「必然性の政治」と「永遠の政治」——ウクライナ危機をどう捉えるか
ロシアによるウクライナ侵攻をどのように捉え、ウクライナ危機後の世界を私たちはどのように生きるべきか。本書『ウクライナ危機後の世界』は世界の識者7人にインタビューしたもので、引用したのは歴史学者ティモシー・スナイダー氏のインタビューの一部である。スナイダー氏は、1969年生まれの歴史学者で、オックスフォード大学で博士号取得。現在、イェール大学歴史学部教授。専門は中東欧史、ホロコースト研究、近代ナショナリズム研究。東欧をめぐる時事的問題について有力雑誌への寄稿も積極的に行なっている。
ロシアによるウクライナ侵攻は一体なぜ起きたのか。プーチンは何を目的に戦争をしかけたのか。さまざまな見方ができる中で、歴史学者らしい視点をスナイダー氏は提供してくれる。民主主義の世界における政治を氏は「必然性の政治」と呼ぶ。それは、政治が行われる原動力や原理を「必然性」に求めているからである。例えば「歴史が国民を生み出し、国民が戦争の経験から平和を学び、その教訓から統合と繁栄を学んだ」というヨーロッパにおける歴史観や、「公正で自由な選挙を通じて、過去の政権の過ちを正し、その次の選挙が行われることを約束し、将来への信頼へと変えていくことができる」という政治観がそれにあたる。こうして、民主主義世界においては、国家は指導者よりも長く存続するという「継承原理」が働いており、そのような政治を「必然性の政治」と呼ぶ。
一方、ロシアにおいては、以前はマルクス主義のイデオロギーが政治の基礎にあったものの、ソ連崩壊後はイデオロギー自体が失われてしまい、現在ではプーチンによる「永遠の政治」が行われているという。「永遠の政治」においては、国家や体制は常にリスク・脅威にさらされており、政治の目的は社会を発展させることではなく、それを永遠に維持すること、外部の脅威から守ることであると考える。永遠の政治においては、選挙や政党は意味をなさない。なぜなら、現在の独裁者が常に最善の政治をおこなうので、選挙をする必要もなく、政党による民意の代弁も必要ないからである。
プーチンが「永遠の政治」を標榜するようになったのは、哲学者イヴァン・イリインの影響が大きいと言われている。1883年に貴族の家に生まれたイリインは、1917年のボリシェヴィキ革命後には反革命主義の立場をとったため、ソ連が発足する前に祖国を追われ、ヨーロッパに政治亡命をした。イリインは亡命先で、ソ連崩壊後のロシアの指導者の手引きとなるような著作をまとめた。彼の著書『我らの仕事』はソ連解体後のロシアにおいて、実際広く読まれたという。彼の思想はファシズムを肯定するもので、ロシアという国家をボリシェヴィキから守ることが目的であった。そしてそれはファシズムによってのみ、可能となると考えた。イリインは、ボリシェヴィキが掲げる革命によって段階的に社会が進歩していくとする共産主義を、退廃的なヨーロッパから押し付けられたものとみなした。彼にとってロシアとは「無垢」で常に外部から脅威にさらされているものであった。「自由」や「平等」というのは退廃したヨーロッパ的な価値観であり、ロシアはその退廃的な価値観に侵されていない「純粋さ」があると考えたのである。
こうしたイリインのファシズム的な思想や、「永遠の政治」原理によってプーチンが現実の戦争を遂行していることに改めて気づく必要がある。民主主義世界における「常識」によって、プーチンの考え方をデタラメだと一生に付し、一蹴するのは正しいやり方ではない。「私たちはプーチン大統領がとらわれている幻想を真剣に受け止めなければなりません」とスナイダー氏は述べる。ある指導者の「幻想」が、現実の戦争を引き起こし、大量の人を死に追いやっているとすれば、私たちはその「幻想」はどこから来るのか、どのようなものか、どう対処していけるのかといったことを真剣に考えなければいけないのである。