「平等主義的社会」とは何を意味するのか——『万物の黎明』を読む
本書は、人類学者デヴィッド・グレーバーが、考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著で書いた「The Dawn of Everything: A New History of Humanity」の翻訳であり、多くの論壇で話題となっている書である。デヴィッド・グレーバーは「ブルシット・ジョブの理論」でいまやかなり有名であるが、2011年のウォール街を占拠せよ運動(オキュパイ運動)でも指導的な役割を果たしたことで知られる。2020年コロナ禍の最中に、イタリアで享年59歳で亡くなった。本書は彼の遺作である。
本書は、人類史に関する私たちの思い込みを覆そうとする試みである。その思い込みとは、例えば「人間社会は小規模で平等な狩猟採集社会から始まり、定住農耕による生産力の向上を経て、階級格差を伴う大規模な国家へと発展した」というストーリーだ。こうした思考は西洋人の偏見にすぎないと本書は断言する。近年の人類学は、一般的には「未開」だと見なされる人々の暮らす社会が、実は極めて豊かな多様性を持つことを明らかにしてきた。
本書が明らかにする驚くべき事実の一つが、近代西洋に固有の概念と思われている「自由」や「平等」といったものが、実は17世紀頃に、アメリカ大陸の先住民との接触によって、西洋人が取り入れたものであるということだ。当時の西洋においてはキリスト教文化による価値観が支配しており、人間がまったき「自由」のもとにあるということは野蛮であることを意味していた。むしろ「秩序」や「服従」といった価値観が進歩的な文化と同一視されていたわけである。そもそも、「平等」という概念が当時の西洋人にはなかったとされる。それが、自由の意味を問う議論がアメリカ先住民との接触から始まり、それを受け継いだジャン=ジャック・ルソーの「人間不平等起源論」あたりから「平等」とは何か、自由との関係はどのようなものかが議論されるようになる。そもそも「平等」は当時の西洋においてイシューではなかったのである。
つまり『万物の黎明』の著者(二人のデヴィッド)が問うているのは、冒頭の引用のように私たちにとって「平等」とは何かということもあるのだが、そもそも「私たちが平等を是とするようになった起源は何か」ということである。ルソーが「不平等の起源は何か」を問うたように、そのルソーに代表される私たちの思い込みや前提にある「そもそも我々が平等を是とし、不平等を悪と考えるようになったのはなぜか」を人類学的・考古学的に探究していき、私たちの社会の成り立ちの根底にある概念を覆す壮大な試みとなっている。
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