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オーラルヒストリーにおける「間違った」話の意味——アレッサンドロ・ポルテッリ『オーラルヒストリーとは何か』より
本章は、この出来事が文化と記憶の「長い持続 longue dureé」の中で、どのように作り上げられ、変えられ、解釈されてきたのかということについて語られたものである。それを私は、口述資料と文献資料とを併用して示そうと思う。ルイージ・トラストゥッリの死を重要にしたのは、その本質的な悲劇性ではない……。トラストゥッリの死が重要なのは、むしろ、その出来事が、集合的記憶や集合的想像力が一連の物語・シンボル・伝説・想像的再構築の土台になったからだ。(中略)
H・M・エンツェンスベルガーはこう言っている。「歴史とは、生の素材によって現実を発明することである。けれども、それは恣意的なでっち上げではない。そして、そこから生じる利益は、語り手に根ざしている」。したがって、「間違った」話は、トラストゥッリの死にまつわる他の話と同じくらい高い価値がある。それによって私たちは語り手の利害や、その下にある夢や願望に気づくことが出来るのだ。1979年、あるセミナーで、私はトラストゥッリの死に関する「間違った」話の類型について議論した。そのとき、一人の鉄鋼労働者はこう言った。もし、誰かがある出来事について、それが実際に起こったのとは違うふうに語ったのだとしたら「それはきっと、その人が無意識のうちにやろうとしていたこと、その人が願っていたことで、その人のいろんな行動の基礎になっていたものなんじゃないかな。それは歴史的な事実にはならなかったけれども、でも絶対に、その人の行動の中にそれを達成しようとした何かがあって、今その人はそれを実際にすることが出来ないから、お話を作っているんだ。でもきっと、わからないけど、その人が語っていることというのは、その人の願望なんだよ」。
本書は、イタリアのオーラルヒストリー研究者であるアレッサンドロ・ポルテッリ(Alessandro Portelli, 1942 - )による1991年の著書『The Death of Luigi Trastulli: Form and Meaning in Oral History(ルイージ・トラストゥッリの死——オーラルヒストリーの様式と意味)」』の朴沙羅氏による翻訳である。この著書は、オーラルヒストリー研究にひとつの大きな転換をもたらしたと言われている。ポルテッリ氏は、1966にローマ大学ラ・サピエンツァ校で法学の博士号を、1972年に英語学の学士号を取得し、1974年からシエナ大学、1981年からローマ大学ラ・サピエンツァ校で研究・教育活動に従事した。専門はアメリカ文学史、オーラルヒストリー、音楽学である。彼はこれまで、炭鉱労働者・大衆歌謡・スポーツ・労働争議・戦争・移民と、幅広い対象にオーラルヒストリー研究を行っている。
本書は、オーラルヒストリーの研究の中で、ポスト実証主義をもたらした代表的な論考とされている。ポルテッリは、一見すると「間違った」「主観的な」語りに注目して、いかにしてその「間違い」や「主観」が生み出されるのかを詳細に検討する。その結果、「間違い」は打ち捨てられるべき些末な事柄から、語られている出来事や語り手の個人史、さらには語られた状況を示す重要なデータへと変貌する。この転換は、たしかに口述資料の価値に関して、新たな視点と方法をもたらした。それは、「間違い」に満ちた「主観的」な口述資料の、「間違い」や「主観」を除去し、語りの向こう側にある(はずの)過去の事実を確定しようとする方法から、「間違い」や「主観」にこそ注目し、そこから歴史を描こうとする方法への転換である。これは、口述資料を忌避していたとされる初期の文献史学者に対する批判であると同時に、歴史における事実とは何であり、歴史学は何をどこまで明らかにできるのかという問題に対する「真っ向からの議論」であると、訳者の朴沙羅氏は述べている。
本書で取り上げられる象徴的な出来事が、1949年3月17日にイタリアのテルニという都市で起きたある労働者ルイージ・トラストゥッリの死である。この日、労働者たちはイタリアのNATO批准に反対するストライキと集会を準備しており、その過程で生じた警察との衝突のなかで、何者かによってトラストゥッリは射殺された。この事件は、さまざまな語りにより、時間も空間も含めて変形されつつも、テルニの労働者の反抗の「記憶」として語り継がれていく。その語りのもつ(歴史的・象徴的)「意味」の分析が、本書でのポルテッリの作業である。
トラストゥッリの死の事実は、人びとによって語られるとき、さまざまに「変形」されていたが、その最たるものが時間の「間違い」である。語り手たちの多くは、目撃者も含めて、トラストゥッリが1949年の反NATOデモのときではなく、1953年10月、鉄鋼所で2000人以上の労働者を解雇することが公表され、その結果生じた路上抗争の中で死んだのだと信じていた。こうすることで、語り手たちは戦後テルニに起こった最も劇的な一つの出来事を、一つの首尾一貫した歴史にしているのだ。
ポルテッリ氏は「ルイージ・トラストゥッリの死を重要にしたのは、その本質的な悲劇性ではない……。トラストゥッリの死が重要なのは、むしろ、その出来事が、集合的記憶や集合的想像力が一連の物語・シンボル・伝説・想像的再構築の土台になったからだ」と述べる。つまり、「間違った」話は、トラストゥッリの死にまつわる他の話と同じくらい高い価値がある。それによって私たちは語り手の利害や、その下にある夢や願望に気づくことが出来るからだという。つまりトラストゥッリの死の年代がすりかえられたことは、人びとの記憶の曖昧さを示しているのではなく、人びとの隠された願望を示している。人びとにとって、トラストゥッリはNATOに反対した「平和」の殉教者ではなく、仕事を求める戦いの殉教者として描かれてきたわけである。
ポルテッリ氏はオーラルヒストリーにおける出来事の記憶には、象徴的機能、心理的機能、形式的機能の3つの機能があるという。象徴的機能とは、トラストゥッリの死が、戦後テルニの労働者階級の経験全体を表象しているということである。心理的機能とは、出来事のダイナミクス・原因・年代配列は、同志の死に対して適切に対応できなかったという自尊心の喪失と屈辱感とを癒すように操作されるということである。形式的機能は、出来事の年代が変わることで、その出来事がそれに見合った年代に置きなおされることを示している。事実と記憶との不一致は、最終的に、歴史文献としての口述資料の価値を高めさえする。その不一致は記憶違いによって起こるのではなく、重要な出来事と歴史一般の意味を理解しようとする努力の中で、能動的に、創造的に生み出されるからである。