精神分析と性の欲動、そして死の欲動——フロイト『精神分析学入門』
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856 - 1939)は、オーストリアの心理学者、精神科医。神経病理学者を経て精神科医となり、神経症研究、自由連想法、無意識研究を行った。精神分析学の創始者として知られる。心理性的発達理論、リビドー論、幼児性欲を提唱した。全体的に、精神分析は臨床の実践で活用されることは減少しているが、心理学、精神医学、心理療法、人文科学全体には大きな影響を及ぼし続けている。それ故に、実際の治療効果の懸念、統計的・科学的実証性、フェミニズムの発展を妨げるか否かなど、多くの議論を生み出し続けている。それにも関わらず、フロイトの著作は、現代の西洋思想や大衆文化に大いに浸透してきた。
本書『精神分析入門』(Introductory Lectures on Psychoanalysis)は、フロイトにより発表された講義録をまとめた著作である。精神分析を提唱したフロイトは、1915年から1917年にかけてウィーン大学で一般向けに講義を行った。本書はその講義の内容が編集をへて収録されている。第1部「錯誤行為(しくじり行為)」、第2部「夢」、第3部「神経症(ノイローゼ)総論」で構成されている。
本書の導入において、精神分析の二つの特徴をフロイトは説明する。その一つは当時の一般的な心理学の常識と異なり、精神分析が「無意識」を対象とするものであるということである。人間の心的過程の中には自我では意識できない領域があり、それは幼少期からの周囲の道徳的規範の影響下で、その道徳的規範と相違する意識内容が抑圧されることで形成される(無意識領域へ追いやられる)。フロイトは、無意識の存在を仮定した上で、当時の精神の病気の一部(ヒステリーなど)は、その患者の自我と相違する無意識(抑圧された内容)を原因として生じる内的体験であるとし、抑圧を解放させることで治癒すると主張した。
精神分析の二つ目の特徴は、精神の病気の原因として「性の欲動(リビドー)」を重視するということである。精神分析ではリビドーを、様々の欲求に変換可能な心的エネルギーであると定義する。リビドーはイド(無意識)を源泉とする。リビドーが自我によって防衛・中和化されることで社会適応性を獲得する。また支配欲動が自己に向かい厳格な超自我を形成して強い倫理観を獲得することもある。リビドーは非常に性的な性質を持つとして見られる一方で、全ての人間活動はこれの変形としてフロイトは理解している。特に文化的・芸術的な活動も、リビドーが自我によって防衛され変形したものであるとした。
本書の巻末には柄谷行人によるエッセイ『フロイトについて』がついており興味深い。柄谷は『精神分析学入門』の中期フロイトの思想を、メタ・フィジカルな心理学(メタ心理学)として位置づける。この時期の「無意識」の概念は、独立して存在する位相空間として捉えられているという。それは快感原則と現実原則によって規定されている。つまり、快感原則にもとづく欲動が強いのだが、同時に、それは現実原則によって抑制されている。エディプス・コンプレックスがその典型であり、それは幼児が母親への欲動をもちながら、父親のためにそれを抑圧するにいたることだからである。
しかし柄谷いわく、『精神分析学入門』を書いたあと、フロイトは1920年に大きな転回を遂げたという。それは第一次世界大戦後に出会った戦争神経症の患者たちによってであった。戦争神経症の患者が示す「反復強迫」のような症状は、それまでの快感原則・現実原則というフロイトの理論では説明できないもものであった。そこにフロイトは「死の欲動」を見いだす。人間のもつ「死の欲動」は、生物(有機体)が無機質に戻ろうとする欲動である。そして、それが外に向けられたときに攻撃欲動となる、とフロイトは考えたのである。柄谷はさらに、後期フロイトの「トーテミズム」の論考に、死の欲動が関係していることを見いだす。フロイトのトーテミズム論は、原始社会において「原父殺し」が起こったことをエディプス・コンプレックスから説明するものである。しかし、柄谷の読みでは、トーテミズムとは、原遊動民が定住化し、「有機的な社会」になりはじめたときに、無機質に戻ろうとする「死の欲動」として起こったのではないかという。