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「滑稽な矛盾」を生きる人間——平林彪吾『鶏飼ひのコムミュニスト』を読む

ともかく彼の所有欲は貪婪で、これから話そうとすることも思想をマルキシズムに拠りながら、資本主義社会に育ち生きている小田切久次が食わんがためには如何に執拗な所有欲と個人主義的な感情に満ち、一個の矛盾した生活をしているかをありのままに語るにすぎないが、彼の場合はそれがシムボリックで、個人主義的な欲望はその階級的な思想と共に精算したかの如く上手に取り済ましたポーズをした彼の同志たちからは、まるでマルキスト検査の不合格品で余計者のように取り扱われ、そのために小田切久次をして一層人を疑い世を白眼視する性格を創り上げる結果ともなったものであろう、階級のため一生懸命働く同志を見ても彼は、へん、執行委員にでもなりたいのだろ、と思うのである、何時か彼の心には疑いを貪る暗い隅が出来、物を見ても一度その隅を通さないと考えられぬ常癖が創られてしまった。彼はアナーキスト時代からの詩人であり、今はプロレタリヤ文学者同盟でも古顔の一人だが、同志の中でも彼と交友のある者は少なく、又自分からも強いて友達を求めようともしない、豪(え)らそうな理論闘争をやって同盟を食い物にしているヴューと(ヴューはアウトサイドヴューのことであろう、彼は時々よく意味のわからぬ英語を使った)自分でも鶏でも飼って働いてるのとどっちがプロレタリヤ的かと、ぷんぷん一人で腹を立てながら毎日魚屋の臓物を盗って来ては煮しめ、鶏の糞をかき集めたり、兎の旺盛な繁殖を見て暮らしている、たまたま堀川や杉村が訪れても、のらくらと着流しで何しに来たのかねえ、というような顔をするのである。

平林彪吾『平林彪吾作品集 鶏飼ひのコムミュニスト』三信図書, 1985. p.11-12.

平林彪吾(ひらばやし ひょうご、1903 - 1939)は、日本の小説家。37歳という若さで、敗血症で急逝したプロレタリア文学作家である。日中戦争のさなか、文学界の新しい旗手として颯爽と登場した平林の作品群は、発禁、伏字と苦難の道を辿った。平林は、1935年「鶏飼ひのコムミュニスト」の『文芸』懸賞創作入選によって文壇に登場した。しかしその後も生活は苦しく、血を売って小説を書き続けたため、死期を早めたようである。1939年には急逝しているので、わずか4年と短い作家生活であった。彼の生前には単行本が上梓されることはなく、死の1年後『月のある庭』(改造社)が出版された。

平林の出世作となった「鶏飼ひのコムミュニスト」は、東京日日新聞の広津和郎に以下のように批評されている。「この作はその題材からいって、面白く読まれる。一種飄逸な間に鋭さを閃かした筆も面白い。しかしやや面白くされ過ぎているという感じがないでもない。——そのわざとらしさから受けるのであろうが、読後の印象がややキメが粗くザラザラしている」。

「鶏飼ひのコムミュニスト」は、ある「コムミュニスト」たる男・小田切久次の生活と彼の周りに引き起こされる小事件をユーモラスに描いた短編である。主人公の性格としては真面目ではあるが、ずるさや卑小さもあり、最後には小さな悪事をはたらき、それが自分の身にふりかかる。プロレタリア文学としては類型を脱したものであったようで、プロレタリア文学界隈からは悪評をもって受け止められたようである。しかし、平林自身はこの小説で描きたかった人物像や思想について以下のようにあるエッセイで書いている。

鶏飼いのコムミュニスト、小田切久次は新らしい時代の空気を吸いながら、貪婪なほど封建的な又資本主義的な生活を追い、それに幸福さえ味っている。
滑稽な矛盾である、こんなコムミュニストがあるだろうか、ある。あるばかりか、案外人間なんて滑稽な矛盾を生活の大部分にしているのではないか、小田切久次は沢山いるように思う、ここで私は思想や意図がある一つの力に操られる喜劇を書きたいと思ったが、技術の未熟から十分に出来なかったのは残念である。
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小田切久次は私である、すくなくとも私には小田切久次のようなずるさや、卑屈さや、守銭奴的な傾向やがある。それにも拘らず、私は今一生懸命正直になろうと努めている。露出症と云われてもいい位に素ッ裸体になろうと努力している。それは私がきっと徳をするだろうと思うからである。ドストエフスキイの「白痴」——あの主人公ムイシュキン公爵の白痴なほどの純真と正直さが、どんな教養や、智識や、或は術策や狡猾をさえも征服してゆくところは私に大層考えさせた。文学的な技術の上にも——。

平林彪吾「露出哲学——懸賞創作に入選して」『文芸』1935.

平林はその後、いくつかの作品を発表しており、本書『平林彪吾作品集 鶏飼ひのコムミュニスト』には、「南国踊り」「肉体の罪」「輸血協会」「収穫のバトン」「月のある庭」などの作品が収載されている。また、長男の松元眞氏による「父・平林彪吾とその妻のこと」というエッセイも掲載されており興味深い。松元眞氏はジャーナリストでテレビ朝日元報道局長を務め、現在文筆家。著書に『父、平林彪吾とその妻のこと』『父 平林彪吾とその仲間たち 私抄 文学・昭和十年前後』などがある。ちなみに、平林の作品「月のある庭」は、新藤兼人監督による映画「君に捧げし命なりせば」(1953年)の原作として取り上げられ、映像化された。


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