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一抹の何かしらを考えた日

この桜が次に花を咲かせるとき、私は何をしているだろう。背の低い稲が頭を垂れるとき、次にこのコートを着るとき。ふとそんな風なことを考える。まるで遠い未来のことのように思うが、きっと大したことはない。その時にとってはただの1日になる。ただ咲いた桜を見たとき、稲穂を見たとき、久しぶりにコートを着たとき、そういえばそんなことを考えたと思い出すだけだ。

今日はアルバイトの面接だった。今回こそ受かっていればいいと思いつつ、難しいかもしれないとも思う。対応してくれた店長さんが丁寧に話してくれて、聞きたかったことを聞き出してくれて、そして笑顔で話してくれてるのを見て、時々、私は今笑顔で話せているのだろうか、と思っていた。そう思う度、また落ちてしまうかもしれないと緊張した。カフェだったので面接中飲み物を出してくれたが、それだけで戸惑ってしまった。最後に面接が混みあっていると伝えられたので、きっと私よりも店にとって都合のいい人を採用するのだろう。期待はしないでおこう。

面接をした店があるところにはあまり行ったことがなかった。自宅から20分ほどのところなのに約4年その道を通ったことがなかったのだ。別段何かがあるわけでもないが、住宅街に面した大通りと静かな感じが、何となく素敵な気がした。
店を出て5分も進まないうちに、知っている道になって驚いた。その知っている道も夜しか歩いたことが無かったので、気づいたときは驚いた。全く印象が違うのだ。少々感動しながら歩いていると、夜には開いていなかった店が開いていたり、逆に夜に開いているお店が閉まっていたりと、時間と日によって姿を変える道が楽しかった。余裕が出来たら、見かけた喫茶店にそのうち入ってみたい。

下北沢に戻ってから三軒茶屋へ向かった。特に理由や用事はなかったが、最近向かうことがなかったので散歩がてら行ってみた。
今日は雨が降っていて冷たい風も吹いていた。冬が来た日から寒いが、それがより拍車をかけていた。ダウンコートを着る人をよく見かけ、手袋をつけている人も居た。明日にはマフラーをした人を見かけるかもしれない。
下北沢から三軒茶屋へ向かう道には、緑道が2つほど横切っている。小川はもう冷たそうに見えたし、黄色や赤い葉っぱが流れて行った。その小川に沿うように桜の木が並んでいた。春になると一斉に咲くのだろう。多分私は見たことがあるはずなのだが、上手く思い出せない。でも忘れている方がいいかもしれない。その方が見たときの感動が大きいだろう。そして考えた。花が咲いたとき、私はどうしているのだろう。


地元にいるとき、今の事務所に入る前の、前の事務所に入るとき。オーディションを受ける前、実家近くの田んぼには、まだ背の低い稲が植えられていた。アルバイトへ向かう自転車を漕ぎながら、この稲に穂がつくとき、私は事務所にいるのだろうか。それとも何も変わらないのだろうか。なんてことを考えていた。出来れば変わって、穂を見たいと思った。だが思い出したのは9月か10月頃、ちょうど稲に穂がついて、頭を垂れている頃だった。その頃にはオーディションが終わり、受かり、レッスンが始まり、その習慣に慣れていた。「この稲に穂がつくとき、私は事務所にいるのだろうか。それとも何も変わらないのだろうか。」そう考えていた頃と、全く状況が変わっていた。レッスンが楽しかった。学びたいことをやっと学べるようになって、生き生きとしているのを感じていた。だが稲穂を見ても、あの頃と大きく変わった、という風には感じなかった。あのときそんなことを思ったな、という感じだった。そしてもっと感動するかと思ったけど、そうでもなかった。しれっとしていた。多分、状況や環境が変わっても、私は私だったからだ。私自身が変わったわけではなかったのだ。どんな変化が起こっても、行動や習慣が変わるだけで、実は何も変わったりしないのかもしれない。例えば小さいとき、20歳はすごく大人に思えたが、20歳になって成人式を迎えても、大人になった、という自覚はなかなか芽生えない。むしろまだまだ子供だ、と思う大人は多いと思う。多分そういうことだ。ただ、行動や習慣が変わることには、緊張したり怖くなったり、何かと強ばってしまうと思う。私のオーディション然り。変わる前はドキドキする。でも案外さらっと、しれっと過ぎていくし、どんな状況に変化しても、慣れるのに時間はかからない。変わる前も、変わった状況を受け入れるのも自分自身だ。だからこそ、桜が咲く頃もし望んだ状況になれなかったとしても、私は私だ。変わらない。もしかしたら辛くなるかもしれないが、それでも大丈夫になれて、慣れる。何をしてても私だ。少し先の不安な未来が、ほんの少し怖くなくなった。

三軒茶屋に着くとお気に入りの喫茶店に入った。喫茶店自体少し久しぶりかもしれない。初めてその喫茶店に入ったとき、いつか食べたい!と思っていたチョコレートパフェと温かいカフェオレを注文した。パフェは生クリームとチョコソースがたっぷりで、中にはアイスクリームが2玉と、恐らくバナナが1本丸々入っていた。ザクザクのコーンフレークに、アイスクリームと生クリーム、チョコソースが絡む。てっぺんの赤いさくさんぼが、いわゆる、ビジュ優勝、だった。クリームの溶けた温かいカフェオレは、冷たくて甘いパフェとの相性が最高だった。クリーミーだけどしつこくなく、コーヒーの風味がスッキリしている。口が幸せな時間だった。

久しぶりに喫茶店で本を読むことが出来た。読みながら、頭の中でこの話を舞台にするなら、どういう演出にするだろう、なんてことを考えた。あまりそういう風に思いながら本を読んだことはなかったが、改めて考えてみると、小説や漫画などを舞台や映像にする際の脚本家さんの仕事に脱帽した。作品にもよると思うが、小説ではセリフの方が少ないことが多いと思う。舞台や映像にト書はない。人の話す言葉以外の表現を見えるようにしなくてはならない。軽く頭で考えてみただけだが、すぐに、あ、難しいと思った。台本には普段から感謝しながら向き合い、芝居をしよう、という意識が持てた。

下北沢に戻って、昨日ボツにされた衣装の代わりを古着屋で探してみたが、今のところしっくりくるものはなかった。一抹の不安を抱えながらではあるし、それに加えアルバイトの件も心配だが、今日1日はなんだか自分にとって充実した日だったように思う。今日を振り返って、なんだかんだ楽しいと感じられているから、今日はこれでいい。明日も稽古。不安だらけだけど、多分大丈夫。早く起きるために、早く寝ないと。

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