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わーっと書く

いつもは記事を書いてから時間を空けて投稿している。見直しをするためだ。

たまには、それをサボってそのまま投稿するのもいいんじゃないか。

そんなわけでこの記事は書き終えたら投稿する。

けれども、内容は思い当たらない。

なので、過去に投稿した記事を見直した。

タイトルだけをバーっとスクロールすると、そこそこ2項対立的な記事がある。

「疾患」と「病い」。天気のいい・悪い。「疲れ」と「疲弊」。

明日かもしれないが、「応援」と「味方」というタイトルで投稿を考えている記事もある。既に書き終えていて、見直して投稿する予定だ。

似たような単語の差異を書いたものが2つ。1つは真反対なことについて書いたものだ。

なんとなくで使い分けているけれども、「なんでこの場合はそれ?」と言われると答えに窮する。

「疾患」と「病い」で考えれば、「疾患」は堅苦しい言い方で、病名に入っているイメージ。「病い」は少し胡散臭さを感じつつも、柔らかいイメージがある。

「災い」のようなリズムがあるので胡散臭さを感じているのかもしれない。子どもに伝えるとき、どっちの言い方をするか?と言われれば間違いなく「病い」の方を選ぶ。

このなんとなくの違いを雑誌で知った。

他にも定義はあるかもしれないが、アーサークライマンの医療人類学では、「疾患」は現代医学が治せるもの、「病い」はシャーマンが治すものと理解した。しかし、現代医学では「病い」は治せない。

というのも、「病い」はストーリーであって、現代医学はこの病にかかったストーリーを提供してくれない。ただ淡々と「風邪ですね。お薬出しておきます」で終わる。

それに対して、シャーマンは「病い」にストーリーを見いだす。「これはあなたへの試練です。この病いに打ち勝ったのなら人生は好転する」。

現代医学は症状だけを治し、症状以外のことは見てくれない。病気のせいで離職したとしても「お気の毒です」で終わる。しかし、シャーマンは「この病気はあなたのキャリアに危険信号をもたらすもの。そこから早く離れなさいと警告してくれている」など病気を人生の一部に結びつける。

「疾患」と「病い」には医療人類学上、このような違いがあるのだと解釈している。

たとえばで「疾患」と「病い」を出したが、こういった言葉の意味の違いを理解することが面白い。

noteに書いていることの関連でいうと、「ライターになるなら言葉の違いは理解しておけ」ということに当てはまる。

以前、『文章術のベストセラー100冊』を読んだ。

どこかの項目で、「分からない言葉に出会ったら逐一辞書を引いて理解しろ」なんてことが書いてあった記憶がうっすらある。

物書きになるなら、一言ひと言で読み手の受け取り方が変わる。そういうところに気を配れという意味にも取れる。

しかし、かなりめんどくさい。毎回はやりたいとは思わない。

気づいたところだけ、やってみるくらいが楽しい。

使い分けができるようになるし、言葉が持つイメージがグッと広がる。モヤモヤして使い分けいたけれども、「じゃあ、あれもこの言い方ができる」とか。

無理に言葉にしない方がいいことももちろんある。

しかし、術があるのなら、表した方がいいこともある。自分がスッキリすることにもつながる。


ということで、気ままに書きました。

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