ベーコンの「洞窟のイドラ」とは——岩崎武雄『正しく考えるために』より
岩崎 武雄(いわさき たけお、1913 - 1976)は、日本の哲学者(ドイツ観念論)。東京帝国大学哲学科卒業、1952年、文学博士(東京大学)(学位論文「カントとドイツ観念論 」)。 1956年、東京大学教授。日本哲学会会長(1973年~1976年)。カント、ヘーゲルを中心とした近代哲学が専門。
本書『正しく考えるために』(1972年)は一般向けに書かれた著書であり、同じ講談社現代新書より1966年に出た『哲学のすすめ』と合わせて読まれている名著である。本書では、「考える」ことと「知る」ことの違い、正しく考えるためには、批判的精神を持つこと、判断と推理について、概念について、弁証法についてなど、正しく考えることや基本的な推理・論理について学ぶことができる。
この本のなかで、イギリスの哲学者フランシス・ベーコン(1561 - 1626)が説いた4つの「イドラ」の話が出てくる。イドラ(idola、ラテン語イドルム idolum の複数形)とは、人間の先入的謬見(偏見、先入観、誤り)のこと。「偶像」「幻影」などと訳される。英語の「アイドル(idol)」の語源でもある。4つとは、人間の本性に根ざす「種族のイドラ」、個人の性癖(性質・習慣)に根ざす「洞窟のイドラ」、言語の影響(伝聞)に根ざす「市場のイドラ」、権威の盲信による「劇場のイドラ」である。
「洞窟のイドラ」について、ベーコンは「各人に固有の特殊な本性によることもあり、自分のうけた教育と他人との交わりによることもある」とする。狭い洞窟の中から世界を見ているかのような、各個人がもつ誤りのことである。それぞれの個人の性癖、習慣、教育や狭い経験などによってものの見方がゆがめられることを指し、「井の中の蛙(かわず)」はその典型である。つまり、「洞窟のイドラ(偏見)」に注意せよとは、自己に対する盲信を捨てよということであり、これは現代でも最も難しいものの一つだろう。現代は情報化社会であり、各個人は大量の情報にさらされている。かつ、SNSの発達により情報交換も盛んに行われるため、自分がある程度「正しい」情報や意見を持っていると錯覚しがちである。そのとき、「自分の側の意見が間違っているかもしれない」と自己に対する盲信を捨てること、自分の意見に批判的になることはとても難しい。これが「分断」を生みやすい社会の背景にあるかもしれない。
思えば、フランシス・ベーコンその人が、こうした盲信(イドラ)を徹底的に批判することから、経験主義哲学をつくりあげた人だった。ベーコンは、プラトンやアリストテレスの哲学を疑うところから出発した。こうした哲学における「権威に対する盲信」(劇場のイドラ)も捨てるところから、彼の哲学は出発したと言える。権威を正しく疑い、自分を正しく疑うということは、現代の知性にも大いに求められていることだろう。
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