CURSED LEAF AND DAUNTLESS BLADE 3
「垣間見させてやるよ……私の……悪夢を!」
小鬼の足を、闇色の腕が掴んだ。長い長いその腕は瞬く間に小鬼の身体を駆け上がり、獲物を捉える蛇のように小鬼をぎりぎりと縛り上げる。
「ヒィアァーッ?!こ、これはなんだねェー?!」
「うわぁぁッ!離すんだねェー!!」
闇の中で小鬼達が悲鳴を上げるが、それが叶うはずもない。小鬼にまとわりつく《妖異》の行動原理は実にシンプルだ。
《ヨコセ!カラダヲ!エーテルヲ!》
「ぎぃやぁぁぁぁぁッ!」
小鬼達は妖異の腕が身体の内側に入ってくる感覚に恐怖した。生きたまま自分の身体が名状しがたいものに作り変えられていく。そんな恐慌に陥った小鬼達の耳に、ごつ、ごつ、と足音が聞こえた。鱗肌の角女が目の前にいた。不気味に輝く瞳が小鬼達を見下ろしていた。
「て、てめェーッ!何をッ!何をしたッ!」
「だから、言っただろ」
女は自身の肩口にへばりついた妖異の片鱗を無造作に掴むと、べりべりと音を立てて引き剥がし、床に捨てた。小鬼の目の前に捨てられた名状しがたい肉片は、耳障りな叫びを上げながら霧散した。小鬼の正気は限界であった。
「私の、悪夢だよ」
女の手にはララフェル族用の短い槍が握られていた。小鬼達が獲物に突き刺してきたものだ。今の獲物は彼らである。
「じゃあね」
どす、どす、どす。
女——イズミは小鬼と妖異をまとめて貫いた。血と瘴気にまみれた槍を投げ捨てると、数歩歩く。瞳の輝きは失われ、やがて——長椅子に倒れ込んだ。
僅かな灯りが照らすだけの暗い部屋を鉄臭い死臭が満たされていく。僅かに聞こえる喧騒は地上階だろうか。イズミは妖異を引き剥がした右肩に触れ、痛みで身体を反らした。装束は裂け、剥き出しの肩からは幾筋も血が流れていた。
イズミは懐から薬瓶を取り出し、一息に薬液を飲み干す。苦味と血の味が混ざり、ひどく不快だった。薬液に含まれる治癒魔法が傷を癒すのを待たず、イズミは身体を起こす。肩以外も全身が悲鳴を上げていた。長椅子に置いた掌に再び黒い粘液質が生まれる。イズミはそれを捻り潰すと、煙草に火を付け、煙を吸い込んだ。
たなびく紫煙と共に、頭に響く笑い声がわずかに遠ざかる。イズミは結界をイメージしながら口の中で術式を唱え、特製の煙草が持つ魔除けを補強した。——傷薬が効くまでの間、彼女は煙草の製法を教えてくれた男の事を思い返す。妖異の生贄と看做された彼女がどうにか眠れるのは、他ならぬこの魔除けのおかげだった。たとえ悪夢ばかりでも、眠れないよりはずっとマシである。そこは感謝せねばなるまい。
しかし、一度煙をまとえば半日は効くはずの魔除けを、彼女は今夜だけで何本消費した事だろう。《禁書》の魔力に有象無象の妖異が引き寄せられ、辺りを漂ってるが故だ。ならば生贄たるイズミが呼び掛ければ、たとえ魔除けの術があろうとも幾らでも奴等は湧き上がってくる。
イズミは煙草を咥えたまま立ち上がり、部屋の武器棚を漁る。ほとんどがララフェル族用に作られた物ばかりだったが、どうにかヒューラン族用の刀を見つけた。砂都で東方様式の刀は貴重だ。イズミは使えるものなら何でも使う主義だが、やはり故郷の武器には一定の愛着があった。イズミは一振りの刀を帯に取り付けた後、暗殺者に刀を折られた事を思い出し、もう一本も腰に差した。
ランタンを持ち、イズミは部屋の隅の扉を開ける。灯に照らされた小部屋は汚物と血で汚れ切っている。小鬼達の便所だ。イズミは眉を顰めつつ、奥の壁に足をつけると、思い切り蹴り込んだ。薄い壁が砕け、狭い階段が姿を現した。——悪党の考える事はどこも同じだ。イズミはため息を吐きながら便器を乗り越え、階段を降った。瘴気が濃くなっていく。滅ぼすべき妖異が潜む禁書は近い。友を殺し、自身を生贄に貶めた者達に報復を。それだけだった。
——妖異の行動原理はシンプルだ。エーテルを奪い己を保つ。生贄の呼びかけに呼応したはいいが、出遅れ、獲物にありつけなかった者もいた。それは密かに天井を通り抜け、より獲物の多い地上階に上がった。床に転がっていた死体は、すべからく妖異の血肉となった。
◆◆◆
赤毛のミコッテ——キ・ヤル・ティアは幻影で隠されていた扉を見つけると、勢いよくそれを蹴破った。部屋と部屋の間に作られた狭い座敷牢がそこにあった。内部を覗き込み目を凝らすと部屋の隅で何人もの少女が固まって震えていた。情報通り、貧民窟から誘拐された少女達に相違ないだろう。キ・ヤルは怒りを飲み込み、可能な限り明るく少女達に呼びかけた。
「お前ら!助けてやるから、もうちょっとそこでジッとしてろ!」
少女達の返事を待たず、キ・ヤルは踵を返して牢から部屋に戻る。瞬間、爆音が轟き部屋を揺らした。思わず耳を畳み身を丸める。牢屋からは少女達の悲鳴。音の方向は部屋の入り口。火炎魔法だ。もはやなりふり構わない組合員の攻撃だったが、それらは部屋の入り口に展開された魔法障壁にことごとく阻まれていた。それを成しているのは、決断的に立ち塞がる編み込み髪の娘だ。
「おいッあるじ殿!見つけたぞ!子供だ!」
「無事ですか?!」
「あぁ、割と元気だぜ」
「よかった。何よりです」
娘は胸を撫で下ろしながら、切り掛かってきた組合員を盾で殴り飛ばし、足元に転がした。キ・ヤルは気絶した組合員に哀れみを向けつつ、娘の隣に立った。三階の廊下には点々と組合員が転がり、その奥には未だ敵意を放つ組合員が固まっていた。吹き抜けから下を見れば、そちらにも相当数の人数が見える。
「あいつらも元気だな。どうする?」
「これだけの騒ぎです。いずれ不滅隊や銅刃団も駆けつけるでしょう。それまで……」
子供達を護りましょう。その言葉を遮るように、吹き抜けの下から絶叫が響いた。キ・ヤルは娘と一瞬顔を見合わせた後、手すりの下を見下ろした。武装した組合員の中に、いてはならない異形が混ざっていた。ルガディン族を超える体躯に醜く歪んだ角を備えた妖異が、咆哮を上げて顕現していた。その数、三。
「オーガ?!こんな街中でマジかよ?!」
キ・ヤルは隣に立つ娘を見た。娘は手すりに上り、真下を睨んでいた。視線の先は、妖異に追われ倒れ伏した組合員。
「オイ、あるじ殿?」
「援護を」
その言葉と共に、娘は手すりを蹴った。エーテルを込めた踏み込みが廊下を揺らし、娘は彗星の如きスピードで一気に地上フロアまで飛んだ。キ・ヤルの抗議が届く間もない。剣を振りかぶった娘はそのまま地上フロアに落着。砕けた床材が粉塵とともに舞い上がり、館は大きく揺れた。破片の一つが這いずる組合員の男の頭に当たる。妖異を前に恐怖に取り憑かれていた男は、自分を屠ろうとした妖異が両断されて消えていくのを見た。そして、それを成したのが目の前の小娘だと理解する前に、男は娘に抱えられ店の入り口まで運ばれた。
「お怪我は?」
娘の青い瞳が男をまっすぐ見据えた。男はただただ首を振るしかなかった。自分の娘と同年代の女に命を救われ、ならず者でしかない男の悪性がわずかに失われた。だから、彼女の背中越しに別の妖異が迫ってくることを叫び、伝えた。
「ま、また来てるッ!助けてッ!」
そしてその妖異が、何処からか飛び来たった無数の矢によって打ち倒されるのを男は見た。男は思わず頭上を見上げる。吹き抜けの最上部、三階の廊下から身を乗り出しクロスボウを構えているミコッテの男が見えた。あの男が、撃ったのだ。
「たぁぁーーーーッ!」
女の声と、肉を斬り裂く音がした。男が視線を目の前に戻すと、編み込み髪の娘が残った一匹を斬り倒していた。全ては一瞬だった。娘は剣にまとわりついた瘴気を振り払うと、館に響く声で呼びかけた。
「見たでしょう!ここは危険です!逃げてください!」
娘に言われるまでもなく、組合員達は転がるように階段を駆け下り、蜘蛛の子を散らすように館の外へ逃げていった。頭が薬物で染まったならず者達でも、妖異に訳もわからず殺されるぐらいなら不滅隊に捕まる方を選ぶのだ。
三階廊下のキ・ヤル・ティアはクロスボウを背中に戻し、部屋の中に向かって手招きをした。捕らえられていた子供達が暗がりから恐る恐る近付いてくる。皆憔悴しているが、目立った傷は無い。キ・ヤルは心の底から安堵した。ミコッテ族の男は複数の女性を伴侶とし《ヌン》として縄張りを築くべし、というのが古来よりのあるべき姿だ。そんな面倒くさい慣習を嫌って《ティア》のまま故郷を飛び出し冒険者となったキ・ヤルであるが、やはり種族の血がそうさせるのか、女子供を守らなければならぬという意識は強い。
彼の《あるじ殿》も、かつては右も左も分からない正真正銘の小娘であり、冒険者の先輩として導く立場にあった。だが今や彼女も数々の冒険をくぐり抜けた一廉の戦士だ。自分から伝えることなどとうの昔に無くなっている。なので彼は現在、彼女にリテイナー兼斥候として仕えていた。今回も無茶をさせられたが、こうして子供達を救えたのだから良しとしよう。キ・ヤルはふとそんな昔のことを思いながら、集まってきた子供を一人ずつ抱きしめた。
「これで全員か?」
キ・ヤルは片膝で視線を合わせながら聞く。ヒューラン族やミコッテ族の娘が大半だ。キ・ヤルが立ち上がろうとした時、一人の少女がおずおずと手を挙げ、口を開いた。
「あの、あのね」
「なんだ?」
「ひとり、つれてかれちゃったの」
「……何だって?」
キ・ヤルの背中に冷たいものが走った。
「一階の、棚の奥。あそこが開いて、ミコの子がね……」
キ・ヤルは立ち上がり、リンクパール越しに叫んだ。
「おい!戸棚だ!」
《聴いていましたッ!》
階下から激しい破砕音が響いた。娘は迷うことなく一階奥の戸棚に斬撃を叩き込んでいた。崩れた棚の向こうには地下へ続く階段が有る。キ・ヤルが階下へ降りようとした時、再び通信が入った。
《わたしが行きます。キ・ヤルさんは子供達を、どうか》
キ・ヤルは足を止め、唸った。正体不明の妖異が湧いてくる穴蔵に身一つで飛び込めるものは、己の主人を置いて他にいない。実際、どれほどの相手が待っていようと彼女は帰って来れるだろう。子供達も守らねばならない。——それでも。
キ・ヤルはリンクパール越しではなく、階下に向けて直接叫んだ。
「おいソフィア!!!無事に帰って来なかったら、承知しねぇぞ!!!」
娘——ソフィアは上階のキ・ヤルににこりと笑みを返し、闇の中へ飛び込んでいった。
◆◆◆
《禁書》——無名祭祀書と呼ばれるその書には、この世ならざる秘密結社であるとか、悍ましい魔物の使役方法などが冒涜的な言葉と共に記されているのだという。いつしか呪いの書と呼ばれるようになったそれは、持つものに災いを齎し続けた。そんな書に記された事柄が真実であるかどうかは、イズミには関係無かった。肝心なのは書が様々な人や場所を渡り、あらゆるエーテルを溜め込んでいる事だ。
それはある種の妖異に取って格好の棲家であった。彼らはそうして異界ヴォイドへ戻る事なくこの世界に居座り、不用意に近付いてきたものを気紛れに喰らうのだ。呪いの書や古の呪具の巻き起こす災いとはそういう事である。
そして彼らもまた、人と同様眠りにつく。その時を狙い、呪物ごと誅殺する。イズミはそうやって仇敵達を追い詰めようとしていた。狙い通り殺せた事もあれば、寸前で逃す事もあった。それでも、狙った相手は絶対に追い詰めて仕留めてきた。どれほど痛めつけられようとも。誰を失う事になろうとも。
そしてイズミは最下層に辿り着き、禍々しい祭壇に置かれた《禁書》を見た。《禁書》は悍ましいエーテルを放ち、活性状態にあった。祭壇の下には撒き散らされた肉片が見える。四肢の大きさから、肥え太ったルガディン族である事が見て取れた。おそらくはこの商会《ヘールゲーツ》の頭目だ。《禁書》の秘術に手を出し、無惨な末路を辿ったのだろう。
《禁書》の妖異は今まさに生贄となった男のエーテルを貪っている。今ここで《禁書》の元へ走り、妖異を滅ぼす己の秘術を喰らわせれば、間違い無く即死させられるだろう。《禁書》の禍々しいエーテルは次第に辺りを探るようなゆらめきを見せ始めた。まもなく食事は終わる。イズミは駆け出した。
禍々しいエーテルが触手のようによじれ、部屋の中心で怯えるミコッテの少女に襲いかかった。イズミは少女を突き飛ばした。
悍ましい光景に茫然としていた少女は、衝撃で我に返った。自分がさっきまで座り込んでいた場所に、見知らぬ角の女が倒れている。その身体を黒く澱んだエーテル触手が貫いていた。
「に……げろッ……!」
角の女——イズミは黒い血を吐きながら、少女に語りかける。
「絶対に……振り返るな……!」
少女は正気の糸を必死で手繰り寄せ、出口へ走った。その姿が闇に消えると同時に、イズミの身体は触手に巻き上げられ、《禁書》の禍々しいエーテルの中へ吸い込まれた。
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