
紫は雨に烟る3 - Izumi Origins EP3
ばちばちと薪の弾ける音が洞窟内に反響する。地べたで膝を抱えるイズミは肌着姿だ。目の前にはもうもうと煙を上げて燃え盛る焚き火。スズケンが壁面に差し込んだウィンドシャードで換気されてはいるが、それでも洞窟は霧がかかったように烟っている。
竪穴の底から続く洞窟は思いのほか広く、大型の妖異が不自由なく動き回れるだけの幅と高さがあった。奥の様子はテオドアが見に行っている。そんな洞窟の片隅でじっと炎を見つめるイズミの傍には、幻具をかざして回復魔法を行使するスズケンがいた。炎の熱とは異なる暖かさがイズミの身体に伝わってくる。
ふたりは互いに無言だった。スズケンは険しい顔で魔法の焦点を見る。一際大きかった脇腹の内出血はかなり小さくなっている。彼の幻術は旅の備えとしてかじった程度だが、もう少し時間をかければ治療しきれるだろう。しかし、彼女の細く引き締まった肢体に目をやれば、全身どこもかしこも引き攣った古傷だらけだ。アウラ族特有の鱗も所々欠けている。これらを綺麗さっぱり消し去れる治癒の腕前など、スズケンは持ち合わせていない。彼女がどれほど修羅場を潜ってきたのか、嫌でも察せられた。
奥に続く通路から慌ただしい足音が近付いてくる。続いてランタンの灯りが、そして浅黒い肌をした赤髪の男の姿が闇から浮かび上がった。テオドアである。何か口走ろうとした矢先、イズミが半裸である事に気付き慌てて後ろを向いた。
「……ごめん!えぇと、スズケンさん、その、イズミちゃんの具合は?!」
「もうすぐ終わりますよ。とりあえず目立つ怪我はどうにか」
「そっか!良かった……!あぁ、それでこの先だけどよ……」
テオドアは焚き火を挟んで背中を向けながら、見てきたものを話し始めた。
「やっぱり、だいぶ広い洞窟だぜ。ガラクタもかなり転がってて、たぶんシェーダーが住んでたんじゃねぇかな」
「ゲルモラ時代の地下都市跡なのかもしれませんね。……よし、終わりです」
スズケンは幻具に印を切り、生命エーテルの供給を止める。イズミは脇腹を撫で、痛みが引いていることを確認した。
「……妖異はいた?」
イズミは乾いた口調で問う。テオドアは頭をかきながらイズミに答える。
「とりあえず、俺が行って戻ってきた範囲にゃいなかったけど……なんだろうな。気持ち悪りィ雰囲気だったぜ。どっかに潜んでんのかな」
「そう」
イズミは脱いだ装束に手を伸ばし身支度を整えた。まだ湿ってはいたが、構わず袖を通す。仕込んでいる暗器を考えると、うかつに火気に近付けられる代物ではないのだ。
「……着たよ」
「おっ、おお。リョーカイだぜ」
テオドアはようやく振り返る。イズミはまだ焚き火のそばに座っていた。彼もまた焚き火に近付き、彼女の隣に腰を下ろすと、心配気な眼差しを向けた。
「……なぁイズミちゃん、なんでこんな危ない事してるんだ?なんかの依頼なのか?!」
「あんたには関係無い」
イズミはぎろりとテオドアを睨んだ。傍の刀を握り、立ち上がろうとする。
「いや、でもよ……」
「行き倒れてた貴女を見つけたのは、彼ですよ」
スズケンの声にイズミは動きを止めた。
「猟師小屋で休んでいた僕のところに、貴女を抱えて飛び込んできたんですよ。そこで見つけたんだ、助けてやってくれって」
イズミは視線だけでテオドアを見る。赤髪の男は首筋に手を回し、視線を泳がせていた。
「事情ぐらい、教えてくれてもいいんじゃあないですか?」
スズケンは幻具を見せつけるようにくるくると回し、イズミに問いかけた。イズミは大きく息を吐き、ゆっくりと座り直した。自分を見つめる視線に目を向けず、じっと焚き火を見つめる。炎に誰かの面影が見えた。かぶりを振って息を吸うと、イズミは口を開いた。
「……追ってるのは、仇」
ぱち、と薪が弾けた。
「ずっと探してた妖異ども。その一匹の尻尾を掴んだんだ。見つけ出して、闘いになった」
イズミは歯噛みしながら続ける。
「あと一歩ってところまで追い詰めてやったんだ。けど……トドメを刺そうってところで、取り逃した」
「それで追いかけたものの、力尽きた……と」
「そう。情けない話だよ」
テオドアは口を挟みたそうにしているが、イズミはさらに続ける。
「あいつはこの先にいる」
イズミは視線を焚き火から外し、奥へ続く闇を見た。
「私にはそれが判るの。逃がさない。絶対に、殺す」
イズミはそう言って沈黙した。重苦しい空気が場を支配する。スズケンは顎に手を当てて考え込み、テオドアはごくりと唾を飲んだ。
「小屋でも言ったけど……助けてくれた事は、感謝してるよ。ふたりとも、ありがとう」
イズミはばつが悪そうに礼を述べると、今度こそ立ち上がった。泥を払い、愛刀を腰に繋ぐ。
「これでいい?じゃあ、私は行くから」
「いや、待てって!巣穴に殴り込むって事だろ?!無茶だよ!」
テオドアも慌てて立ち上がり、イズミの前を塞いだ。スズケンは黙ってそれを見ている。
「冒険者は部隊組んで事に当たるんだろ?一人は無謀だって!」
「あんたが何か手伝ってくれるっての?」
「いや、その、俺ァただの船乗りで冒険者じゃあねぇけど……そうだ!」
「『光の戦士を呼ぼうぜ』?」
「あっ……」
その名を先読みされたテオドアは固まるしかなかった。イズミの脳裏に光の戦士——ソフィアの面影がよぎる。橙髪に青い瞳、柔和な笑顔の奥に溢れる好奇心を詰め込んだ、エオルゼアの英雄にしてイズミの雇い主。死の淵にあった彼女を嵐のように掬い上げた少女。
「あの娘、今どこにいるんだっけ」
「……なんか、すげぇ遠出するって言われた」
「そう、すごく遠く。そこで世界の命運を賭けて戦ってる。たぶんね」
イズミはテオドアの肩越しに彼方を見た。遠く遠く、世界の境界を超えた先を。
「……呼べば、来るかもしれないね。あの娘は」
イズミは穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「何もかも、お伽話みたいにブッ飛ばしてくれるかもしれない。でも、英雄には英雄のやるべき事があるの」
イズミはゆっくりと抜刀した。テオドアはわけがわからず慌てふためく。
「えっ、な、何何?!」
スズケンもまた、背負った槍に手を掛けた。
「そして何より、私の人生を滅茶苦茶にした妖異どもは……」
イズミは思い切り地面を蹴った。狼狽えるテオドアを押しのけて脇を通り、彼の背後の空間を斬った。
《ギィーーーーーーーッ!!!》
断末魔と共に、両断されたインプが地面に落ちた。びくびくと痙攣しながら、黒い霧となって四散していく。
「私の手で、直々にブッ殺す。それだけ」
イズミの狂気が滲む声が洞窟に反響した。そしてそれを打ち消す叫びが洞窟の奥から響いてくる。大型の妖異はもうそのシルエットがはっきりと見える。
「それじゃ、今度こそあんた達はさっさと逃げて。こいつらは、私が全員……」
銃声。宙を舞うインプが一匹落下し、霧散した。イズミは音の方向を振り返る。煙をまとうリボルバー拳銃。握っていたのは、赤髪の男。
「……何やってんの?」
「事情はわかった!なら、余計に放っとけねぇ!」
テオドアは更に射撃。浮行型妖異は羽を撃ち抜かれてバランスを崩す。
「俺はソフィちゃんみてぇに強かねぇ……。けどよ、女の子ひとり魔物の巣に置いてくような、人でなしでもねぇ!」
射撃、射撃、射撃。通路を埋め尽くす妖異達は突然撃ち込まれた弾丸に進撃を緩めた。目を丸くするイズミの横でテオドアは更に弾丸を撃ち込もうと意気込んだ。だがしかし、気合いに応える弾丸は飛ばない。弾倉の残弾はゼロ。
「うえぇ?!マジか!」
それに気付いた一匹の目敏い妖異が一気に間合いを詰めてきた。
「あぁもうッ!弱いくせに出しゃばんなッ!」
見かねたイズミが踏み込もうとした時、緑色の風が洞窟を駆けた。
身の盾なるは心の盾とならざるなり!
油断大敵! 強甲破点突き!
緑色の風——スズケンの槍が妖異を刺し貫いた。槍に込められた剛剣の如きエーテルが妖異の体内で炸裂し、断末魔すら許さず爆発四散せしめた。スズケンは槍をくるくると回して残心すると、イズミの横に並んだ。
「僕はこのあたりのフィールドワークに来ただけです」
ララフェル族の男は迫り来る妖異達を見据えながら腰を落とし、槍を構える。
「貴女の仇討ちに口を挟むつもりはありません。僕は調査に邪魔な魔物を討伐する事にした冒険者……。それだけです」
そしてスズケンは、ちらりとテオドアの方を見やる。
「どこから敵が来るかわかりません。テオドア君は僕らから離れないで」
「おっ、おう!」
テオドアは装填を終え、再びリボルバーを構えた。
「あぁもう……もうッ!」
イズミは地団駄を踏み、紫の髪をがしがしと掻いた。そしてその苛立ちのままに駆け出し、妖異の前衛を斬り捨てた。返す刀で、更に一体の命脈を断つ。
「勝手にしろッ!」
「そうしますよ!」
スズケンはエーテルで脚力を強化し、砲弾の如く敵陣へ飛び込む。妖異を刺し殺すや否や、その体躯を足掛かりに跳躍。そこから洞窟の壁面や天井を蹴り渡り、三次元立体機動戦法で妖異を翻弄する。大空へ舞い上がるだけが《竜騎士》の闘いではないのだ。そしてイズミはスズケンにかき乱された隊列に正面から挑みかかる。
怒りを込めた刃が閃くたびに妖異は黒い霧となって散っていった。横合いから角の生えた大型妖異の拳が飛んでくる。イズミはそれを的確に弾き、仕留め返した。苛立つ心とは裏腹に身体はよく動く。目の前を飛び回るララフェルの治療は的確だった。イズミは残心し、残敵の位置を再度把握。次の狙いは正面にいる別の大型妖異……ではない。テオドアに飛び掛かろうとする尾の長い中型妖異だ。
「だぁーーーッ!」
イズミは踵を返して回転跳躍。中型妖異の頭蓋に回転の勢いを乗せた踵落としを喰らわせた。鉄板の仕込まれた軍靴の一撃は過たず妖異の頭蓋を砕き、妖異は断末魔と共に霧散した。イズミはそのままテオドアを護るように立った。
「うおお、サンキュー!イズミちゃん!」
「うるさいッ!戦うなら、ちゃんと立ち回れ!」
イズミは悪態を吐きながら手近な小型妖異を蹴り殺した。テオドアも短剣を振り回しながら妖異を追い払い、射撃を繰り返す。
「つーか、俺が尾けられちゃってるよな!ごめん!」
「……謝ってる暇があったら、撃って!」
——違う。あなたは悪くない。
——私が狙われてる。
——私が呪われてるの。
イズミはその言葉を飲み込む。イズミの脳裏に、通り過ぎていった人の顔が浮かぶ。
彷徨う自分を保護した陰陽師崩れがいた。魔除けの香と人の温もりを教えてくれた暗黒騎士がいた。いつでも帰ってくればいいと氏族の契りを交わしたアジムの一族がいた。——皆、イズミの呪われた境遇に大いに悲しみ、力になると誓ってくれた。彼女の前に、傍に、後ろに立ち、彼女を支えようとした。彼らは今でもイズミを見守っているだろう。静謐な星海の底で。
イズミは依然テオドアを庇うように立ち、飛び掛かってくる妖異を斬る。テオドアも必死で射撃し、大型妖異を引き下がらせた。誰かのために力を振り絞る彼の高潔な精神を前にして、イズミの冷えた心にまたひとつ火が灯る。だからこそ、これ以上彼を巻き込みたくなかった。
テオドアとソフィアが本当はどういう関係性なのか、イズミは知らない。拠点での彼らは互いに他愛もない軽口ばかり話している。だが、帝国や天使いを相手取り、世界の境界を越えて戦う英雄ソフィアが、今も変わらず年相応の娘でいられる相手が彼なのだとすれば——彼を自分の冥府魔道に引き込むわけにはいかない。世界の為?いいや、そうじゃない。私は——。
スズケンの猛攻を逃れた大型妖異が破れかぶれにテオドアを狙っている。イズミはかぶりを振り、テオドアの襟首を捕まえて強引に放り投げた。赤髪の男は情けない声を上げながらゴロゴロと転がる。そして降って来た妖異の一撃をイズミは刀で見事に弾く。体幹は揺るがない。心もそうであれと願い、イズミは渾身の突きを叩き込んだ。妖異は血を吐き散らかしながら爆発四散した。
前線に目をやれば、あれだけ群れを成していた妖異の隊列は綺麗さっぱり消滅している。スズケンが最後の一体にとどめを刺していた。イズミはカエルめいて伸びているテオドアの襟首を再び掴み、強引に引き起こした。
「あいててて!起きた!走れるよ!」
「じゃあさっさと立つ!」
「荷物は持ちましたね。進みますよ!」
スズケンは焚き火にウォーターシャードを投げ込んで消火する。各人はランタンを灯し、洞窟の奥深くへと侵攻していった。
【続く】
登場人物紹介
ソフィア・フリクセル……当代光の戦士にしてエオルゼアの英雄。イズミの雇い主であり、テオドアは腐れ縁。『第一世界』に渡っており、長らくエオルゼアを不在にしている。