遥かなる新大陸へ
「でりゃあぁぁぁッ!」
「アバーッ!!!」
斬撃を叩き込まれたオーガ種の妖異は正中線から真っ二つに分断され、サベネアの森で爆発四散を遂げた。だが、それを成したアウラ・レンの女——青葉イズミは少しも表情を緩めず腕を引き絞り、霞の構えを取り直す。名状し難い呪文と共に愛刀の刀身を指でなぞると、刀はたちまち赤黒い殺戮のエーテルに覆われた。
「……逃すかッ!」
イズミの居合が霧散していく闇のエーテルを横薙ぎに斬り裂く。その刃はエーテルに紛れていたマテリア大の闇塊を過たず焼滅させ、妖異の魂は断末魔と共に星海へ送られた。イズミは反動に任せてくるりと回転した後、ようやく刀を納める。深く息を吐くと同時に、イズミの上着ポケットから目玉が現れた。
「いつもながラ、大したものダナ」
目玉はイズミの肩へよじ登りながら、歪な声色でねぎらいの言葉をかけた。肉色の軟体に大きな単眼という容貌は、妖異狩りたるイズミであれば即座に斬り捨てそうな存在であるが、当のイズミは目玉を軽く撫でて応対する。
「どーも。ま、これぐらいはね」
それもそのはず、彼は——彼女かもしれない——ラザハンの星戦士団に所属する対妖異部門の一員であり、本体は団の詰所に鎮座している。これはその分体だ。さる事情から彼は故郷の第十三世界を捨て、この地に根を張り暮らしていくことを選択した。同族を感知する能力を活かして、社会に害なす妖異の出現をいち早く知らせる事で市民権を得ているのである。
「しかシ、本当にこれデ最後なのカ?」
目玉はくぐもった声でイズミに問うた。
「そうだよ。寂しい?」
「そうダナ。お前は強いシ、寂しくないと言えバ嘘になル」
「光栄だね。次の担当とも仲良くやりなよ」
イズミは荷物を背負うと、さっさと歩き出した。次の狩場までは少し遠い。沼地を飛び越え、野生の獣を刺激しないよう進んでいく。サベネア島に来た頃のイズミはジャングルを歩く事すら難儀したが、永らく住み着いた今はすっかり慣れたものである。だがしかし、冒険者はいつか旅立つ時が来るのだ。
「何と言っタかな。お前が向かうところハ」
「あぁ、それはね——」
◆◆◆
「新大陸、トライヨラまで。大人ふたり」
「あいよ!乗船まではもう少し待ってな!」
大柄な男から乗船券を受け取ったイズミは人でごった返す受付から離れ、波止場の方へ足を向ける。リムサ・ロミンサの眩しい日差しに目を細めながら戸外へ出ると、岸壁の端にある大きな帆船が目に入った。己を新大陸まで運んでくれるその船体が妙に頼もしく思え、イズミは僅かに口角を上げた。
湧き上がる興奮を胸にしまい、人が行き交う波止場に視線を巡らす。水夫たちは忙しく荷物を運び、行商が乗客や見送り人相手にたくましく商売をしている。海都は立派な体躯を誇るルガディン族が多く、小柄なアウラ族のイズミでは見通しがいまいち効かない。ラザハンのバザールもたいそうな人混みであったが、同族が多いあの街はそこまで苦労することもなかった。
どうにか待ち合わせの街灯を見つけ、イズミはそこへ足を向けた。待ち合わせ場所には赤い髪のルガディンの娘。足元には大きな背嚢が二つ。娘はイズミを見つけるとニコリと笑い、手を振った。
「お姉様!チケット取れましたか?!」
「取れたよ。ほら、ラディの分」
イズミが乗船券を手渡すと、ラディは満面の笑みで受け取り、くるくるとその場で回った。
「やったー!これでバッチリですね!」
「落とさないでよ……?高いんだから……」
姉貴分に諌められ、ルガディンの娘は慌てて乗船券を懐にしまいこむ。イズミはやれやれと嘆息しつつ、手近に転がっていた樽に腰掛けた。懐から煙草を取り出し、火をつける。
「乗船はもうちょっと後だって」
「じゃあこのまま待ってましょう」
ラディも手頃な箱に腰掛け、紫煙を燻らすイズミと並んだ。懐に入れた乗船券がやはり気になり、再び取り出してまじまじと見つめる。行き先はトライヨラ。ここエオルゼアから蒼茫洋を越えた遥か西の新大陸、その首都の名が記されている。
——本当に私とでいいんですか。
ラザハンのアパートでイズミから新大陸行きを持ち掛けられた時、ラディは思わずそう聞き返してしまった。新大陸を股にかけた王位継承レース。降って湧いた冒険の話を聞かせてくれたのは、イズミの親友にして彼女の憧れの英雄、当代光の戦士ことソフィアだったからだ。
——イズミさんもラディさんも、いかがですか。
オールド・シャーレアンのカフェで英雄はにこりと笑い、二人を誘った。突然の言葉に慌てるラディの横で、イズミはしばし沈思黙考し、その場での返答はしなかった。そして数日後、イズミはアパートの解約手続きを進めながら、ラディに向かってこう言った。
——先に行っちゃおうよ。
——あんたも一緒。ふたりであの娘をびっくりさせてやろう。
そうして彼女らはラザハンで残した仕事を片付け、新大陸へ向かう船へ乗り込もうとしていた。そんなここ最近の出来事を、ラディは潮風に吹かれながら思い返していた。
「……一番キケンな候補者をあたるっていうのは、変わらないんです?」
「そうだね。どれぐらいヤバいかによるけど」
イズミは煙を吐きながら応えた。
「ソフィアと正面から競うなら、王女様の敵につくのが手っ取り早いよ」
「うぅ〜。何度も聞きましたけど、やっぱりドキドキしますね……」
「大丈夫だって。その手のやつは腕っぷしだけで認めてくれるよ。で、本当にライン越えのヤバいやつだったら、さっさと逃げちゃおう」
「程々のヤバさだと良いですねぇ。そうなった時はソフィア様の所に?」
「……やだよ。ソフィアとは一緒にいたいけどさぁ」
イズミはもはや照れもせず言った。
「暁のお坊ちゃん達もいるわけでしょ。私、苦手なんだよ。あの子ら」
「あぁ〜、ですよね。お姉様、所在なさげにしてそう」
ラディはころころと笑った。
「……色々あったけど、今の相棒はラディ、あんただよ。頼りにしてる」
イズミは握り拳をラディに向けた。
「どこのチームにも入れなかったら、レース横からちょっかい出して観光しよ。それも面白いでしょ」
にこりと笑うイズミに、ラディも笑顔で拳を突き合わせた。やがて乗船の時間となり、二人は人波に押されながら大陸へ渡る船へと乗り込んで行った。
◆◆◆
船室の寝床を確保したふたりは、折角だからと甲板に上がった。左舷側には見送り人との別れを惜しむ人々が集まり、しきりに手を振っている。波止場も同じで、新大陸への航海の無事を祈る人々が詰めかけていた。ラディも感極まったのか、大きく手を振って応え始めた。
イズミは遠くの水平線を見ながら、今までの歩みを思い返していた。呪いに苛まれていた頃も、もはや懐かしい。英雄に救われた後ですら、その英雄にむやみに憧れ、追いつきたい一心でイズミは遠回りばかりしてきた。
イズミは英雄の器ではない。これからもそうだろう。未知を楽しみ困難に挑む、ただの冒険者である。そして憧れの英雄ソフィアもまた一人の冒険者であるならば、そこに貴賤も優劣も無い。旅時の果てで巡り会った時、互いの冒険譚を肴に酒を酌み交わす。それだけでよかったのだ。
出航の鐘が鳴り響き、船は緩やかに動き始める。数多の旅人の夢を乗せ、遥かな新大陸への第一歩を踏み出した。イズミは希望を胸に水平線の彼方を見る。
——私の冒険話、いっぱい聞かせてあげる。
——だから、楽しみにしてて。ソフィア。
イズミの密やかな決意を、波と風の音が包み込んだ。そして、それを切り裂くような叫び——
「うぉぉぉぉわぁぁぁぁぁーーーーッ!!!」
破れかぶれな若い男の絶叫。同時に響き渡る、砲弾が着弾したかのような爆音。船員や一般乗客は何が起こったか分からず身を縮こまらせた。イズミの他、乗り合わせていた一部の冒険者だけが気付いた。メインマストの天辺付近に突き刺さった槍と、それにしがみついている人間の存在を。
イズミは思わず刀に手を掛け、鯉口を切った。槍にしがみついていた人影が二つに分かれ、片方が飛び降りた。二人いたのだ。人影はクルクルと回転しながら甲板へ落下し、床板を砕きながら三点着地した。イズミが落下地点へ駆けつけたのと同時であった。
イズミはちらりと頭上の槍を見上げる。槍にしがみついているのはエレゼンの若い男。ロイヤルブルーのガゼルスレイヤー装束。目が合った。会釈された。面識有り。イズミの脳裏に「ローアル・トリスタ」の名前が浮かんだ。ならば、この目の前に落ちてきた、鳩羽色の髪をしたミコッテの女は——
「やべぇやべぇ、乗り過ごすとこだったぜ」
ミコッテの女は顔を上げて立ち上がった。黒いグラスレザー装束。背中にはガーロンド社の先進的な両手斧。そして目線だけで相手を食い殺しそうな四白眼——
「イ・メルダ・リコ……!」
イズミは絞り出すように名を呼んだ。周りの船員達は二人に気圧され、遠巻きに様子を見ている。
「……あれ?イズミじゃん。お前も新大陸か?」
リコと呼ばれた女は、にこやかに声をかけてきた。まるで酒場ですれ違った時のように。
「お前『も』……?」
イズミの問いに、リコが服の埃を払いながら答える。
「聞いたぜェ、祭の話。全員ブッ殺したら勝ちなんだろ?」
リコは凄絶な笑みを浮かべた。イズミはその背後に有角のウフィティめいた怪物を幻視した。
「……心配すんなよ!まだヤらねぇって!まだな!」
リコはつかつかと歩み寄り、親しげにイズミの肩を組んだ。イズミは、動けなかった。
「向こうに着くまで仲良くやろうぜ!……オイ、ローアル!さっさと降りてこいよ!イズミがいたぜ!」
船は風を受け、大海原へと漕ぎ出していく。
希望と混沌を乗せて——
【了】