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「菊と刀と鍬」で考える日本人の死生観——五来重『日本人の死生観』を読む
従来、日本人の死生観というと、すぐハラキリが出てきたり、殉死が出てきたり、『葉隠』が出てきたりというような、武士道的死生観というものに限定しているように思うのです。これは日本人をいわゆる「菊と刀」だけできっているようなものです。菊に象徴された貴族文化、王朝文化もたしかに立派なものだと思いますし、また武家文化というものも、いわゆる騎士道的な、世界に誇るべきものだと思いますが、もう一つひじょうに大きなものを従来の日本人論、あるいは日本人の精神構造のなかで残していると思います。それは庶民の持っている思想、宗教、あるいは人生観、死生観のようなものであろうと思います。それで私は菊と刀と鍬と並べて、やはり鍬も入れていただかないと日本人論にならないのではないか、その鍬を持っている人々の、死生観はいったいどういうものかということを考えてみたいわけです。
五来重(ごらい しげる、1908 - 1993)は、日本の民俗学者。大谷大学名誉教授。専門は日本仏教史、仏教民俗学。昨日の五来重の『高野聖』に関する記事も参照のこと。
多くの日本人は、宗教に対して明確な態度をもたず、日頃から宗教を強く意識するわけではないが、冠婚葬祭などがあれば相応に振る舞うし、旅先では神社仏閣にお参りをするという行為をする。そのような特定の宗教に回収されない、なんとも不明確でゆるい広がりをもった日本の宗教に光をあてたのが五来重である。
五来は、文献史学に偏りがちな仏教学に民俗学の方法を接続させることで、実に魅力的な視野を切り拓いた。残された論考は唯一無二の存在感を放っている。五来は京都帝国大学時代に柳田國男と出会い、その情熱的かつ論理的な講義に感化され、その虜となった。こうして仏教の問題を、庶民の側から捉えていくという五来の基本スタンスが出来上がったのである。
五来の学問の方法は単純にして明快である。各地をひたすら歩き、話を聞く。できるだけ交通手段を使わずに、歩きに歩くことで「人々の生活に息づいている宗教が、自然と見えてくる」と述べている。五来は、太古から「人間はつねに歩く存在」であり、「宗教の本質は歩くこと」だと言い切っている。
本書『日本人の死生観』の冒頭で、五来は「菊と刀と鍬」という三項を示す。ルース・ベネディクトの『菊と刀』を念頭に、菊は天皇や公家の貴族文化、刀は武家文化の象徴である。従来、日本人の宗教が論じられるとき、もっぱらこの二者が注目されてきた。しかし、五来によれば、奈良時代以前から続く死生観が「庶民の心の奥底」にあり、それが現在まで通底している。そもそも日本人の大部分は庶民である。したがって、日本の宗教を語るには「鍬の宗教」を看過してはならない。「土くさいけれども健康な庶民文化」、「郷土愛と隣人愛にみちたあたたかい庶民精神」が日本宗教の根底にあるというのだ。
五来にとって庶民とは、単に文字資料の不足が原因で、貴族や武士と比して学問的に忘却されてきた存在というわけではない。宗教学者の阿部友紀が論じるように、五来は、庶民こそが日本仏教の根源的主体の形成者であるとみなした。
日本宗教の特徴の一つは諸宗教の混淆(シンクレティズム)とされる。原始的な自然崇拝や神道、外来の仏教、道教、儒教などが入り混じり、独特の宗教文化が形成されてきた。だが五来は、こうした日本化した仏教の信仰習俗の中にこそ、日本人の根元的な死生観が反映されていると考えた。その死生観の担い手はもちろん庶民である。最澄・空海・日蓮・法然・親鸞といった宗祖たちも、庶民の宗教的欲求をすくい取ることで各自の主張と組織を生み出した。そして、菊と刀という「表層」をなす宗教文化も、鍬の宗教という「基層」あってのものだという。庶民の死生観という豊かな土壌があるからこそ、それを養分にユニークな日本宗教史が展開したのである、と解説で岡本亮輔氏は書いている。