから、延長された剣筋に沿って回避行動を取っていた。鈍化した主観時間の中で、イズミは確信した。かつて英雄から聞いたアラミゴ解放戦争の話。髑髏連隊の隊長と同じ能力。——こいつには「予兆」が視えている、と。
リコが倒れ込みながらゆっくりと身体を捻る。回避の勢いを利用したカウンターパンチ。イズミは歯を食いしばる。予知など無くても、その拳が自分の顎を打ち抜くのは明白だったからだ。主観時間が戻り、リコの拳がイズミの顎を強く打った。
鈍い音を響かせてイズミの身体が宙に浮く。イズミは消えそうな意識の尻尾を掴む。だが、リコは空中のイズミに容赦無く前蹴りを叩き込んだ。イズミは数十フルムの距離を吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がり、波打ち際に力なく沈んだ
「ちょっとビビッたぜ。で、次はどーする?」
ずぶ濡れのイズミはぴくりとも動かず、ただ波に洗われていた。
◆◆◆
「このっ……このぉ!」
ラディは司祭を先行させ、後方に射撃を続ける。追っ手のチョコボはそれでもしつこく追ってきていた。他の部族兵達は既に排除されている。このままでは追いつかれてしまう。焦りがさらに狙いを乱した。
ラディは司祭に促されるまま湖畔を走る。やがて桟橋のような場所に辿り着いた。簡素な作りだが、装飾として掲げられている紋章はタヒア族のものだった。司祭は桟橋でぴたりと足を止める。ラディは混乱した。もっと逃げると思っていたからだ。
「あのあのあの!まだ追っ手がですね!」
ラディは司祭のわたわたと進言する。
「ほら、まだあそこに……あれ?!」
ラディが後方のチョコボを指さすと、そこで手綱を握っていたはずの男がいなくなっていた。ラディは目を瞬かせ、ふと思い立ち空を見た。男はそこに居た。竜騎士の跳躍。圧倒的な速度で一気に距離を詰めてくる。
「な……なんでみんな飛んで来るんですかァ!ずるいですよォッ!」
ラディの叫びと、竜騎士の着地は同時だった。どん、と大地を揺らし、エレゼンの男——ローアル・トリスタがラディ達の数ヤルム前に降り立った。ローアルはぜぇぜぇと息を切らしながら槍を構え、口を開いた。
「話を……聞いてくれ!そいつ、ヤバいんだ!」
「や、ヤバいって……ヤバいのはあなた達じゃないですか!いきなり襲って来て!」
「そ、それはゴメン!リコには後で言っておくから……!じゃなくて!そいつ!後ろ!」
ローアルは槍の穂先でラディの隣を指し示す。
「司祭様が何だって言うんですかッ!ねぇ司祭さ……?!」
ラディが振り向くと、司祭は桟橋の先へと逃げ去っていた。
「えぇ!なんでェ?!」
「逃すかッ!」
ローアルは手にした槍を思い切り投擲した。槍はぐんぐん加速し、司祭を貫くかに思えた。だが寸前で魔法障壁に阻まれ、槍は弾き飛ばされる。
「ええええ?!」
「もう生贄は十分確保した……!」
司祭はフードを外し、ニヤリと笑った。年嵩のアウラは懐から怪しげな宝玉を取り出し、掲げる。
「い、生贄ェ?!」
「そッ、そうなんだよ!」
ローアルはエーテルを操作し、槍を引き戻す。構えを取り直し、ラディを守るように立った。
「あいつ、よその部族の人間を捕まえては殺してるんだ!」
ローアルは懐から一枚の紙を取り出し、ラディに手渡した。そこには司祭の人相と、ローアルの言う罪状が書き連ねられていた。発行元は東方連合。連合代表ヒエン・リジンの署名付き。完全な公文書だ。
「えええ!じゃあ、殺すなって言ってたのは……!」
「然り!我らが守護神の供物としてやったわ!」
司祭は高らかに笑いながら宙に浮かび、湖面へと逃れていく。
「なッ……なんてことを!」
ラディは怒りに任せてスキャッターガンを撃ったが、既に司祭は射程外にいた。湖面に落ちたスラッグ弾が虚しく波紋を広げる。
「時は来たれり!目覚めよ!」
司祭の掲げた宝珠がひときわ輝き、湖面が渦巻く。逆巻く波があっという間に司祭を飲み込み、司祭の姿は消えてしまった。ラディとローアルはそのまま構えを解かず警戒する。何も起こらない。ラディが銃口を微かに下げた時、ずん、と地面が揺れた。
「うわぁッ!」
「きゃあッ!」
大地の揺れが激しくなり、湖面が大きく盛り上がった。何かが湖底から飛び出してくる。
「な、なんかヤバい!逃げよう!」
「はっ、はいッ!」
ローアルはラディの手を引いてその場から離れようとした。だが、突如吹き荒れた凄まじい突風が二人に襲いかかった。エレゼン族とルガディン族という、決して小さくはないふたりの身体が、おもちゃのように巻き上げられ、空高く吹き飛ばされていく。
「うわぁぁぁぁぁッ!」
「おねえさまぁぁぁぁぁ!」
湖面の水柱はさらに巨大になっていく。そしてその奔流の中に、血のような赤い光が確かに灯った。
◆◆◆
「なんだァ?もう終わりか?」
リコは構えていた戦斧を背中に戻す。殴り飛ばしたイズミが起きてくるのを待っていたが、一向にその気配は無かった。
「チッ、つまんねぇ……。期待ハズレだったぜ」
リコは深いため息をついた。頭の上の獣耳がぱたりと折れる。
「しかたねぇ、ローアルんとこ行くか……」
グラスレザー装束の埃を払い、波打ち際を歩き出す。横目で倒れ伏したイズミを再度見たが、やはり彼女は倒れたままであった。
「ツレじゃあこの程度か。英雄様は楽しませてくれッかな……」
……イズミはその言葉を聞き逃さなかった。意識は無くとも魂が聞いていた。彼女は急速に意識を回復させ、勢いよく立ち上がった。怒りだ。怒りがそうさせたのだ。
「うおッ」
予期せぬ挙動にリコは驚きの声を上げた。ずぶ濡れのイズミはまるで幽鬼のようである。イズミは顔を上げ、リコを睨みつけた。
「……止める」
「あァ?」
「英雄はね……あんたみたいなのが……一番嫌いなんだ」
「………」
「あんたが英雄を狙うってんなら……私がここで……絶対に止めてやる……」
「寝てたクセに、言うじゃねぇか」
リコはニヤリと笑い、イズミに向き直った。獣耳がぴこぴこと跳ねる。
「……リコ、あんたの手の内は」
イズミは胸元から銀色のブラスナックルを取り出し、両の拳にはめた。
「だいたいわかった」
それだけ言うと、イズミは足に沈めた怒りを爆発させ駆け出した。水柱を巻き上げ、リコにまっすぐ突撃する。
「いいぜ!来な!」
リコも斧を投げ捨て、拳を構えた。あっという間に間合いを詰めたイズミは思い切り振りかぶり、勢いに任せた拳をまっすぐ突き込んだ。
「だらぁぁぁッ!」
拳がリコの顔面を撃ち抜き、奥歯をへし折る。——そんな映像をリコは幻視した。幻視の通りに迫り来るイズミの拳を、リコは難なくいなす。これこそリコに備わった《超える力》だ。あらゆる攻撃予兆を知らせるその力を前では、イズミが最も得意とする奇策や不意打ちなど何の意味も持たない。天敵とも言える最悪の相性であった。
リコはニヤリと笑い、イズミの顔面にカウンターパンチを叩き込む。クリーンヒット。だが、イズミの目はまるで怯んでいない。一歩も引かず、さらに拳を繰り出す。右から、左から、あらゆる方向から凄まじい速度で連打を放った。
「うぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁッ!!!!」
全ての攻撃をリコは予知する。右フック。左アッパー。右ストレート。左ローキック。それらを回避し、いなし、的確に反撃を差し込んでいく。イズミはその度血を吐きたたらを踏むが、それでも怒涛の勢いで攻め続けた。
「どうした?!得意の手品を見せてみろよッ!」
リコの言葉は挑発だ。イズミは構わず攻め続ける。リコはそれを全て凌いで迎撃していった。二人の超至近距離戦闘のスピードは際限無く上がっていく。どこまでも、どこまでも。
左ストレート。右バックブロー。左ハイキック。右ストレート。目突き。リコは全て見切っている。左チョップ。左バックスピンキック。右ミドルキック。左ストレート。右バックブロー。拳がリコの頬を掠めた。右膝蹴り。予兆だ。目突き。左チョップ。これは現実。左膝蹴り。違う。先に来るのは右。リコのガードが一瞬遅れた。蹴り返す。殴り返す。左右の連撃が来る。左膝は打たせなかった。別コンボルート。ストレート。ストレート。ストレート。
「うあぁぁぁぁぁらぁぁぁぁッ!!!!」
リコの予兆に現実が重なる。ストレート。ストレート。ストレート。ストレート。ストレート。反撃を差し込む隙間が潰されていく。ストレート。ストレート。ストレート。ストレート。逃げるべき?却下。リコは闘争本能をフル回転させ、イズミの猛攻を見切った。予兆のわずかな隙間。リコはその一点に飛び込んだ。
イズミの腕が伸び、リコの胸ぐらを掴んだ。
「……捕まえた」
イズミは傷だらけの顔で今日一番の笑顔を見せた。リコは気付いた。予兆の隙間は、餌。リコはイズミに動かされたのだ。拘束されてしまえば回避など望むべくも無い。イズミの拳がついにリコの顔面を捉えた。
「でぇやぁぁぁぁーーーーッ!!!!」
「ぎゃああぁぁぁーーーーッ?!!!」
渾身の一撃をまともに喰らったリコは思い切り地面に叩きつけられた。イズミはフォロースルーでバランスを崩しかけながら、どうにか堪え、叫ぶ。
「見たかァ!この【ひんがしスラング】!!!」
イズミは聞くに耐えない暴言を足元に転がるミコッテの女に投げかける。恐ろしい相手だった。だが倒した。イズミは右手を高々と掲げる。ミコッテの耳がぴくりと動いた。
「私の、勝ち——」
「——にゃあ、まだ早いぜ。この【ウルダハスラング】!!!」
リコは冒涜的な暴言を吐きながら飛び起き、イズミの腹部に右アッパーを叩き込んだ。イズミは激痛と吐き気でもんどりうった。
「ぐぁぁぉぁぁッ!クソッ!私が勝っただろうが!寝とけよ!そこは!」
「一発入れたぐらいで気持ち良くなってじゃねぇッ!」
リコは夥しい鼻血を拭いながら、更に拳を叩き込んだ。イズミも黙ってはいない。リコのストレートにあわせてイズミの綺麗なクロスカウンターが決まった。二人分の血飛沫が舞った。
「がッ……」
「おごッ……」
二人はもはやまともに構える力も無い。だが、倒れなかった。こいつには絶対に負けたくないという意地が二人の脚を支えていた。
「上等だ……とことんやってやる……!」
「そりゃあオレの……セリフだぜ……!」
雄大なアジムステップの空の下、女が二人、不恰好に殴り合いを続けた。鈍い打撃音が草原の風に乗り、彼方へ運ばれていく。互いが向け合う心は間違いなく怒りと憎しみだが、湖面の反射光で照らされたその光景は、ある種の美しさがあった。——そして湖面を割って、巨大な影が現れた。
『ぐわはははははは!!!!』
魔力で増幅された司祭の声が響き渡る。凄まじい水飛沫とともに姿を現したのは、30ヤルムを超える巨大なゴーレムだった。アジムステップ北部に聳えるテール山脈を削り出したかのような無骨な姿は、バルダム覇道で武芸者を試す番人にも似ていた。巨像の巻き起こした大波はあっという間に湖畔を襲い、未だ殴り合う女二人を呑み込んだ。
「ぶわぁッ!」
「ぎゃあッ!」
波に押されてゴロゴロと転がり、ずぶ濡れになったところでようやく二人は湖に聳え立つ巨像を見た。
「な、なんだアレ…?」
「あれ、そういえばオレ、何しに来たんだっけ…?」
呆然とする二人の遥か上から、わずかに人の声がした。
「〜〜〜〜〜!」
イズミとリコは顔を見合わせ、同時に上を見た。遥か上空から落ちてくる人影があった。
「わぁぁぁぁ〜〜〜ッ!!!」
「きゃぁぁぁ〜〜〜ッ!!!」
「ローアル?!」
「ラディ?!」
竜騎士ローアルがラディを抱えて落ちてくる。彼はその力をフル稼働させ、空中を蹴りながら何とか姿勢と速度を制御していた。
「こんのぉぉぉぉッ!!!」
ローアルはラディを護りながら強引に着地した。長い距離を滑り、どうにか止まった。ラディは目を回していたが、生きていた。
「……え、何。どういう状況?」
「ローアル、あのデカブツ何なんだ?」
「ハァッハァッ……しゅ、出発する時に言ったじゃんか!俺!ちゃんと!」
抗議するローアルを尻目にリコは腕組みし、尻尾をぷらぷらと振りながら記憶を辿った。出発前のブリーフィング……。やがてリコは記憶を取り戻し、尻尾がぴょいと持ち上がった。
「アレだ!クソカルトの秘密兵器!」
「そう!……ごめん!召喚防げなかった!」
「クソ……カルト……?」
「お姉様!これ!」
訝しむイズミのもとへラディが駆け寄り、ローアルの持っていた手配書をイズミに手渡した。イズミは書き連ねられた司祭の罪状を読み、全てを理解した。ぐしゃり、と手配書が歪んだ。
「私たち、騙されてたんです……!」
「えっ、じゃあ……ギャラは……?」
『そんなもん、あるわけなかろう!!!』
巨像が大地を揺るがし、応えた。
『貴様らも最終的には生贄の予定だったわ!阿呆め!』
イズミは目の前が真っ暗になった。ようやく掴んだ借金返済のアテが消滅してしまったからだ。
『ふはははは!このタヒアの巨像ならば、終節の合戦など関係ない!ワシが支配者じゃ!』
タヒアの司祭は悦に入った演説を打ち、巨像の腕を掲げた。しかし足元の四人は誰も聞いてはいない。特にイズミは、何ひとつ未来が見えなくなっていた。それでもイズミは未来を諦めず、希望を探した。そしてそれは手の中にあると気付いた。
「ねぇリコ」
「なんだよ」
「あんた、あの司祭を捕まえに来たんだよね?」
「あぁ、そうだぜ。ぶちのめしに来たんだ」
「手伝ってやるから、ギャラ分けて」
「はぁ?ふざけんなよ!」
「うるさいな!私にだって生活があるんだよ!」
「なんで上から目線なんだテメェ!」
「ラディちゃん…だっけ?きみのお姉さん、いつもあぁなの?」
「お恥ずかしい……すみません……」
巨像の司祭は完全に無視されていた。雲を掴むほど巨大な力を得たにも関わらず、誰ひとりこちらを見ていない。耐え難い屈辱であった。司祭は魔力をたぎらせ、巨像の掲げた拳を足元のさもしい女に叩きつけた。凄まじい揺れと衝撃が駆け抜ける。
「わぁッ!リコ?!」
「お姉様ッ?!」
イズミとリコのいた場所はクレーターのように陥没していた。立っているものは誰もいない。二人は木っ端微塵にされてしまったのであろうか。いいや、そんなはずはない。ラディは斜め前方を見た。その顔がぱぁっと明るくなる。
「ローアルさん!いました!お姉様たちです!」
ラディの指差す先、そこにはフック付きロープで巨像へ飛んでいくイズミと、イズミの小脇に抱えられたリコの姿があった。イズミは巻き上げ機構でロープを巻き上げ、巨像の頭上目指して宙を舞う。
「ひょう!やるじゃねぇかお前!」
「そりゃどうも!って、いいから予知しろ!予知!」
「右から来てんぞー」
「右だなッ!」
巨像の背中から槍のようなミサイルが飛来する。恐ろしい速さであったが、リコの予知の前には無駄であった。イズミは懐から鉄扇を取り出しぐるりと回すと、扇は巨大な円形盾に姿を変えた。イズミの隠し武器、金城鉄壁だ。ミサイルは巨大扇に阻まれ二人は無傷だ。吹き飛ばされて狂わされた軌道もイズミは素早くロープを射出し修正する。二人はあっという間に頭頂部に到達し、そのはるか頭上のポジションを取った。イズミは胸元から短筒と弾丸を取り出し、弾丸を込めながらぽつりと呟く。
「……さすがに人には使えない物も、ある」
イズミは短筒で巨像の頭を狙い、引き金を引いた。乾いた音が鳴り、着弾した場所は小さく岩が削れた。数秒後、頭頂部は大爆発に飲み込まれた。
「うおおお?!」
予想外の爆発規模にリコは驚きの声を上げた。
「破壊魔法が入ってんだよ。アレ。」
「懐に何入れてんだよ。イカれてんのか?」
「あんたに言われたくない」
言いながら、イズミはニヤリと笑った。リコもつられて笑みを返した。足元には、剥き出しになった巨像のコアが見える。
「よぅし、行ってこい!」
イズミは腕を広げてリコを真下に落とした。
「よっしゃあ!」
リコは背負った戦斧を大上段に構え、猫のように身体を捻りながら落下していく。やがてその動きは車輪のような縦回転へと変化していった。
「喰らいやがれぇぇぇぇッ!!!」
殺戮トマホークブーメランと化したリコは、重力加速度を超える勢いで巨像のコアに戦斧を叩き込んだ。エーテルが稲妻の如く乱れ飛び、火花を散らす。司祭は衝撃のフィードバックに耐えられず絶叫する。
『ぎゃぁぁぁぁぁぁッ???!!!』
「砕けろやぁぁぁぁぁッ!!!」
リコの赤い瞳が燃え上がり、戦斧はコアへ食い込んでいく。びしり、びしりとヒビが拡がり、コアは今まさに砕け散らんとしていた。しかし司祭もそれに抗う。長きに渡って暗躍を続けついに起動させた巨像を、通りすがりの獣に破壊されるわけにはいかない。
『そッ、草原の支配者は私なのだ!!!私が!!!』
司祭の命を削る魔力がコアを修復していく。彼にも意地があるのだ。——だが
「奥義、波切ィ!」
もうひとりの獣、イズミが叫びと共に上空から落下してくる。そして必殺の斬撃をコアに叩き込んだ。甚大なフィードバック痛が司祭に襲い掛かる。
『うッぎゃぁぁぁぁあぁぁぁッ!!!!』
「よし、これで半分は私の手柄だ」
「あァ?!もうブッ壊せるとこだったんだよ!!横から何言ってやがる!!」
「戦いは早さと速さが勝つんだよ。あんたも大した事無いねぇ?!」
「言ったなァてめェ?!見てろオラァ!!!」
『きっ、貴様らなんぞにィィィ!!!』
「「う!る!さ!いッ!!」」
リコとイズミは同時にコアを睨み、最後のひと押しを揃って叩き込むと、巨像のコアは木っ端微塵に砕け散った。二人はそのまま巨像を砕きながら頭部から湖面まで一気に落ち、水柱を上げて水の中に消えた。一瞬の静寂。——そして巨像の頭部は盛大に爆発した。身体を構成していた岩石は次々と湖面に落ち、巨像は完全に崩れ去った。タヒワ族の神話に描かれた神は消えた。
——大波が収まった湖からずぶ濡れのイズミとリコが這い上がって来た。二人は苦労して司祭を水面から引き上げ、そのあたりに転がした。完全に失神しているが、まだ生きている。荒れ狂う水中でどうにか捕まえたのだ。全ては報酬のためである。精魂尽き果てたふたりは草の上に座り込んだ。イズミは胸元から煙草を取り出しそうとしたが、どう考えても水浸しなので諦める事にした。
「……疲れた」
「……オレも」
ふたりはぼんやりと湖を見つめた。さっきまでの凄まじい戦いが嘘のように静まり返っていた。アジムステップの空は変わらず広く、青かった。
「……結構やるじゃねぇか、イズミ」
「……あんたもね、リコ」
ふたりはおずおずと顔を見合わせ、ぎこちなく笑った。爆発から退避していたラディとローアルの駆けてくる声がする。冒険の終わりだ。
「とはいえ、決着は着いてねーからな……。次に会う時まで、預けとくぜ」
リコは不敵に笑い、拳を差し出した。イズミはもうあんな殴り合いなどごめんだった。だがしかし、胸に宿った熱い感情に嘘はつけなかった。イズミは苦笑し、拳を合わせた。
「……クリコンなら、付き合ってやるよ」
【了】