見えていない気持ちもそこにある
こうやってnoteを書くことで、
思いのコップがあふれる前に言葉にできる良さと
思い出さずに生活できるようになっていた部分に
記憶を呼び起こして何とも言えない気持ちになるのと
両方ある。
でもきっと、いつも両方あるのだ。
人の脳はネガティブな事に注意を向けやすいという説がある。
自分を守るために。
危険な情報がアンテナにひっかかるし、そのことについて考える。
悲しい気持ちや会いたい気持ち
あの時こう言ってたのはこんなサインだったんじゃないかな
どうして、なぜという問いは
本当に勝手に湧き上がってくる。
喪失に伴うネガティブな情報や感情はそれを追うと、
自分の壮絶な体験を自分から思い出して、
意味を書き換えてしまう可能性がある。
カウンセラーさんは、喪失とは異なるストレスー嬉しい事もそうでない事も例えば気圧の変化なんかもーそれによって、「おお、ストレス感じてるじゃないか。こっちのつらい記憶を思い出して休むんだ」みたいな感じで、思い出す力が強くなるという。
イヤな事があった時に全部何かのせいだ、って言いたくなるのに似ているのかもしれない。
つくづく、人間ってちゃんと自分を守る様に出来てるんだなと思う。
人間の脳の可逆性にも、一生発達する事にも希望を持っている。
一方で、
繰り返し考える事は、
どうしたって思いは強くなり、
思い出した時に記憶も書き換えてしまう。
元々PDCAを回しては次のケアを考えてきたものだから、振り返る癖もあると思う。
しつこさが仕事に生きていたのだ。
だから、
どういう方向でそれを見ているのか
自分は何を見たいのか
まだ置いておきたい事はなにか
掘り下げたいのか
それはなんでか
この事を本当に考えたいのか
と自分と対話する。
考えるのをやめる選択肢も、以前より明確になってきた。
寂しい気持ちは大事にしている。
自分の気持ちだから。
苦しい時もあるけどね。
そらそうなのよね。