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「星の王子さま」から考える愛着と価値の関係——ジョセフ・ラズ『価値があるとはどのようなことか』より

私が思うに、星の王子さまもこれらすべてに多くの真実が含まれることを否定はできないでしょう。ただ、これらの事実は彼が危機を乗り越える助けにはなりません。彼は唯一であることの大事さを信じています。彼は唯一性こそが愛の本性であり、それは人とものに対するありとあらゆる特別な愛着の模範だと信じています。彼は、意味も理解も、悲惨も幸福も、私たちが持つ特殊個別的で、普遍的ではない愛着から生まれると信じています。後で彼がキツネから学ぶことですが、「人は、自分が飼いならしたものだけを理解する」のです。——「飼いならす」というのは、人やものに対する特殊個別化された愛着をキツネなりに概念化したものです。キツネは、愛着についての包括的な理論を持ち合わせています。その理論は主に、愛しい人同士の関係に当てはまるものですが、必要な変更を加えれば、もの、理念、制度、国、文化、芸術品、自分の職業やその他あらゆるものに応用することができます。

ジョセフ・ラズ『価値があるとはどのようなことか』ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2022. p.27.

ジョセフ・ラズ(Joseph Raz, 1939 - )は、イスラエル出身のイギリスの法哲学者・道徳哲学者・政治哲学者である。オックスフォード大学でH・L・A・ハートに師事し、のち同大学でロナルド・ドゥオーキンの講座とは別に設けられた一代限りの法哲学講座を担った。博士論文の法体系研究はデビュー作『法体系の概念』(1980年)として出版され、その後、単著11冊や編著を含めた多くの著作を著している。政治哲学分野では、「権威のサービス説」卓越主義的リベラリズムを擁護した。道徳哲学の分野では、価値多元主義とその基礎的概念である通約不能性の定式がよく知られる。

本書『価値があるとはどのようなことか(原題:Value, Respect, and Attachment)』は2001年の著書であり、道徳哲学の議論をベースとしながら、国家の不偏性、集団的アイデンティティ、普遍的人権など、法哲学・政治哲学上の重要トピックに関する知見も多く含む。

本書は「価値の普遍性」をテーマに掲げ、特に「偏頗さと不偏性」の間の緊張関係、いわば「ひいきと中立性」のジレンマにあてられている。各章で不偏性テーゼと対立するかのように見える反論が検討され、それが必ずしも普遍性を否定するものではないことが示されている。第1章では、愛着から生じる価値が普遍化可能なものとして説明され、第2章で、価値の普遍性を、価値が社会に依存しているという事実と調和させ、そして第4章で、価値の普遍性を偏好と調和させることが中心的論点となる。

第1章「愛着と唯一性」では、『星の王子さま』のストーリーを手がかりに進められる。出発点は、さまざまな差異——文化や宗教、ジェンダーや性的指向、人種などの差異——を当然視する、20世紀来の「差異の正当化(legitimation of difference)」である。しかし、差異を受け入れることはしばしば、両立困難な異なる態度を後押しすることを意味する。私たちは、ほんとうに筋の通った形で「差異の正統性」を信じることができるのだろうか。

これに対しては「価値は人それぞれ」という相対主義的な態度に陥りがちである。しかしこの相対主義は、しばしば価値の普遍性に対する信念を拒むことにも通じ、価値相対主義を強めるかに見える。星の王子さまも、対象(バラ)がかけがえのないこと——唯一無二であること——が愛にとって大事だと信じている。そこで、彼にとって唯一無二のバラとそっくりのバラたちの存在を知り、自分の愛の基礎が揺るがされるように感じてしまう。ショックを受ける王子さまに、キツネは「飼いならすこと」の秘密、つまり「人やものに対し、普遍的でない特別な愛情をもつことが、自分の人生に独自の意味を与える」ということを伝える。キツネの愛着の理論は、人間関係のみならず、もの、理念、制度、国、文化、芸術品、自分の職業やその他あらゆるものに応用できるものだ。

ただし、ここでラズは、理論的には、愛着すべてが価値あるものではないことを指摘する。第一に、価値ある愛着のみが対象であること。ふさわしくないものへの愛着は、本人を卑しめるか、病理の現れである。第二に、愛着由来ではない価値があること第三に、唯一性を伴うのは愛着の一部のみであること。キツネに教わった王子さまは、自分の過去の行動、ともにした歴史が自分の愛着の対象を唯一にしたのだと気づく。自分独自の意味は、人生の途上で引き受ける「義務」によっても構成される愛着に基づいている。権利ではなく、行為の理由である義務こそが、人生を導くあり方として最も深く根源的なあり方である、とラズは強調する。

以上の愛着由来の価値の理論を、ラズは個人の次元から、公的次元へと発展させる。各人独自の愛着由来の価値を公に承認することは、恣意的だと考えられるかもしれないが、以上の議論を踏まえれば、それは誤解であることがわかる。
唯一である愛着の価値の善さは、善を説明する一般的な概念によって合理的に説明することができる。そこで、国家は国民的遺産の保護者として、史的遺跡や自然環境、文化財、言語等を保護するものであって、不偏的にふるまうのは「通常」のあり方ではないのだと理解される。
また、私たちのアイデンティティを形作る愛着は、部分的には過去に依存していることから、民族、宗教、職業その他の多様な集団のメンバーであること、そうした集団と同一化していることに、その人独自のアイデンティティをと人生の意味が依存する。他方で、愛着由来の義務は、集団のアイデンティティの基礎を与える。この考えは保守的のように見え、不安をかきたてるかもしれない。しかしそれは、特定の集団が、倫理的価値を犠牲にしてまで集団の伝統に従うことを支えるようなものではない。
以上のように、個人の愛着と集団の伝統における善さは合理的に理解可能である、とラズは述べるのである。

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