追憶の起点
ふとテラスに目をやると、銀髪の竜騎士が窓から飛び出していくのが見えた。隣で談笑している英雄と魔女はまだそれに気が付いていない。挨拶も無しとは、野良猫みたいなやつだ。間近で見た槍さばきは凄まじいなんてもんじゃなかったけど、付き合う奴らは苦労するだろう。
やがて英雄と魔女もそれに気付いたが、特に慌てる様子もなかった。慣れてるな。私はエールを呷り、山と盛られた肉料理をつまんだ。月竜アジュダヤの帰還を祝う宴は続いている。
そんな宴の喧騒を割ってツノを揺るがす竜の咆哮が響き渡った。アジュダヤの帰還を誰より願い、そして実現させた太守ヴリトラの咆哮だ。国中に響き渡る咆哮はとてつもない轟音だが、数千年ぶりに姉と巡り会えた歓喜ゆえの事だと誰もが理解している。大きな花火を見上げた時のように、私たちは杯を傾ける手をしばし止めた。
咆哮が止むと、店内はまた騒がしい雰囲気が戻ってきた。隣席を観れば、相棒のラディはいつの間にか東方系の男に絡まれていた。身の上を語らされているようだけど、むしろ絡んできた男の方が涙ぐんでいる。よくわからないけど、無害だろう。首をめぐらしテラスを見れば、英雄は魔女とも別れ、一人テラス席に佇んでいた。
私はラディに一声かけて、テラスに向かった。
◆◆◆
「お疲れ、ソフィア。隣、いい?」
「えぇ、どうぞ。イズミさん」
私は英雄——ソフィアの隣に座り、グラスや軽食を置く。乾杯し、いま飛び出して行った竜騎士について他愛もない話をした。予想通り、いつも知らぬ間に窓から出て行くやつらしい。
「イズミさんも、力を貸してくださって本当にありがとうございました」
「ううん、大して役に立てなかったけどね」
柔和に笑うソフィアと潜り抜けた先の戦いが思い出される。——召喚術で呼ばれるなんて性に合わない。はじめからあなたの冒険に連れて行って——と、やっと私はそれを正面から言えるようになったのだけれど、同行した異世界への旅は控えめに言っても世界存亡の危機だった。砕かれた次元の壁から原初世界を覗きながら戦うなんて、出来れば二度と体験したくはない。怖すぎるだろ。私は降り注ぐ隕石を避け、倒れた見知らぬどこかの英雄達を助け起こし、狩人として刀を振い続けた。
そうして大妖異は倒れ、月竜は舞い戻り、騒動の幕は引かれた。——いや、そうじゃない。始まったんだ。戦いの最中「光の戦士」と成ったものの旅が。
穏やかに笑うソフィアがふと遠い目で夜空を見た。その目線は、空の果てよりもっと先を見ていた。
「ゼロのこと、心配してる?」
「……正直に言えば、少し」
ソフィアは視線を落とし、苦笑する。
「あの人、目を離すと急にびっくりするようなこと、なさるものですから」
こんなにも「お前が言うな」と言いたくなる瞬間も無かったけれど、私は「そうだね」とだけ返し、黒衣の女の記憶を辿った。
「今だから言うけど、私、ゼロの事監視してたんだ」
「そうだったんですか?」
「だって、あまりにも怪しかったからさ」
その時の私といえば、次の冒険のきっかけを探してラザハンに逗留し始めた頃。バザールでソフィアと並んで歩く黒衣の女を見掛けたのだ。私は色々あって妖異を感知しやすいわけだけど、街中にいちゃいけないレベルの妖異具合だった。
ランディングに佇むゼロを、私は物陰から監視していた。たとえソフィアの知り合いだろうと、街の中で騒ぎを起こすなら狩ってやる。そう思って愛刀に手をかけて張り付いていたけれど、ゼロはランディングから一歩も動かず空を眺め続けていた。あまりにも隙だらけすぎて、逆に斬り込めないほどだった。結局根負けして、私の方が先にアパートへ帰った。
「あれはですね。ずっと空を見ていたんですよ」
「空を?」
「こっちの空は目まぐるしく変わっていく。それを見てるだけで飽きないんだって」
「ひょっとしたらそうなんじゃって思ったけど、アイツ……」
私は苦笑するしかなかった。
「で、その後またバザールでゼロを見かけたわけよ」
あれは私とソフィアが月で大暴れした後ぐらいだったか。またもバザールをうろつくゼロを見かけた。例によって私は後を尾けた。バザールの商店を回るゼロが一体何をしているのか探っていたら、最終的にスパイス商人から大量のスパイスを分けてもらっていた。彼女はそのままメリードの店にスパイスを納入し、駄賃なのか、メリードからカレーを振る舞われていたのだ。恐ろしく赤い、マグマのようなカレーを。
「……メリードから聞いたけど、あいつ、激辛カレー大好きで、毎日スパイス持ち込んで作ってもらってんだって?」
「そうなんですよ。ゼロ、ガレマルドで振る舞われた辛いボーズがいたく気に入って、それで」
「なんかもう、そのあたりでアホらしくなっちゃったよ。こいつ、何も害がないんだなって……」
「彼女は……なにもかも忘れてしまったと言ってましたが、きっと元からそういう、善良な人だったんですよ」
「違いないね」
「……カレーやボーズ以外にも、もっと色んなものを食べて欲しかったんです」
ソフィアがぽつりと呟いた。
「ビスマルクのディナーや、クイックサンドのクランペット。カーラインカフェや、ラストスタンド、あとエスゲンさんのところとか…」
指を折って彼女が好きな場所が並べられる。
「……わたしの無人島でも、おいしいものたくさん作ってるんです。まだ、全然伝えられてないんです」
「淋しいねぇ」
「……淋しいです」
ちょっと妬けるなぁという気持ちと、かつて私がリテイナーを辞めた時もこんな風に淋しがってくれてたのかな、などと勝手な想像が心をよぎる。旅の出会いと別れをその都度喜び悲しむ、ごく普通の娘がそこにいた。
「……そのうち、びっくりする話を抱えて向こうからやって来たりするよ。きっと」
「……ですよね」
「それまでオススメの店が潰れないよう、通わなきゃね」
「……はい」
夜空に星が流れ、再び竜の咆哮が轟いた。びりびりと壁が揺れるなか、か細い咆哮が重なって聞こえた。妖異の中から舞い戻り、小さな身体を得たアジュダヤの詩だろう。
「あぁ、それにしてもやりづらくなっちゃったよ。妖異狩りとしてはさ」
私は椅子にもたれながらぼやいた。
「知り合いの知り合いかもしれないとか、嫌でも考えちゃう」
「私もですよ。妖異の知人が増える一方です」
「……まぁナメたやつは妖異だろうとなんだろうと斬るけどさ」
「今はそれでいいと思います。でも、いつかは」
「そうだねぇ」
夜空を見上げながら、私達はエールを飲み、彼方の世界を想った。願わくばゼロとゴルベーザも、そんな夜を過ごしていて欲しい。
「あっお姉様!いたいた!」
後ろから馴染みのある声がした。振り向くと7フルムの巨体がのしのしと歩いて来ていた。相棒のルガディン、ラディだ。明らかに顔が赤い。
「あんた……まだ17でしょ」
「えっ?いけませんよ?!」
「うちの田舎は15からセーフなんですぅ」
「ったく……まぁいいよ。何?」
「あっそうそう。ほら、タナカさん。この方がお姉様です!」
タナカと呼ばれた男がラディの後ろから顔を出して来た。なぜか号泣している。やばい。酔っ払いだ。
「あッ!どうもタナカです!アナタがこの!ラディちゃんが敬愛する、イズミお姉様でッ?!」
「寄るな寄るな!なんだお前!」
「自分、ラディちゃんの身の上話聞いてたんですけどォ、ウッウッ…その話ん中でイズミお姉様が事あるごとに出て来たもんスから…!イズミお姉様の身の上話も聞きたくなってェ…」
「ちょっとラディ!あんたコイツに何話したの?!」
「偽りのない事実ですよぉ〜」
「信頼出来ない語り部の見本ですね」
「頼んますヨォ〜!奢りますから!」
「全部タダだろ!今日は!」
「イズミさんのお話ですか?わたしも聞きたいです」
「乗るな!こんな時だけ!」
「あッ、そこのお姉さんもお知り合いで?」
「お友達ですよ。名乗るほどのものではありませんが。イズミさん、ぜひ」
「そうッ!今日は祝いの日なんスから!いろんな話をしましょうよ!」
「あぁッもう!じゃあとりあえず酒持って来て!あとカレーもね!とびきり辛いやつ!」
近くにいたアウラの店員はニコリと笑うと、カウンターへオーダーを通した。祝いの席で私のどうしようもない出自なんか話せるもんか。直近の冒険譚を盛りに盛って話してやる。
あぁ、それにしても、私もすっかり冒険者になったもんだ。明日の私はどこへ流れていくのだろう。正直何もわかりはしない。それでも、歩み続けるなら見た事もない景色にまた辿り着けるはずだ。そこに、ラディやソフィア、そしてゼロも居ればきっと楽しい。そんな景色を夢見ながら、今夜はこのまま騒いで過ごすとしよう。
「えぇと、ラディと会ったのは南方ボズヤで——」
【了】