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アウラが凋落したあとの巨大な遊戯空間としての映画——多木浩二氏『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』より
この〔仮象と遊戯の〕両義性に弁証法的な思想家が関心を抱くのは、この両義性が歴史的な役わりを演ずる場合に限られるのだが、しかしじじつ、これは歴史的な役わりを演じている。しかもこの役わりは、あの第一の技術と第二の技術とのあいだの世界史的な対決によって、規定されている。第一の技術のすべての魔術的方法の、もっとも使い古されているが同時にもっとも永続的でもある図式が、仮象であるのにたいして、第二の技術のすべての実験的方法の、無尽蔵の貯蔵庫は、遊戯なのだ。在来の美学は、このような仮象の概念とも、また遊戯の概念とも、縁がない。そして、この一対の概念から、礼拝的価値と展示的価値という一対の概念が生まれてくるといっても、その限りでは何ということもないけれども、これらの概念が歴史と関係づけられれば、とたんに事情は一変する。そこからは実践的な洞察が得られる。すなわち、芸術の諸作品においても仮象が衰微し、アウラが凋落するにともなって、巨大な遊戯空間が獲得される、という洞察が、もっとも広い遊戯空間は、映画において開かれた。映画において、仮象のモメントは完全に背後に退き、これに遊戯のモメントが取って代わっている。(『複製技術時代の芸術作品』194-195頁)
つまりベンヤミンはミメーシスという芸術の根源にたち返り、そこから弁証法的な歴史を明らかにしながら、アウラが凋落したあとにあらわれる巨大な遊戯空間の芸術論を展開しようとしたのだ。
ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin、1892 - 1940)は、ドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家。第二次世界大戦中、ナチスの追っ手から逃亡中ピレネーの山中で服毒自殺を遂げたとされてきたが、近年暗殺説もあらわれ、いまだ真相は不明。ハンナ・アーレントは、彼を「homme de lettres(オム・ド・レットル/文の人)」と呼んだ。ベンヤミンについての過去記事(『ドイツ悲劇の根源』解説、ベンヤミンの「現在時」)も参照のこと。
本書は、美術評論家・写真評論家の多木浩二氏によるベンヤミンの著書『複製技術時代の芸術作品』の解説書である。『複製技術時代の芸術作品』はベンヤミンによる1936年の著書である。この本は、複製技術が登場し、芸術が大衆に開かれるようになって以来、変化せざるをえなかった芸術の運命をきわめて大胆に論じている。なかでも写真と映画をとりあげている。特に、映画の登場は、他の芸術を破壊しかねない影響をもっていた。
ベンヤミンの議論のユニークな点は、第一に、芸術生産の技術に注意を向けたことであり、第二に、ある時代に形成される知覚を重視したことである、と多木氏は述べる。ベンヤミンは、芸術がどんな世界におかれているかを正確に認識することから始めた。つまり、複製技術が支配的になった世界での「芸術」の位相である。彼は、芸術と分離できない人間の歴史を、どのように認識するかについての理論を求めたのである。
ベンヤミンは複製技術の時代は、芸術の「アウラ」が失われていく過程であると考えた。「アウラ」とは、事物の権威、事物に伝えられている重み、いわば、従来の芸術作品にそなわる、ある雰囲気のことである。しかし、それは対象に付随するものではない。われわれが集団内で芸術に抱く信念でもある。われわれが芸術文化にたいして抱く一種の共同幻想といえるかもしれない。その「アウラ」が壊れていくことは、われわれが生きて、包みこまれている社会になにかが起こり、この幻想、芸術や伝統についての信念が崩壊したことをも意味する。
ベンヤミンはこのように説明する。「いったいアウラとは何か?時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつにになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である」と。自然のなかで憩う者に訪れる一回限りの瞬間、われわれははるかなアウラを呼吸する。このようなアウラはかつての芸術を包んでいた。しかし、写真と映画の登場によって、この状況は一変したのである。
ベンヤミンは、映画を「人間を理解するための装置」に見立てている。つまり、映画とはベンヤミンが「複製技術時代」と呼んだ時代、あるいはそのなかで生きているわれわれとはいかなるものか、を明らかにするための装置なのである。ベンヤミンは映画製作を「この場合には芸術作品は、〔選択し、連結する〕モンタージュに依拠して初めて成立する」と述べる。つまり、映画は、最終段階でどうにでもなるものなのであり、選択し、つなぎあわせること、つまり編集の意義は途方もなく大きくなる。
写真と比較して、映画の場合、何か世界というべき対象があって、それを複写する過程を踏むものではない。カメラもセットも、演技する俳優も含めて、すべてが複製技術の領域に属している。ベンヤミンは、映画は、映画なる作品を大衆に展示するだけでなく、現実を見る大衆の「知覚」を構成していると考えた。カメラは無意識の人間の行動を捉え、われわれの知覚に提示する。「人間の意識によって浸透された空間に代わって、無意識に浸透された空間が現出」しているのである。われわれはその空間を知覚する。つまり、機械装置を介した知覚が生まれているのである。
例えば、ベンヤミンは演劇と映画を比較してみる。両者は一見したところでは近くに見えるが、これほど離れたものはない。演劇では役者の演技は毎日変化する。その一つの原因はあきらかに観客の反応にある。その呼吸があえばうまくいく。それに役者は、いま、そこにいる。つまり、演劇とは「アウラ」の世界なのである。しかし、映画においては役者は機械の前で演技する。機械装置の前で演技をし、あとで編集によっても変化させられる映画においてはアウラが失われている。ベンヤミンは、「人間が初めて、人格のアウラは断念して活動せざるをえない状態に立ち至った」と言い表す。
しかしながら、ベンヤミンは映画に対して、危機の時代における希望的な側面をも見出そうとしていた。ベンヤミンは映画の機能を、世界の諸状況を分析するように語る。機械化され、人間性が危機に陥った社会、あげくの果ては政治的にファシズムに飲み込まれつつあった当時の社会を、映画によって解明し、同時にその文明を越えていく方法を見出そうとしていたのである。「映画には時代をのりこえていく可能性があるかもしれない」と考えていた。
観客の経験とは、遊戯空間を経験することである。これが複製技術から生まれてきた芸術の社会的機能である。この遊戯空間はアウラが生きていた時代に、そこにのみ芸術があると思われた「美しい仮象」の王国からは抜け出ている。ベンヤミンは、このことを本文ではなく「注」に記された「ミメーシス論」において展開している。(本稿の冒頭の引用はその部分である)
ミメーシス(模倣)とは、ギリシャ以来、すべての芸術活動の根源にあるものである。古典古代やゲーテの芸術館の根源には、ミメーシスがある。そしてこのミメーシスこそ「仮象」をつくりだすために実践されたわけである。ベンヤミンは、アウラが失われる芸術の「凋落」を描きながら、もう一度、ミメーシスにまで立ち返ってあたらしい芸術の歴史的な力を説きなおしてみようとする。なぜなら、ベンヤミンは、ミメーシスのなかには実は「仮象」と「遊戯」の二面があって絡み合っていることを見いだしたからである。
つまり、ミメーシスの第一の技術は「仮象」であったわけだが、第二の技術こそが「遊戯」であり、この一対の概念から、礼拝的価値と展示的価値という観念も生まれてくるわけである。そして歴史的にみれば、芸術の諸作品において、仮象が衰微し、アウラが凋落するにともなって、巨大な遊戯空間が獲得されてきた、とベンヤミンはいう。このもっとも広い遊戯空間は、映画において開かれた。アウラが凋落したあとにあらわれる巨大な遊戯空間の芸術が、映画に代表される現代の芸術だというわけである。
しかし、ベンヤミンにとって映画は可能性と危険を同時にはらむものでもあった。「一般にファシズムに妥当することが、特殊には映画資本に妥当する」と述べる。彼には、映画産業は、ファシズムとプロレタリアート両方が、自陣営に引き入れたいものであることが理解されていた。そして実際にプロパガンダ映画などがその後おびただしく生産され、政治に利用されていったのは周知の事実である。この1936年の著書は、そのような時代の行く末を的確に見抜いていたと言えるだろう。とはいえ、ベンヤミンは映画が政治的に利用される危険をはらむものの、あたらしい「芸術」が可能になる場として、かつてないほど巨大な遊戯空間をもつものとして捉えていたのである。