「定義的祝祭」としてのリフレクティング・チーム・ワーク——マイケル・ホワイト『リフレクションズ:ナラティヴと倫理・社会・スピリチュアリティ』を読む
マイケル・ホワイト(Michael White, 1948 - 2008)はオーストラリア出身の心理療法家で、ナラティヴ・セラピー(narrative therapy)の創始者の一人として知られている。彼は、人々が自身の人生や問題をどのように語るかに焦点を当て、従来の心理療法とは異なる視点を提供した。その革新的なアプローチは、特に家族療法やコミュニティにおける心理的支援の分野で大きな影響を与えた。
ホワイトは、1971年アデレード大学を卒業し、ヒルクレスト精神科病院で精神科ソーシャルワーカー、1976年からはアデレード子ども病院で医療ソーシャルワーカーとして働いた後、1983年にパートナーのシェリル・ホワイトとダルウィッチセンターを創設。1990年『物語としての家族(Narrative Means to Therapeutic Ends)』を刊行。以後、ナラティヴ・セラピーの第一人者として活躍した。「外在化」「リ・メンバリング」「潜-在(absent but implicit)」「足場作り会話」など、セラピーに文化人類学、社会学の知見を取り込んだ独創的手法を開発した。2008年4月4日、ワークショップ開催中のサンディエゴで客死している。
本書『リフレクションズ:ナラティヴと倫理・社会・スピリチュアリティ(Reflections on Narrative Practice: Essays & Intervies)』は2000年の著作の邦訳であり、ホワイトの4本の論考と5つのインタビューを収めたものである。冒頭の引用は論考「定義的祝祭としてのリフレクティング・チーム・ワーク再訪」からのものである。
リフレクティング・チームは、トム・アンデルセンの論文「リフレクティング・チーム——臨床におけるダイアローグとメタ・ダイアローグ」によって1987年に初めて家族療法分野に導入された手法であり、現在ではオープン・ダイアローグにおいても中核的な手法になっていることで有名である。ホワイトは自身のナラティヴ・セラピーにおいてもリフレクティングを実践しており、本論考はリフレクティング・チームにおいてどのような思想が背景にあり、何が目指されているのかをナラティヴ・セラピーの観点から詳述したものである。
ホワイトはまず構造主義とポスト構造主義の区別について論じている。ナラティヴ・セラピーの実践は、ポスト構造主義あるいは非構造主義による人生とアイデンティティの理解を基礎に置いている。通常のセラピーでは構造主義の思想を前提としている。構造主義思想の特徴は表層と深層の対比である。つまり、人々の人生に関する表現は、「深層」にある特定の要素ないし本質が表層に現れた行動であるとみなしている。つまり、アイデンティティは、自己の産物であり自己と同義であるとみなされている。
一方、ポスト構造主義においては、例えばミシェル・フーコーやクリフォード・ギアーツの理論に基づけば、アイデンティティは社会的および公共的成果であると説明される。このポスト構造主義の人生理解によれば、行為を形成するのは当人の動機ではなく、ナラティヴの交渉によって社会的に導き出された当人の動機に当人自身が与える説明である。
表層/深層の対比に軸をおく構造主義の人生概念と比較して、ポスト構造主義思想の特徴の一つは「薄い」と「厚い」のメタファーの対比にある。このメタファーは、クリフォード・ギアーツやバーバラ・マイヤーホフなどの文化人類学者によって取り上げられている。ナラティヴ・セラピーにおいては、この薄い/厚いの対比に取り組むことで、人生やアイデンティティや人間関係に関する「薄い結論」(規格化された結論)から人々が離脱するのを助けるのである。
ナラティヴ・セラピーの実践の中心にあるのが「定義的祝祭」のメタファーである。定義的祝祭(deifinitional ceremony)とは、特定の人々が人生における重要なストーリーを語るフォーラム構造において、聴衆(アウトサイダー・ウィットネス・グループ)が語られたストーリーを注意深く聞き、聞いたことの語り直しをする実践のことである。それはリフレクティング・チームの実践そのものである。このとき、聴衆による語り直しは、人生がその儀式の中心に置かれた人の個人的・関係的なアイデンティティの豊かな記述(厚い記述)に貢献するように、元の語りの境界を大きく越えていくこととなる。これにより、人々の人生とアイデンティティの豊かで厚い記述の生成がもたらされる。このとき、その語り直しは通常のカンファレンスのように、人々の人生を規格化する判断(normalizing judgement)と格下げ(degrading)がなされるのではなく、語り直しによる再格付け(regrading)が起こっているのである。
「定義的祝祭」というメタファーは、文化人類学者のバーバラ・マイヤーホフの業績に基づいている。マイヤーホフは、ロサンゼルスのベニスにおけるユダヤ人高齢者のコミュニティにおいて行われたフィールドワークを記述している。彼らの多くはホロコーストで家族を失っており、孤立と不可視性が脅威であった。彼らのコミュニティにおける語りは、ユニークな「自己再帰的意識」によるものだったという。彼らの自己再帰的意識は、非構造主義あの人間理解を反映しており、彼らにとってアイデンティティは公的で社会的な達成であって、私的かつ個人的な達成ではなかった。ベニスのユダヤ人高齢者たちは、「定義的祝祭」としてのコミュニティでの語り直しによって、彼ら自身のアイデンティティ主張との一体感が得られ、彼ら自身が真正であるという感覚を新たにすることができたのである。
定義的祝祭としてのリフレクティング・チーム・ワークにおいては、「脱中心化共有」(decentered sharing)が重要となる。脱中心化共有とは、セラピストがクライアントの物語の「中心」に立つのではなく、そのプロセスを支える役割を果たすことで、クライアントの主体性を尊重する姿勢を指す。脱中心化共有の目的は「自己開示」ではなく、「具体化(embodiment)」や「認証」である。他者の人生への興味を「具体化」するとは、この興味を他者の表現の文脈に位置づけ、自分自身の生きられた経験の文脈に位置づけ、自分自身の想像と好奇心の文脈に位置づけ、自分自身の目的の文脈に位置づけることである。つまり、他者による表現が、自分がそれまでとは違う何者かになる可能性をどのようにもたらしたかを「認証」することを意味する、とホワイトは説明している。