日本思想の無構造性と思想的雑居性——丸山眞男『日本の思想』を読む
丸山眞男(まるやま まさお、1914 - 1996)は、日本の政治学者、思想史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。専攻は日本政治思想史。専門学問は、「丸山政治学」「丸山思想史学」と呼ばれ、経済史学者・大塚久雄の「大塚史学」と並び称された。初期の代表作は『日本政治思想史研究』(1952)。西欧思想と東洋古典の素養を兼ね備えた学識を持ち、戦後民主主義思想の展開に指導的役割を果たした。〈丸山学派〉と称される後進の研究者も輩出し、日本政治学界の量的な飛躍への貢献も大きい。
本書『日本の思想』は丸山による1961年の著作である。読者は、日本人固有の思想が世界史的にどう位置付けられ、どのような特徴を持つのか、その理解を目指して本書を読むかもしれない。しかし、実際に本書を読んでもその特徴を明瞭に抽出するということは期待できない。なぜなら、日本の思想の特徴はその「無構造性」にあるというのが丸山の主張だからである。
丸山は、日本の思想には「究極の絶対者というものは存在しない」という。例えば、本居宣長は日本の儒教以前の「固有信仰」の思考と感覚を学問的に復元しようとしたが、もともとそこには、人格神の形にせよ、非人格的な形にせよ、究極の絶対者は存在しなかった。「神道」には普遍宗教に共通する開祖や経典は存在せず、その時代時代に有力な宗教と「習合」してその教義内容を埋めてきた。この神道の「無限抱擁性」と「思想的雑居性」が、日本の思想的伝統を集約的に表現しているという。これを丸山は「無構造の伝統」と呼んだ。
近代日本においては「国体(國體)」というものが創出されたのであるが、これもイデオロギー的には「固有信仰」以来の無構造性(無限抱擁性)を継承していたと丸山はいう。国体を特定の「学説」や「定義」で論理化することは、ただちにそれをイデオロギー的に限定し相対化する意味をもつので、慎重に避けられた。つまり国体の定義というものは意図的にぼやかされていたのである。それだからこそ国体は、否定面においては(反国体として断ぜられた内外の敵に対しては)極めて明確峻烈な権力体として作用し、一方、積極面としては茫洋とした厚い雲につつまれ、容易にその核心をあらわさないようになっていた。
この日本思想の無構造性と国体定義の非限定性は、天皇制における「無責任の体系」とも連関している。明治憲法においては、決断主体(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたれつ」の曖昧な行為連関を好む行動様式によってその論理が支えられていた。この曖昧な行為連関は、丸山は「神輿担ぎ」に象徴されると述べる。神輿は皆で担ぐものであり、誰か一人に責任を帰属させることはできない。明治憲法においては、他国に類例を見ないほどの大権中心主義をとりながら、元老・重臣など超憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制をとっていた。したがって天皇の戦争責任など問えるはずもなく、この「無責任の体系」のメカニズムにおいて、明治憲法下の日本は動いていたということになる。
この日本思想の無構造性は、私たちの伝統的宗教がいずれも、新たな時代に流入した宗教や思想と思想的に対決し、自覚的に再生させるということをせず、無秩序に埋積させていったことに由来すると丸山はいう。これが近代日本人の思想的雑居性につながっているというわけだ。このような思想的無構造性あるいは思想的雑居性は何を生み出すのか。それは「国体」のときと同じような現象を引き起こす。つまり、否定的な同質化(異端の排除)作用の面で強力に働き、人格的主体の確立を阻害するように働くのである。これは現代の日本人においても同様のことが言えるかもしれない。思想的無構造性をその特徴とする日本人は、積極的な主体形成ということをすることができないままに、異質なものの排除の論理(同調圧力)だけが強く働くという社会を形成してしまっているのではないか。丸山の思想が、生きづらさを特徴とする現代日本の特質を捉えるためのヒントになるような気もするのである。
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