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人生の終末期において「厳しい会話」がもたらすもの——アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』を読む

19世紀のイワン・イリイチの野蛮な医師と私たちはたいして変わらない。いや、実際にはもっと悪いだろう。自分たちの患者に施している新型の身体的拷問のことを考えてみてほしい。いったい、どちらの医者が野蛮なのか、読者も考えるはずだ。
現代の科学技術の能力は人の一生を根本的に変えてしまった。人類史上、人はもっとも長く、よく生きるようになっている。しかし、科学の進歩は老化と死のプロセスを医学的経験に変え、医療の専門家によって管理されることがらにしてしまった。そして、医療関係者はこのことがらを扱う準備を驚くほどまったくしていない。

アトゥール・ガワンデ『死すべき定め——死にゆく人に何ができるか』みすず書房, 2016. p.ⅵ-ⅶ.

アトゥール・ガワンデ(Atul Gawande, 1965 - )はアメリカの医師、作家である。ブリガムアンドウィメンズ病院勤務、ハーバード大学医学部・ハーバード大学公衆衛生大学院教授。The New Yorker誌の医学・科学部門のスタッフライターを務め、執筆記事はThe Best American Essay 2002に選ばれ、2010年にTIME誌で「世界でもっとも影響力のある100人」に選出されている。著書 には、Complications: A Surgeon’s Notes on an Imperfect Science (Picador 2003; 『コード・ブルー』医学評論社 2004), Better: A Surgeon’s Notes on Performance (Picador 2007; 『医師は最善を尽くしているか』みすず書房 2013)などがある。

本書 "Being Mortal: Medicine and What Matters in the End"(『死すべき定め』みすず書房)は、2014年のガワンデの著書である。医師でもある著者が自らの経験をふまえながら、人生の終末期における人びとの決断やそこでの「厳しい会話」について、深い洞察のもとに語られている。特に印象深いのは、ガワンデが医師として担当した患者と家族の物語だけではなく、自らの家族、病いを患い衰えていく父に関して、家族としてどのように共に苦悩し、決断したかが語られていることである。

今日、医学は人類史上かつてないほど人の命を救えるようになった。しかし同時に、人はがんなどの重篤な病いと闘う機会が増え、寿命が飛躍的に延びた。老人ホームやホスピスなど家族以外の人々も終末期に関わるようになり、死との向き合い方そのものが変わってしまったのである。この「新しい終末期」において、医師やまわりの人々、そして死にゆく人に何ができるのだろうか?19世紀のトルストイの小説「イワン・イリイチの死」の時代と現代とで、医師の「野蛮さ」はたいして変わらない、いや、現代のほうがもっと野蛮でさえある、とガワンデは述べる

それはなぜかと言えば、現代の医師たちが、何が治せるかではなく、何が治せないのか、治せないときにどのようなことが起きるのかを正直に患者に話さないようになったからだ、とガワンデは考える。「治せないということに対して十分な答えを医師が持ち合わせていないことがトラブルや無神経さ、非人間的な扱い、言語を絶する苦しみの原因になっている」とガワンデは言う。

脊髄腫瘍を患い、日々できることが衰えていく父を眼の前にしながら、一緒に現代の医療に何ができるのか、医師でもあり息子である自分がどのように父を支えることができるのか、ガワンデは苦悩する。それが最も表れているのが「厳しい会話」という章である。医療倫理学者のエゼキエル・エマニュエルとリンダ・エマニュエルの論文では、医師患者関係を三つのタイプに分ける。家父長的(パターナリスティック)な関係、情報提供的な関係、そして解釈的(共同意思決定的)な関係である。医師は情報提供的な医師になりたがる。しかし、人生の終末期を迎えた患者の前で、情報提供的な医師だけであることは間違いである、とガワンデは気づく。

正確な情報を提供することよりも大事なこと、それは「解釈」を伝えることである。「私は心配しています」と医師がその事実に関する自分の感情や考えを話すことである。それは「問い、伝え、問う」ことである、とガワンデは言う。「私たちは治せないものに直面している」という事実。それを認めるところから、現代の医療の間違いを正す歩みは始まる

脊髄腫瘍が進行し、ほとんどの治療に望みがない状態に陥ったとき、ガワンデは父と最も「厳しい会話」をする。「(完全介護の状態になるような)そんなふうにはお父さんはなりたくないのだろうね」とガワンデは父に尋ねる。父は言う、「そうだ、ありえない。そうなる前に死なせてくれ」と。この質問は、ガワンデにとって生涯もっとも厳しいものであった。質問するとき、ガワンデは身を震わせていた。この質問をすることで、父をさらに落ち込ませるのではないか、と恐れていたからだ。しかし、父母と自分が後から感じたのは安堵であった。最も厳しい会話を通過することで、霧が晴れたように感じたのだという。

父の病状は徐々に進行していったが、ナーシングホームに移るか、自宅で在宅ホスピスを受けるかという分岐点に至って、父の信念と価値観を共に支えながら、在宅ケアを受けるという決断をガワンデの家族はくだした。父が自分の身体を自由にできる範囲は狭まっていたが、残されたわずかな隙間の中にも、自分が生きられる場所があることに父は気づく。ケアの違いが何を起こせるのか、厳しい会話をすれば何ができるか、という事実にガワンデは気づいたのである。




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