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「自由」を捉えなおす——戦後的価値が劣化する社会への処方箋

そして、そのときに重要になるのが、自由というものを考え直すことです。(中略)
自由には本当は限界があるんです。限界があるというよりも、自由とは限界との関係です。牢に入れられている人間が「解放しろ」というのが自由の基本。牢屋から出たはいいけれど歩道を歩かなくてはいけないとか、ものを手に入れるにはお金を払わなくちゃいけないとか、限界があって不自由するわけです。
自由とは基本的にそういうものだけれどアメリカは他者を抹消することを「自由」の基盤としてできた世界ですから、それを否定できない。その自由には際限がない。物質的にも文明的にも進んで、あらゆる障害は取り払わなくてはならないと、あらかじめ限界や障害を何でも落とす。自由の底が抜けているということです。

西谷修『私たちはどんな世界を生きているのか』講談社現代新書, 2020. p.248-249.

著書の西谷修さん(1950 - )は、日本の哲学者。東京外国語大学名誉教授。元立教大学大学院文学研究科(比較文明学専攻)特任教授。バタイユ、ブランショ、レヴィナス、ルジャンドルらに影響を受けたフランス現代思想が専門の人である。

本書『私たちはどんな世界を生きているか』では、現代の特徴として、平等社会の最階層化(格差の固定化)、民主主義の「劣化」、権威主義の台頭、ポスト真実、ポストヒューマンの時代となっていることが挙げられている。それは、一言で言うならば、「戦後的価値の劣化」という現象だと西谷氏は述べる。戦後的価値とは、自由・平等・民主主義など、私たちが「普遍的人権」として、20世紀半ばに世界戦争後に立てた秩序原理なのであり、今やそれを覆し、そのトレンドをもう一度、逆戻ししようとする動きが世界的に働いているのではないかというのだ。

なぜそんな「逆戻し」が起きているのか。西谷氏は、「世界の人びとは「人権」とか「平等」ということを支えにして社会を組んでいくことに、もう疲れて、倦んできているのではないか」と考察する。そして、その背景には、「経済的自由」が無制限に追求されていく現代社会の特徴があるという。新自由主義的なグローバル経済の中で、今や世界中に「1パーセントの金持ちと99パーセントの困窮者」という構造が固定化しつつあるのではないか。そして、この不可逆的な変化が、世代を超えて再生産され、社会が最階層化されてしまった。いわば、平等社会は「自由」の拡張のなかで最階層化されてしまったというのである。

この先、世界がどうなっていくのか。西谷氏はやや暗い展望を持っているようである。イノベーションや技術の進歩で、現代社会の限界は超えられていくという楽観主義に対して、西谷氏は警鐘を鳴らす。その「技術」こそが、現代の混迷を生み出しているのだと。では、私たちにできることは何か。それは「自由を考え直すこと」だという。

現代は「自由」の価値が変質してしまった時代ということを、近代が始まったこの数百年のスパンで、歴史的に捉えなおす視点を西谷氏は提供してくれる。今の「自由」は、すべて「新自由」(経済的な「新自由主義」を基本にした自由)に塗り替えられてしまっている。あらゆる制約を取り払った自由こそが最上の価値というわけである。しかし、この「新自由」は実は「他者のいない自由」あるいは「他者を無化する自由」ではないか。そのような現代の「自由」を根本的に捉え直さなくてはいけない。

むしろ、人間には「限界」があるというところから出発するべきではないか。一人の人間は死ぬし、能力にも限りがある。生命とは一個の限りあるものである。だからこそ、世代の継承もあるし、横のつながりもある。自由とは、その関係に支えられる場にしかないだろう。「他があって、自分がある」という人間の存在条件を見つめ直し、それをベースにして社会を形作っていくということが、西谷氏の現代社会への処方箋である。


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