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目と耳のひと——『向田邦子シナリオ集』を読む

陽一郎「お前も、飲むかい」
南「いつも、いけないっていうのに——」
陽一郎「もう、おとなだろ——」
 父のかなしみ。娘のはにかみ。
 娘の分のグラスにウイスキーをつぐ父。
 二人のうしろの白く四角い絵をはがしたあと。
 娘にグラスをもたせて、カチリと合せる。父の手がかすかにふるえている。
 南ののどがごくりと鳴る。ウイスキーのグラスがこわい。

『向田邦子シナリオ集:昭和の人間ドラマ』ちくま文庫, 2021. 「七人の刑事:17歳3ヶ月」より. p.306-307.

向田邦子(むこうだ くにこ, 1929 - 1981)は東京生まれの脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。主な著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

引用した「七人の刑事」は1961年にスタートしたTBSの刑事ドラマ。全454話に多数の脚本家が携わり、最後のシリーズ「17歳3ヶ月」の脚本を向田邦子が手掛け、1979年に放映された。小さな町で起こった殺人事件を捜査する刑事たち、犯罪の周辺に浮上する男や女、「与作」の泥臭い歌詞と節まわし。刑事ドラマの硬質な空気感と昭和の小市民の会話。

向田邦子の脚本は、読んでいて小気味よいリズムを感じる。それは演じる俳優たちも感じていたようだ。「寺内貫太郎一家」で長女・静江役を演じた梶芽衣子が打ち明けている。「私は向田さんの脚本は、このドラマが初めてでしたけど、セリフが自分で意識しなくてもふっと出てくるものだった。それは、やっぱりすごいと思いましたね。(中略)ちょっとこの役でこのセリフは言わないんじゃないと引っかかっても、なんとか理解するのが私たちの仕事ですが、向田先生のセリフにはそういう苦労はまったくなかった」(小林亜星との第だん「オール讀物」2017年10月号)

引用したのは父と娘の会話の部分。セリフもそうだが、特にト書きの部分が小気味よい。「父のかなしみ。娘のはにかみ。娘の分のグラスにウイスキーをつぐ父。二人のうしろの白く四角い絵をはがしたあと。」まるで詩のような、あるいは昭和歌謡の歌詞のような言葉の運びである。

解説でエッセイストの平松洋子さんが書いている。「向田邦子は、目と耳のひとだ。言葉を着地させながら、自分の描く世界のすみずみまで目を凝らしている。虎視眈々、物音に耳をそば立て、気配ひとつ聞き逃さない。脚本を読むと、その様子が伝わってきてぞくぞくする。」


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