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「短い20世紀」に起きた三つの根本的変化とは——ホブズボーム『20世紀の歴史—両極端の時代』を読む
それではなぜ、この「短い20世紀」は未曾有の驚異的な進歩を寿ぐのではなく、不安な雰囲気のなか、終わりを告げたのだろうか?この章の冒頭に載せた引用からわかるように、なぜ多くの思想家は「短い20世紀」を振り返る時、満足もしなければ、未来への自信もないのだろうか?それは単に、この世紀を埋め尽くした戦争——1920年代に辛うじて一時休止した——が、スケール・頻度・長さの点で有史以来間違いなくもっとも血に彩られていたからだけではない。歴史上最悪の飢饉から組織的な大量虐殺に至るまで、この世紀が生み出した未曾有の破滅のためでもある。
エリック・ジョン・アーネスト・ホブズボーム(Eric John Ernest Hobsbawm, 1917 - 2012)は、イギリスの歴史家。1917年、ポーランド系ユダヤ人を父に、エジプト・アレキサンドリアに生まれた。オーストリアおよびドイツで幼年期を過ごし、1933年に渡英。ケンブリッジ大学で博士号取得後、ロンドン大学バークベック・カレッジで教鞭をとった。代表作に『——の時代』の四部作(『革命の時代 1789-1848年』『資本の時代 1848-75年』『帝国の時代 1875-1914年』『両極端の時代 1914-1991年』)があり、本書は最後の一冊の翻訳である。
「短い20世紀」という本書の副題は、ヨーロッパにとっての20世紀という時代は第一次世界大戦から冷戦終結までの期間であり、大戦前・終結後は別の「世紀」であるという認識に由来する。この期間はさらに破滅(1914—145年)、黄金(1945—70年代初め)、危機(1970年代初め—1991年)という三つの時期に分かれる。ここでは「極端」(extremes)が複数である点が注目される。複数の「極端」とは、まず、破滅→黄金→危機というこの目まぐるしい変化を指している。
また20世紀は「モデル」を失った時代でもあった。すなわち、19世紀のヨーロッパの歴史が「革命」「資本」「帝国」に代表される特定の時代の推進力によって牽引された時代であったとするならば、20世紀の「世界史」はそれぞれ別個のエポックによって構成され、西洋文明、ファシズム、社会主義、資本主義と、極端にモデルが変化した時代であったのである。
ホブズボームは「なぜ、この「短い20世紀」は未曾有の驚異的な進歩を寿ぐのではなく、不安な雰囲気のなか、終わりを告げたのだろうか?」という問いを投げかける。それは単に、この世紀を埋め尽くした戦争が、スケール・頻度・長さの点で有史以来間違いなくもっとも血に彩られていたからだけではない。歴史上最悪の飢饉から組織的な大量虐殺に至るまで、この世紀が生み出した未曾有の破滅のためでもある、とホブズボームは言う。彼は詩人T・S・エリオットの言葉「こうして世界は終わる——銃声ではなく泣き声で」を引用しながら、「「短い20世紀」は銃声と泣き声とともに幕を閉じた」と語る。
「短い20世紀」はそれ以前の時代と比べて決定的に質が変容した、とホブズボームは言う。それ以前の時代と比較して「もっと〜」や「より〜でない」という歴史的な計算では比べられない。それは3つの点で構造が変わってしまったからだという。その3つの変化とはすなわち、ヨーロッパの中心性が失われたこと、グローバリゼーションが進展したこと、伝統的な社会関係の規範が崩れたこと、である。その結果、「両極端の時代」の次の世紀、つまり、二つの極を失った現在のグローバリゼーションの時代に、国家による統制の形がさまざまな側面で変質していくなかで、暴力(破壊手段)の私有化・民営化、国家以外の暴力を抑制する代償が高くなったこと、格差拡大、原理主義の台頭、排外主義、環境問題といった課題が引き継がれたとホブズボームは指摘する。その上で「新しい世紀」においては、政治で重視されるのは成長ではなく、社会的配分になるとホブズボームは言う。そんな彼が期待を寄せるのは「公的権限の復活」であると本書で語っている。