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神話が語る「死の起源」——バナナ型と脱皮型の死の起源神話

もし甘美なことを覚えたがゆえに死が訪れるのだとすれば、性の歓びとの引き替えの死も同じだろう。ミクロネシアのヤップ島の次の話もこの流れを汲む。昔、人間は不死だったので、若い男女と住んでいた老女は、死ぬ間際に埋葬して七日したら掘り起こしなさいと命じた。そうすればまた生き返ることができるのだ。その七日の間のある日、娘が木に登った。下からそれを見ていた若者はその股間を見て欲情した。こうして二人は初めて愛し合う歓びを知り、八日が経ってしまった。あわてて二人は墓を掘り起こしたが、時すでに遅く、老婆は骨になってしまっていた。これ以後人間は死ぬ運命になった。
このように、食あるいは性の歓びを得た代わりに人間に死が訪れる。食や性の結果としての生命の再生と、再生を必要としない永遠の命とは両立できないからである。

後藤明『世界神話学入門』講談社現代新書, 2017. p.252-253.

南山大学人文学部教授・同大学人類学研究所所長の後藤明氏による「世界神話学」の入門書である。「世界神話学(world mythology)」とは、ハーバード大学のマイケル・ヴィツェルの著書『世界神話の起源』による。ヴィツェルが近年唱えている世界神話学説は、古層ゴンドワナ型神話と新層ローラシア型神話と、世界の神話が大きく二つのグループに分けられるという仮説である。この神話学説は、遺伝学・言語学あるいは考古学による人類進化と移動に関する近年の成果と大局的に一致するというのが彼の主な主張である。

日本の記紀神話は世界の神話との共通性も多い。例えば、イザナキ・イザナミの話である。死んだイザナミを追って、イザナキは黄泉の国を訪れる。決して私の姿を見てはいけないと言うイナザミの言葉を破り、イザナキは火をともして妻の姿を見てしまう。妻はおぞましい姿になっていた。死んだ妻を追って冥界に行くが、妻をこの世に連れ戻すためにタブーを犯してしまい、妻は冥界にとどまり、現世と冥界との往来が絶たれるというモチーフは、ギリシャ神話のオルフェウスの物語とほぼ同じであり、オルフェウス型神話と呼ばれている。

また、醜い姿を見られたイザナミは、逃げるイザナキを死者たちに追わせる。このときイザナキは鬘(かずら)や櫛を投げるとそれらがタケノコになって追手を遮る。このようにさまざまな障害物、とくにこの日本神話のように何かが障害物に変身するというモチーフは「呪的逃亡」、英語では「マジック・フライト」としてアフリカから北米大陸に至るまで世界各地で広く知られている。

世界の神話では「死の起源」もさまざまに語られる。大きく分けると「バナナ型」と「脱皮型」の死の起源の二つに分けられる。日本神話のコノハナサクヤビメの話はバナナ型の典型である。バナナ型の神話では、誤った選択の結果、人間が死を迎えるようになったとする。コノハナサクヤビメは、オオヤマツミノカミ(山神)の娘であった。天孫降臨してきたニニギノミコトがオオヤマツミの二人の娘のうち、姉のイワナガビメ(岩のように永遠の命をもつが美人ではない娘)ではなく、妹のコノハナサクヤビメ(木に花が咲くように美しいが、花が散るように短命な娘)、つまり甘美な方を選んだので、その子孫である天皇は死ぬ運命になったという話である。

この「誤った選択ゆえの死」は、東南アジアなどに伝わるバナナ型の神話と共通する。インドネシア・スラウェシ島のトラジャ族には次の神話が伝わる。はじめ、天と地の間は近く、神が縄に結んで食料を天から降ろしていた。その食料によって人間は生きていたが、ある日、神は石を降ろした。最初の男女は「これは石だ。他のものをください」と叫んだ。それで神は石を引き上げ、代わりにバナナを降ろした。二人は走り寄ってバナナを食べた。すると天から「石を選んでいればお前たちの生命は永遠だったのに、お前たちはバナナを選んだので、お前たちの生命もバナナのようになるだろう」という声が聞こえた。それから人間は死ぬ運命になったというものである。このバナナ型の神話の起源はアフリカまでたどることができるという。冒頭に引用したミクロネシア・ヤップ島の神話も、若い男女が性の歓びを得てしまった代償として人間に死が訪れるようになったと語る。こうした食あるいは性の歓びを得た結果としての死の起源というのがバナナ型神話である。食あるいは性交による生命の再生は、再生を必要としない永遠の生命(不死)とは相容れないと考える。

一方、脱皮型の死の起源の神話は、そうしたモラル的なモチーフを含まないのが特徴である。脱皮型の死の神話は、アフリカに多く、また台湾の先住民の間にも類例がたくさん見いだせる。さらにこれらの地から遠く離れた南米南端のセルクナム族にも、これに連なる古層神話(ゴンドワナ型神話)と思われるものが存在する。脱皮型の死の起源神話では、かつて人間は蛇のように脱皮して生き続けていたのだが、何らかのきっかけで脱皮することができなくなり、死ぬ運命になったという話である。

世界神話学では、アフリカ起源のより古い人類の間でうまれた神話を「古層ゴンドワナ型神話」と呼び、それらはアフリカ大陸からオーストラリアのアボリジニにまで分布する。「新層ローラシア型神話」はより新しく、北米大陸やヨーロッパ、中国などに伝わる神話である。ちなみに日本神話はどちらにも共通性がある。ゴンドワナ型神話は、あまり「モラル」や「教訓」を含まないのが特徴である。姉妹のうち美しい妹を選んだために死ぬ運命となったという日本神話や、石ではなくバナナを選んだために死ぬ運命となったという話は、その物語の「意味」が分かりやすい。しかし、ゴンドワナ型神話はその物語の意味さえ良くわからないものも多い。しかし、著者はこのゴンドワナ型神話こそ、現代に必要なものではないかと主張する。それは、人間中心主義や自民族中心主義から脱する可能性を秘めるからである。ゴンドワナ型神話の思想では、私たちは人間だけの世界に生きているのではなく、自然界の中で生かされ、自然界すべてのものと意味のある関係をもっていると考える。つまり、対等の関係あるいは互酬性、すなわち調和と共存こそが世界の神秘であり、人間ひいては生命あるものの叡智だと考える思想なのである。


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