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言った方は喉元過ぎればなのだ

父と話す機会を得た。
娘の事があってから、実家の事に首を突っ込む余力なんてなくなったし、
それぞれが結果を出していく事だとも思っていたので。

ただ、相談されれば話をすることもある。

たまたまそんな機会があった。
まあ平行線なのだ。
自分の求める答えに進むための相談だから。

その時に、私が夫婦関係を見直すのに、カサンドラのカウンセリングを受ける話をした。
カサンドラの説明を聞いて、父は言った。

「そんなに難しく考えないで、楽しく生きればいいのにね」

そうだと思う。
それができたら相談などしないのだ。
肩の力を抜いたらいいよと言っているだけかもしれない。

育った場所は不良になる人が多い場所で、娘が育つのに一生懸命考えてくれた反面、
父の思う様にならない事には暴力、教育虐待もあり、
父がが夫婦で話し合えない、仕事のプレッシャーを外に出せずに内包して、
子どもや妻に投影し、
妻に暴言暴力を振るい、
外の女性に自由を求めたりしていたわけで。
父が私の年齢の時、必死で働き、楽しみも持ち、ご飯も作ってくれていた事は事実だし、すごい事だと思う。
でも、その原動力のいくらかは、自分の思い通りにならなかった人たちを見返す為な訳で。
色々あった結果放っている言葉なのをこちらは認めているのだが。


楽しく生きる道を選ぼうとしたときに道をふさいだのは誰だったのか。
10代の女の子がお小遣いを工夫して買った
マニュキアを投げ、買ったという証拠を友人に電話させられ、アクセサリーを引きちぎったのは誰か。
夫婦が楽しく暮らす様子をひっくり返したのは誰か。
そんなあなたの状況を理解しようとした私たちの事はもちろんあなたの問題ではないが、大したことではないと生きてきたのだ。
自分の問題と向き合おうとしている娘に向かって、そう言えるんだな

驚いた。

楽しくいきたいと思っているよ。
楽しいを選ぶ事を努力してきたんだよ。
それでものっぴきならない状態だから、カウンセリングを受けるんだよ。

と言わなかった。
父を今更傷つけるのもなと思う。
そのことも不健全だと思う。
機能不全家族というのだろう。
そういう状態にいると家族の問題があるから私はできないという理由付けができちゃうんだよ。
ほんで、イヤだって言う機会を失っていくんだよ。

私は私みたいなこどもに何かする前に自分の事に取り組もうとしている。
そんな生き方もあるんだよ。
そうね。
あなたはそういう生き方を選んでるのね。いいじゃない。
って、父が言えなくたっていいかと思ってきた。
私がそう思っていることを大事にしよう。
私が私の1番の味方になる練習だ。


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