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デジタル時代の子育て〜役に立つかは自分で決める!〜

「すべての世代の学習者は幼稚園児のように学ぶべきだ」
ミッチェル・レズニック博士

「将来、役に立つから○○する」
って発想から抜け出して子育てしたい。

って出産前からずっと考えています。
そう思いつつ。

子育てするうち、
無意識的な自分の反応の濃淡が、
子どもに自分の価値付けを伝え続けしまっている。

着実に継承されつつある何かに面白さと責任と不安を感じることもあります(割合7:2:1くらいだけど)。

最近気づいたのは、
役者さんを名前でなく、作品の役名で読んでいること。

TVをあまり見ていないせいかな。
福山雅治さんのことを「ガリレオ」って呼ぶ。
何年前だ?


のび太の名前の由来は、


「伸び伸び育ってほしい」

だそうです。親の気持ちってそうだよね、と思いながら、
映画『STAND BY ME2』を見る(便利な代用道具が沢山あるのに、タケコプターの絵が一番しっくりくるのは何でだろう。)

夢中になることから学びへ結びつけてあげたい。
好きから夢へ、夢から仕事へ。

子どもがマイクラのキャラクターをホワイトボードに書いて、
1時間、セリフをぶつぶつ言って、空想戦いごっこで遊んでいる。


そこへ母親がやってきた。

「このゾンビは何時に来たの?何人くらい。
その1時間半後に、あと5人ゾンビが来たら、何時に何人に増える?」


これって(汗)。
暴力的っていうか、「ミエミエ感」が痛いっていうか。

下世話感がすごい。
子どもの神聖な遊びに土足で入っているような。


遊び→学び

の図式にするには?

前提として相手の世界を知ってもっと浸かっていって、
自分も楽しむのが前提になってくる、と。

没入した上で見守る視点

レベル高いです。

でも大丈夫。

そんな勝手な私の葛藤をよそに。
子どもたちは変わることなく。
自分の好きを貫き。
日々「無駄」を量産してくれているから。


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