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動物的個我を超えた「生命」は愛を知る——トルストイ『人生論』を読む
キリストの教えによれば、愛は生命そのものである。だが、不合理な、苦難に充ちた、滅びゆく生命ではなく、幸福な無限の生命なのだ。そして、われわれはみな、そのことを知っている。愛は理性の結論でもなければ、一定の活動の結果でもない。それは、まわりじゅうからわれわれを取りかこんでいる、喜ばしい生命の活動そのものなのであり、われわれはみな、幼い日のごく最初の思い出以来、この世の誤った教えがわれわれの魂の中でそれを汚し、それを経験する可能性をわれわれから奪ってしまったその時まで、だれもが自分の心のうちにそれを知っているのである。
愛——それは、選ばれた人なり対象なりへの愛のように、人間の個我の一時的な幸福を増大させるものへの選り好みではなく、人間を離れたものの幸福に対する志向であり、それは動物的個我を否定したあとで人間のうちに残るのである。
レフ・トルストイ(Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828 - 1910)は、帝政ロシアの小説家、思想家。フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。トルストイの『戦争と平和』、『光あるうち光の中を歩め』についての過去記事も参照のこと。
本書『人生論』は1886年暮から87年8月までかかってトルストイが執筆した論文で、彼の思想を理解する上でもっとも重要な著作の一つである。発刊当初、検閲によって出版禁止となっている。理由は「正教の教義に対する不信を植えつけ、祖国愛を否定している」というものだった。その後、非合法の地下出版や国外での翻訳などによって作品の普及を図ることとなる。
本書はわが国では古くから『人生論』という表題で親しまれてきたが、本来は『生命について』と訳してもよいものである、と訳者の原卓也氏は書いている。「ジーズニ」という言葉は、日本語では生命、生活、人生、一生などの言葉が対応するが、英語の「life」と同じように、ロシア語でも「ジーズニ」一語である。文脈に応じて訳語を使い分けるのは訳者の主観を押し付けることになりかねないと考えた原氏は、新潮文庫版の『人生論』の中では、「ジーズニ」は一貫して「生命」と訳されている。
トルストイはこの論文の中で、人間の生き方を「生存」(スーシチェストヴォヴァーニエ)と「生命」(ジーズニ)とに区別して考えている。
「生存」とは、人間の一生を誕生から死までの時間的、空間的な存在として捉え、その期間における個我の動物的幸福の達成を一生の目的と考える生き方をいう。
これに対して「生命」とは、人間の一生を誕生と死という二つの点で区切られることのない、永遠につづくものとして捉え、その間、自己の動物的個我を理性的意識に従属させて生きることをさす。このような「生命」を獲得するならば、もはや人間にとって「死」は存在しなくなり、真の幸福が獲得されると、トルストイは説くのである。
「生命」の考えは愛に行き着く。愛の感情は、理性的な意識に従う個我の活動のあらわれである。愛の感情の発露は、自己の生命の意味を理解しない人にとっては不可能であり、真の愛は個我の幸福を否定した結果である。トルストイは、「愛は真の生命の唯一の完全な活動である」という。愛には恐れがない。完全な愛は恐れを取り除く。愛だけが、人々に真の生命を与える。真の愛は生命そのものなのであり、愛している者だけが生きているのである、とトルストイは新訳聖書のキリストの言葉を引用しながら、そのように述べる。愛とは、人間を離れたものの幸福に対する志向であり、それは動物的個我を否定したあとで人間のうちに残るのだ、とトルストイはいうのである。