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孤独と向き合うことで「傷ついた癒し人」になる——ナウエン『傷ついた癒し人』を読む

救い主は貧しい者の中に座って、自分が必要とされる時を待ちつつ、自分の傷を一つずつ包んでいる、とこの物語は告げている。これは牧師にも当てはまる。彼は他の人びとのために、解放の最初の痕跡を明白にする責任を負っているので、彼が必要とされる時が来ることを予期しつつ、彼自身の傷を注意深く包まねばならない。彼は、傷ついた癒し人と呼ばれる。つまり彼は、自分自身の傷の手当てをせねばならないと同時に、他の人びとの傷を癒す備えをしていなければならないのである。
彼は傷ついた牧師であると同時に、癒す牧師でもある。

H. J. M. ナウエン『傷ついた癒し人——苦悩する現代社会と牧会者』日本キリスト教団出版局, 1981. p.115-116.

ヘンリ・J・M・ナウエン(Henri Jozef Machiel Nouwen, 1932 - 1996)は、オランダ生まれのカトリック司祭である。カトリック、プロテスタントの別なく、現代のキリスト者の霊性の教師として世界に広く認められ尊敬された。ノートルダム大学、イェール大学、ハーバード大学で教えたのち、亡くなるまでの約10年間、カナダのデイブレイクにあるラルシュ・コミュニティの牧者として、知的障害を負った人びとと生活を共にした。

本書『傷ついた癒し人——苦悩する現代社会と牧会者』は1972年のナウエンの著書である。ナウエンは、孤独で苦しむ人間のうめきに耳を傾けながら、孤独が負い目ではなく、実は、他者との交わりの接点になり、他者の痛みを癒やす創造的な源にもなりうると語りかける。

ナウエンは次のように書いている。「キリスト者の生き方は孤独を取り除きはしない。孤独を尊い贈り物として守り、大切にするのだ」と。だからこそ、〈孤独〉とどうやって共生していくのかが、鍵となる。私たちは誰もが、孤独の疼きを抱えている。そして本書においてナウエンによる魂のもてなしを経験することで、孤独の傷を力に変えられて、私たちは皆それぞれに傷ついた癒やし人になることができる。

「傷ついた癒し人(wounded healer)」の概念は、カール・グスタフ・ユングが用いた用語が起源と言われている。「傷ついた癒し人」とは、心理学や精神的な成長を語る上で深い意味を持つ言葉である。自らの傷や痛みを経験した人が、それを克服する中で得た知恵や共感によって他者を癒す役割を果たすことを意味する。

自分自身の「傷」を認識することが癒し人・治療者にも求められる。癒し手自身が深い傷を負った経験を持っており、その痛みを直視することが深い気づきにつながる。このプロセスは苦しいものだが、内面的な成長のきっかけとなる。自らの傷と向き合い、そこから得た知識や感情的な洞察を他者に役立てることができるからである。自分自身が癒された経験が、他者を理解し、支える力に変わる。また自分の傷を知ることで、他者の痛みに対する感受性が高まり、真の共感をもたらす。そのため、傷ついた癒し人はしばしば深い信頼を得やすい存在となる。

日常や自己成長への示唆としては、内なる癒しの力を見つけることが重要である。自分の傷を否定せず、それを癒しと成長の糧として活用する。また、自分の経験を他者と共有し、他者を支えることで、互いに癒し合う関係を築くことができる。「傷ついた癒し人」の概念は、牧師による宗教的ケアや心理療法の分野だけでなく、日常生活や人間関係の中でも多くの示唆を与えてくれる。



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