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「根源的共同体」としてのデイケア——伊藤芳弘氏『生の希望 死の輝き』より

2019年の3月ごろだったと思いますが、終礼の話を聞いていると、問題行動がどんどん報告されていました。誰と誰がケンカをした。不穏になって徘徊する人がいて困った。トイレで立った時にズボンを下ろす前に排尿されたので、濡れてしまった等々の問題提起がなされましたが、時間がないので、解決法を議論することもできずに毎回同じような問題提起が繰り返されていました。(中略)
解決不可能と諦めるしかないのか、どうしたら良いのか、わからないままに、逆転の発想というか、とにかく利用者さまの問題点を指摘するのではなく、以前より良くなった点はないか、それを見つけて褒めるようにしたらどうかという考えが浮かびました。今日は以前より何が良くなったかを見つけ、それを褒めてあげるようにする。そして終礼に報告してもらうことにしたのです。(中略)
2週間ばかり経ってから、終礼の記録を見ると問題点が少なくなっているのに気が付いたのです。
主立った職員に「以前のような問題点も書く必要があるのでは」と言ったところ、何と「そういう問題はほとんどなくなってきた」という答えでした。

伊藤芳弘『生の希望 死の輝き:人間の在り方をひも解く』幻冬舎, 2022. p.46-47.

デイケアの「ナイスデイ」を2001年より京都で開設している医師の伊藤芳弘氏の著書より。

デイケア開設当初は利用者も介護されることに慣れておらず戸惑ったり、施設にいること自体を恥じることも多かったとのこと。スタッフ間にも問題があり、利用者のさまざまな訴えや問題点にどう対応すればよいかわからず、個々の対応にとどまり、スタッフとしての一体感は育っていなかった。

そんな中、事件が起きてしまう。利用者が渡月橋の近くで、大堰川に入水し亡くなってしまったのだ。ポケットに「ナイスデイ通信」という所内発行の冊子を入れていたことで、利用者だと判明した。もう少しこの方のお話を聞いてあげられなかったか、ナイスデイの集団がもう少しオープンな場で、誰でも話せるような治癒的な雰囲気を持たせることはできなかったのかと伊藤氏は悩む。従来のカウンセリングの場は個人を対象としていたので、集団的な癒しの場をどう作るかという発想は伊藤氏にはなかった。

その後、あることを契機に、デイケアの雰囲気に変化がみられるようになった。それが冒頭の引用部分である。終礼のときに問題事項や利用者の問題行動を挙げるのではなく、利用者が以前より少しでも良くなった点を挙げてもらい、それを褒めるようにしてもらった。ただそれだけのことだった。不思議なことに問題点に目をつぶるようにしたわけではないのに、ポジティブな点に目を向けるようにしただけで、問題と考えていたことが減っていったという。この逆転の発想によって、デイケアの雰囲気が少しずつ変わっていったという。利用者は褒められることで誇りを取り戻し自信がつくとともに自立しようと勇気をもって行動するようになる。それを見てスタッフは嬉しくなる。また、褒めるためには、スタッフは前回の利用者の様子をよく覚えていて言葉に出すようにする。すると、利用者は自分のことをよく知って看てくれると感じる、という好循環が生まれていた。3ヶ月ほどすると、雰囲気がかなり変わったように感じられ、利用者同士で助け合い、いたわり合って、よく話し合う姿が見られるようになったということであった。

この共同体を、伊藤氏は「根源的共同体」と名づけている。薬物依存症の人を対象にした「治療共同体(TC:Therapeutic Community)」というものがあるが、治療共同体とは少し異なるものとして伊藤氏が独自に名づけたものである。ハイデガーの実存哲学に拠った言葉で、人は死を自覚したときに本来的存在としてのあり方=根源的な存在に立ち戻れるという考え方である。デイケアの利用者一人ひとりは、高齢や、病のため日に日に身体が弱っていき、死が近づいているのを実感している。その不安の中にいて、死が近づくのを感じる気持ちはとても強いだろうと伊藤氏は言う。死に近い立場に立って不安を抱えた人びとが共に集うと、根源的共同体が形成される可能性が生まれ、そしてそれを維持できるのではないかと伊藤氏は考える。

伊藤氏の運営するデイケアでは、その他にも、利用者のライフストーリー(生活史)を「ナイスデイ通信」という冊子で共有する試みや、亡くなった人がいると、終礼において職員一同が集まり、その方のライフストーリーを簡単にお話して、お別れの追悼式をすることなどを実践しているという。

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